第1話

文字数 5,648文字

 この俺、詩人のダンテが35歳の時。
 もうええ年やいうのに、夢も希望も何も無いほんまにあかん状態で、しかも気が付いたら真夜中の森の中におったんや。
 
 なんでいきなりそんな事になんの?と思うやろな。俺自身でさえそう思うわ。いきなり、見た事もない暗い森の中に一人やで。どんだけ不安やったか、想像できんやろ。
 でもな、人生は分からんもんや。俺はその迷い込んだ不思議な森で、かつて誰も経験した事がないような凄まじい旅のキッカケに巡り合ったんやから。それを今から話したろ。

 あ、そうそう。俺は希望も何も無い状態やったって言うたけど、先に何でそないな事になったかが気になるわな。うーん、なんていうか、全部説明したら長くなるから簡潔に言うと、要するに俺は抱えてた色んな問題がキャパオーバーしてて、人生に絶望してたんや。
 仕事でも日常生活でもそうやけど、とにかく何でもかんでも必死のパッチでやっててな、全てを一人で抱え込んでた。余裕が無くて、目の前の事をとにかくどないかせなと死に物狂い、ありとあらゆる手段を使ってやってたんよ。正直、悪い事もしたし、とても人には言えん事もある。それらの罪悪感とか疲労とかプレッシャーが爆発して、もうどうしようもない精神状態になってたんやと思う。
 ほら、人間ってまれにめちゃくちゃナイーブになる時あるやろ?その時期はほんま、マジで色々あって病んでてん。それで、頭ん中がワァー!っとなって、家を飛び出してあちこち駆けずり回って、気がついたら夜の森の中と、こういうわけや。
 なんでそうなるのか理解できんって?いや、理解できん気持ちは分かるけどな、事実やねんからしゃあないやん。俺にも色々あったんや。

 とまぁ、そんな感じで森に迷い込んだわけなんやけどな、この状況なったら怖いけど仕方ないから歩くやん?ジッとしてたら獣とか襲ってきそうな雰囲気やし、とりあえず森から脱出せなあかんからな。なんせ俺からしたら、いきなり森の中にワープしたような状況なわけやし。
 んで、道も分からんままに谷に沿って歩き続けてると、なにやら丘の麓に出た。そしたら、その丘の向こうから朝日が昇ってくるのが見えたんや。さっきまで真っ暗やったのに、一体今何時なん?って感じよ。でも、お日さんが出てきて、多少なりとも気分は良くなってた。真っ暗闇では危ないし、何より気分が沈むからな。恐怖の夜をやり過ごせたおかげで、絶望してた俺もナンボかは元気を取り戻してた。
 
 丘を越えたら、今度は浜辺に出た。森の中に丘が有ってそっから浜辺って、どんな地形しとんねんって思うかもしれんけど、変わった取り合わせの自然ってたまにあるやんか。その浜辺も、とにかく人っ子一人おらん寂しい所やったわ、ほんま。めっちゃ疲れててな、一体何時間歩いてるん俺って思った。でも、知らん土地やし、動いてないと不安やから歩き続けた。
 そして山の斜面を登った。え?浜辺を歩いてたんとちがうんかって?歩いてたよ、ちょっと前までは。でも、すぐ山の斜面が現れたから、俺はそこを昇ったんや。そんなんおかしいって?そう言われてもな、浜辺の途中から山の斜面に伸びる道やったんちゃうかな?よく覚えてない、なんせその時は疲れてたから。

 山を登ってるとな、突然マダラ模様のヒョウが現れたんや。しかも、やたら大きくて、異様なまでに身のこなしの軽い、怪物みたいなヒョウや。そいつが俺の目の前にシュッと現れて、行手を遮るんや。俺は驚いて凍り付いたけど、ヒョウは襲ってもこんし、去りもせえへん、ただ道の真ん中にドンと座ってこっちを見てる。一番不気味な行動パターンやろ?とにかく俺を先に進ませたくないって感じや。仕方ないから引き返そうかなと思って後ろを振り向いたら、さっき昇ったお日さんがサンサンと輝いてるのが見えた。するとな、突然辺りがめっちゃ明るくなった感じがして、なぜかやたらと元気がみなぎってきたんや。
 元気になったからか俺の思考も急にポジティブに変わってん。つまり、ヒョウおるけど別に何もしてこんし、しれっと横を通り抜けたらコレ行けるんちゃうかなって思い始めた。普通に考えて無謀過ぎるし、普段そんな命知らずな事はまずせえへんのやけど、あんま寝てないし逆にハイになってたんかな?そのまま、よっしゃこのまま行ったるかと思って振り返った。そしたら、その時にヤバい物が目に入ったんや。ライオンや。ヒョウの塞いでる道の向こうから、デカいライオンがこっちに向かって、のっしのっしと歩いてきよる。しかもこいつはヒョウと違って、明らかに血に飢えてるし、凶々しい殺気まで放ってる。それも、俺だけに向けて明確な攻撃の意思を持ってるのが伝わってきた。考えられんやろ?いやなんで俺なん?そこヒョウとちがうん?って思った。
 当然テンションもダダ下がりして、ヤバい雰囲気に狼狽えてたら、また信じられん事が起こった。ほんま、悪い事って重なるもんやねんな。同じく進路の向こうからメスのオオカミまでが登場したんや。こいつは痩せてたけど古傷だらけで、ある種のオーラを纏ってた。幾多の死線をくぐり抜けた戦闘狂って感じ。いやほんま、どんだけ多種多様な獣が潜んどんねんってハナシよな。

