第15話 快晴と報告

文字数 2,682文字

 ポチャン、ジュ、と音が鳴る。ふわと煙とぶわっと炎と熱。人を恋に落とすだの色気があるだの魔性だの、とやかく言われる睦千の双眸は真剣に、しかしながらうっとりと目の前の煙と炎とに包まれる肉を見ていた。念願のホワホワ亭、本日の場所は深文化郷地区の南練習第二会館屋上、店主はどこからかこの立ち上がる煙を見て満足しているのだろう。洒落た通りに焼肉の煙、なんともミスマッチだがそこがいいとかなんとか、睦千にとってその辺りはどうでもよくて、今はうまい肉があるかどうかが問題なのだ。
「焼けた?」
「まだだよ。乗せたばかりじゃん」
 青日はトングで肉を網に乗せながら答える。食べる気満々の本日の睦千は全身真っ黒でゆるゆるの服装だ、つまり、洒落っ気より食い気。
「最悪半生でも……」
「焦りは禁物だよ、睦千」
 早くと急かす睦千の意識を逸らそうと、青日は話題を提供してみる。
「でもさー、よかったよね。一気に全部解決して」
「そうね」
 とは言っても睦千の目は網の上のカルビに釘付けだ。
「猫も追い立てに協力してたって言うじゃん、面白いよね」
「人間が散歩の邪魔して怒ったのかも。ほら、暫く人間歩いていなかったわけだし」
「あと、マミさんの赤い靴!」
「マミ、それっぽいやつが店の前通ったらやってやるって決めていたって、愛情強くて安心したよね」
 睦千はこつり、とレモンイエローのヒールサンダルを鳴らす。この間、マミのところで作って血だらけにした例の靴だ。マミが綺麗に洗ってくれたらしく、ちゃんと新品に見える。
「ジェシカも元気そうだったし、良かったよ」
 さっき会ったばかりの2人を思い出したいるのか、睦千はゆったりと微笑みながら下の広場を覗き込んでいた。広場の隅では女が2人、手を取りクルクルと回り、踊っていた。マミとジェシカだ。時折、笑い声が聞こえて、ジェシカの新しい靴が広場を打ち鳴らす。その度に人が集まって、歓声が響き始める。
「ラブラブだね。あ、チューした」
 下では歓声が上がっている。歓声をあげる人、それを気にせず駆け出して行く人、ただ自由に踊る人、キスまでしちゃう人、青日はそんな景色を見ると安心する。ここはどんな恋も生き方も、貫いて幸せになってもいい場所なんだと。誰も肯定も否定もしないで、放ってくれる。みんな自分に夢中だから、自分の大切なもの綺麗だと思うものを自分の中に入れるのに精一杯で、自分が嫌いなものには見向きもしないか離れて行くか。自分を宝箱みたいにして生活できる。だから、八龍が好きだ。
「ねえ、青日、焦げる」
 睦千が網の上のカルビを箸で持ち上げ、ふうふう、と冷まして口の中に入れた。
「……ね、ね!」
 そして言葉を失った。とにかく美味しいらしい。青日は珍しくハイテンションでチャーミングな睦千を見て、その後ろに広がる空と一緒に笑った。
 本日、快晴也!





【福薬會本部:御大執務室】
 参ったよ、と煙師匠はふわふわと漂いながら独り言のように言う。
「俺のミスです、本当申し訳ない」
 頭を下げる笈川愛丞、そんな名前だったなと思うくらい『ラブ』の呼び名が定着しているな、と成維は現実逃避をしながら報告書を見ていた。
「被疑者死亡ね……」
 切り裂きジャックと呼ばれていた男が、取り調べ中に死んだ。取り調べは警察の仕事だが、奇怪病が絡んでいれば福薬會のメンバーが同席する。今回は、確保したから、という建前でラブが同席していた。そのラブの目の前で男は、首を斬られて死んだ。
「……男は奇怪病者じゃなかった、と言うのは本当か?」
「いづも先生の奇怪病で、そう言ったんで、狐師匠に確認してもらいました」
「狐曰く、果てしなく気配が薄い怪が取り憑いているみたい。気配が薄いのに、力が強いし、主導権は人間にあるみたい、果てしなく奇怪病に近い怪、だそうで。そのまま、狐に祓ってもらおうと思ったんだが」
 煙師匠が言葉を濁した。
「その直前に男は、取り憑かれていた怪によって首を斬られた、と」
「怪を確保しようと思ったんですが、姿も見えなくて、狐師匠も気配がなくなったから追いかけられない、と……」
 ラブがどんどんと縮こまる。
「ラブ、そんなに気にするな。これは予想できなかっただろう」
 成維がそう声を掛けると、そうよ、と今まで黙っていた茎乃も賛同する。
「取り憑かれている奴って大体分かりやすいもの。こんなに分かりにくい怪とか、突然暴れる怪とか、分かるわけないわ」
「そ……っすかね?」
「そういうことにしておきな。御大、もうラブから聞きたい事はないですよね?」
「ないな。煙師匠はまた別件が」
「じゃあね、ラブ」
 茎乃に手を振られ、ラブはそれなら、と部屋を出た。
「……追い出されたな……」
 廊下でラブは呟いた。強引に、分かりやすく追い出された。もしかして、とラブは考える。結構やばい何かが八龍で蠢いているのかもしれない。今し方、閉めた扉に耳を当てたくなるが、無駄だろうと、大袈裟に足音を立てながらその場を離れた。必要になったら声を掛けられるだろう、いかんせん、俺は秘密のヒーロー、保安方の笈川愛丞だ。


 一方、部屋の中。大袈裟に「今、離れましたよー」とアピールする足音が離れると、成維は顔を盛大に顰めた。
「目撃情報はあるのか?」
「それらしいのはないよ。今、何人かに探させている」
「他に、何か動きは?」
「いいや。それらしい組織もない。杞憂だとは思うが……」
 煙師匠はふう、と椅子に腰掛けた。煙の塊がきゅっと小さくなる。
「ただ、人影があった」
「人影?」
「切り裂きジャックを捕まえた時、近くに小柄な女。まだ10代かもしれない。ガスマスクをつけていたから顔は分からない」
「誰が見た?」
「僕。ラブから連絡もらって現場に向かったらね」
「……もしかして、群雲(むらくも)か?」
「さあ……でも、あの人、そんな事しないし、そもそも、成人しているよ」
「群雲と、

みたいな奇怪病……」
「決まったわけじゃないよ、茎乃さん」
 ふわ、と煙師匠の形が崩れる。
「でも、似ているわ。奇怪病を与えるなんて……ねえ、成維……」
 茎乃が焦りながら成維を見る。成維は静かに息を吐き出しながら、そうだな、と言った。
「あいつは、俺たちが

。だから、また、現れるはずがない。似ているだけだ」
「成維」
「あいつはもういないんだよ」
 成維は言い捨てた。
「でも、あいつみたいなやつは出てくるんだろう。煙師匠、調査を頼む」
 茎乃は何か言いたげに口を開くが、諦めて口を閉ざした。成維は真っ直ぐに、椅子に小さく漂う煙を冷たい視線で見ていた。煙は、分かったよ、と返事をした。その背後の青空が、妙に不気味に見えた。
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