風待山 1

文字数 1,231文字

 市内を見渡せる高台。
 そこにほとんどだれも訪ねてこない古びた建物が一軒だけぽつんと佇んでいた。
 その建物の裏手にはこのまちのシンボルにもなっている「風待山」がそびえ、その山の斜面が緩やかになり始めるるところにこの古い建造物は建っていた。
 風待山は市内のどこからでも眺められる独立峰である。山が多いこの地域ではあるが、この風待山の姿の美しさは神秘的という陳腐な表現では収まらない絶妙なバランスをもっていて、連なる山々の中で一際目立っている。
 周りには竹林が生い茂り、その竹林はその敷地への人の往来を拒んでいるかのようだ。だが、その竹林の中に一筋の細い道があることが分かれば、容易にそのスペースとの往来はできるのである。
 人が訪ねてくることはあまりない場所ではあるが、廃墟ではない。そこには手入れの行き届いたこぎれいな庭園があり、その庭には季節ごとに植木や花が彩を添え、だれかがここを管理していることは確かである。
 だが、不思議なことに、この地は忘れ去られているのか、この地を知る人も、ましてここを管理している人のことを知る人はほとんどいない。
 
 「風待山」というのは不思議な名前であるが、昔からそう呼ばれていることは古い文献からも分かっている。
 その古い文献にこの山には死者が集まるという伝説が書かれている。
 死んだものは一旦、風待山の頂に登る。死者はその頂に立ち、自分の生きていたこのまちを眺めるという。
 死者はこの世を去る前に山の頂からこのまちを見て、自分が死んだことを受け止め、この世への別れを告げるのであるという。
 死んだ者にはこの山の頂からすべてがはっきりと見えるのだそうだ。この世に残した自分とゆかりのある者たちがどこにいて、どんなことを今考えているのか、そして、彼らが今何をしているのかが手に取るように分かるのだそうだ。
 
 山の頂から最後にこのまちを眺めて、しばらく待っていると風が吹いてくる。死者たちはその風に乗って彼岸へと渡る。
しかし、
「いや、まだここから見ていたい。このままではここから去ることはできない」と思う者も中にはいるそうだ。そういう者たちは頂に残る。
 もちろん、もう十分と、風に乗れば彼岸へと飛んで行く。
 自分の死を受け入れ、もうここを去ろうと思うまで死者はここで見ている。風待山は死者がこの世に未練を残さないよう、死んだものが一旦この世を振り返る場所なのだと言われている。
 
 さすがに、この伝説をまっすぐに信じている人はいないだろうが、一つの信仰心として、この山を拝み、死者を思い懐かしむ人は今もいる。

 敷地の片隅に小さな木の芽が顔を出した。
 何本もある木のその中に、季節になると真っ赤な花をつける木がある。
 その真っ赤な花は盛りを終えると、ぽとり、ぽとりと花ごと一つ、また一つと枝から落ちていく。
 その花の根元に今、新しい芽が出た。やがてまた真っ赤な花をつけるその芽が、今日、地表に顔を出したことに誰かがいつか気づくのだろうか。
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