 ヒョウ・ライオン・オオカミって組み合わせ、正味えげつないやん?俺は既にこれ以上ないぐらいビビってたけど、やつら三匹が赤い瞳でジッと見つめてきた時は、掛け値なしに死を覚悟するぐらいビビった。もうこの斜面を登るのやめて、長い道のりを引き返した方がマシやなと思った。そもそも、この道が正解とは誰も言うてないし、何か道標が有るわけでもないんやけどな。なぜあの道にああまで固執してたのか、それは俺にも分からん。流れ的にそうせなあかん感じやってん。
 しかし、また戻らなあかんと思った時の落胆を言葉にするなら、大事に大事に守ってた宝物を奪い去られる気持ちやったで。だってここまでめっちゃ苦労して歩いたんやで?それをナシにすると思うと、悲しいやん。分かる?いわゆる喪失感よ。
 
 でも、もう諦めて来た道をダッシュで戻った。そうせな獣達に食い殺される可能性が高いし、絶望してたとはいえ死にたくはなかったからな。時々振り返って様子を伺うと、猛獣達は俺と一定の距離を保ったままジワジワ追いかけて来とった。おそらく、逃げ惑う俺を見て仲良く楽しんでたんちゃうかな?趣味悪いやろ?
 ほんでよ、走ってたら森の中にじいさんがおったんや。我が目を疑ったで。だって、こんな人気の無い土地、それも早朝の山の中になんでお年寄りがおんの?って思うやん。なんか変なじいさんなんちゃうやろかと一瞬思ったけど、恐怖でどうにかなりそうやった俺は人に会えた事が嬉しくて、大声で助けを求めた。

『人でっか?!幽霊でっか?!この際どっちゃでもええわ!助けてえな!』
 
 すると、じいさんはこう応えた。その声がまためっちゃかすれ声でな、どんだけ声という物を発して無かったんやろうと思ったぐらい。完全にどうでもええんやけどな。ほら、焦ってる時って、なぜかどうでもええ事が頭をよぎったりするやろ?

『え、わしは人ちゃうで、前は人やったけどな。そうやな、元・人と言うとこか。ちなみに、両親はロンバルディアはマントヴァ、生粋のイタリア人や。あのユリウス・カエサルのおっさんがムチャして頑張ってた時代の最後らへんに生まれたんやで。育ちは永遠の都ローマや。関係ないけど、あのアウグストゥスさんが治めてた頃のローマはおもしろかったで。胡散臭いパチモンの神々はやたらと流行ってたけどな。わし?わしはゼニ儲けよりも詩が好きで創作活動などをやっとったよ。代表作は『アンキセスの息子』知ってる?ところで、自分、なんでそんな慌てとん?こっちは絶望の谷っていうしんどい土地しかないから、戻って山を登った方がええと思うけど』

 はじめ、元・人とか意味不明な事を筆頭に聞いてもない事をベラベラと話すケッタイなじいさんやなと思った。けど、『アンキセスの息子』が代表作やと言うた時に、このじいさんが伝説の詩人・ウェルギリウスさんやと分かって、俺は飛び上がった。なにしろ、俺はウェルギリウスさんの大ファンやったからな。彼に憧れて詩人になったと言っても過言ではないぐらいや。スターに会えた興奮で顔はもう真っ赤に火照り、心臓はバチバチになったよ。どんぐらいファンやったかというと、この世の全ての詩人はウェルギリウスさんの詩をパクってると信じてたぐらいファンやった。いやそら有り得んけど、そんぐらいドハマりしてたってハナシやん。実際、ヨーロッパで彼を知らんもんはおらんしな、マジで偉大な人やねん。

