第5話 ネップとレーニン

文字数 1,401文字

 事実上、とにかく少しでも持てる者、けっして貴族や富裕層ではなく、不労所得を得たものでない農民、小企業者からも、ポルショビキ、自分の陣営に食糧、物資を供給するために、強引に取り立てる、徴発する、というより略奪する戦時共産制から、レーニンは私有財産、市場経済をある程度認め、富農(金持ちでは決してないというより農民の大部分)等への圧力を緩和したネップに、レーニンは移行しました。
 故中曽根氏は首相時代、故ゴルバチョフのことを(在任中)、「ゴルバチョフは、レーニン主義者」と言ったのは、そのことをとらえてのことでした。
 しかし、レーニンは、
「戦時共産主義が正しく、ネップはやむを得ないものであり、できるだけ早く取りやめにしなければならない。」
としていました。単なる略奪行為に過ぎない、戦時共産制を擁護する、守ろうとする、好ましいと考えることは、あまりにも異常としか言えないでしょう。レーニンが自らの後継者と指名していたトロッキーは、
「ネップは官僚による反動的政策である。」
と主張していました。スターリンも同様でした。
 戦時共産制が正しく、ネップは正しくないとするのは、ポルショビキ全体、ソ連のマルクス主義者に共通認識でした。ただネップをやってみて、ブハーリンらは、彼は導入を強く反対していました、ネップの継続、拡大を主張しました。ネップが行き詰りかけているように見えた時も、彼らは不十分な限定されていることが原因であると考えました。スターリンは、彼らを利用してトロッキーを追放し、権力地盤を堅固なものにしてから、ブハーリンらを粛正、ネップを廃止し、略奪とさして変わらない、統制経済、上からの命令を絶対とした、に移行したのです。
 岩波新書の「5つの共産主義」では、「スターリンはトロッキーの主張を、野蛮な形で実行した。トロッキーなら、もっと穏やかだったかもしれないが、同じことだったろう。」と指摘していました。

 レーニンとトロッキーとブハーリンの違いは、労働組合に関する考え方でも同様でした。ブハーリンは、労働者が生産手段を管理する社会主義になったんだから、労働組合が企業の生産、管理を代表者を選んで行っていくべきだと主張しました。
 トロッキーは、労働組合は資本家に抵抗するための組織であるから、資本家がいなくなった社会主義体制では解散させてしまえばよいと主張しました。
 レーニンはというと、経済の末端での会計とか事務とかの仕事があるから、労働組合はその業務を行う機関として存族させればよい、としました。
 一見レーニンは、中道の立場のように見えますが、労働組合の主体的な行動は完全否定し、国家・政府の単なる末端組織、末端の事務だけを行う機関としてだけ認めるということであるので。トロッキーと基本的には同一の立場です。
 レーニンとトロッキーは、労働者は国家・政府の命令に従うだけの存在と認識していたわけです。

 ブハーリンは、もはやスターリンの粛清が自分に確実に及ぶと確信していた時、英国に行く同士に、マルクス博物館で遺稿を調べて、このようになった原因と打開策を調べてほしいと依頼したという話を聞いています。この期におよんで、と呆れることではありますが、私にもわかるような気がします。私も、レーニンの著作から、言葉から、ソ連体制にならない別の方向の可能性がなかったか、あるに違いないと思って調べたものですから。
 
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