 俺はこう言うた。
『うそやん!ほ、ほんまもんのウェルギリウスさん?!俺、めちゃくちゃファンです!ウェルギリウスさんのそれはそれは美しい文章の数々、計り知れない影響力、もうマジでリスペクトしてるし、ずっと読んでます!いうなら俺の心の師匠なんですわ!そやから、ファンの俺を助けて下さい。ほら、あの、見えます?いるでしょ?三匹の猛獣。えーと、ヒョウとライオンとメスオオカミ。俺もこの道は戻りたくないんやけど、あいつらが行手を阻むんですわ、ほんまに怖いんです。ついでに人生に絶望してるんで、そこもどないかして下さい』
 
 いやほんまこれ、おかしいやろ?自分でも思うんやけど、なにお前ファン宣言しつつ、ちゃっかり偉人に助け求めとんねんって思うわ。でも、状況が状況やから、俺もかなりアタフタしてたんや。しゃあないわ。逆にウェルギリウスさんは異様なまでに冷静な人やねん。ほんまあの人、いかなる状況でも取り乱さんのよな。ちょっとおかしいんちゃうか思うぐらい。少なくとも常人の神経ではないねん。

 でもその持ち前の冷静さで俺のテンパり具合を見極めてくれてたらしくて、落ち着いた口調でこう言うた。
『ああ、あいつらか。知ってる知ってる、うん、ちょっとちゃう道から行ったほうがええわ。あいつら、ここらを占領しとる猛獣共やさかい、よそ者は絶対許さんし、ていうか普通に殺されるで、ほんまに。昔から極悪でな、とにかく生まれつきのごんたくれ共や。テリトリーに侵入してきた人間を嬲り殺しにして喰うんや。喰えば喰うほど腹減るわー言うてな。タチ悪過ぎるやろ?しかも、最近では近場のワル連中と同盟組んだりして、ますます勢力を拡大しよる。血に飢えた獣のくせにイタリア全土を我が物にしようと目論む危険な連中や。でもまぁ、その内、正義の猟犬・ヴェルトロにまとめて始末されるやろうけどな』

 そこで終わるのかと思いきや、ウェルギリウスさんはさらに続けた。
『そのヴェルトロがまた、ほんますごいんや。確固たる愛と正義を持っててな、金も品物も報酬は一切受け取らへんねん。報酬は既に貰っています、祖国から愛と知恵を、なんて言うんや。痺れるやろ?彼らの立ち位置を例えるならな、このイタリアの詩人達にとっての紙かフェルト布ぐらい重要なんや。あのごろつき共によって受けたイタリアの屈辱、彼らが晴らしてくれるに違いないとわしは思うとる。あの、エウリュアルスはんとトゥルヌスはんとニススはんとカーミラちゃんが眠ってるイタリアを守ってくれるはずや。ああ、ヴェルトロ、あのイタリアに憧れるあまり間違いを犯しとるケダモノ共を、その身分に相応しい地獄へ送り込んでや。…あ!わし、ええこと思いついた!』

 ウェルギリウスさんは知識も教養も桁外れにすごいし良い人やねんけど、とにかく話の展開が唐突な上にこっちが尋ねてない事まで急に語り出すから、一瞬困惑すんねんな。まぁ、そのおかげで俺には思いつく事すらできんような選択肢に気づかせてもらえたり、色々と知恵を授けてもらったりしたわけやけども。
 
 わけわからんまま聞いてると、ウェルギリウスさんはこう続けた。
『自分、わしと一緒においで。わしが地獄を案内したるわ。あはは、そうビビらんでええって、びっくりした?冗談ちゃうで、マジな話やねん、まぁ聞けや。今のお前にはええ話やと思うで。地獄って見た事ないやろ?無数の亡霊や亡者が、こんなとこイヤや死にたい死にたい言うて、もがき苦しんどるんやで。そんな恐ろしい所やけどな、実は煉獄と天国にも繋がってるんや、知ってた?知らんかったやろ。そやからな、そこ見に行ってみるいうのどう?地獄で亡者達の絶望や後悔の有様を見て、煉獄で天国を夢見ながら炎に焼かれる人々を見れば、現世で悩めるお前の人生観も変わると思うんや。どうせ人生に絶望してんのやったら悪い話ちゃうやろ?それに、もし天国にも行ってみたいと思うんやったら、わしの知ってるめっちゃ偉い人を紹介したる。というのも、わしは神の定めた掟に訳あって一度背いたから、お前を連れて天国には行かれへんねんけど、その偉い人に認められればチャンス有る思うねん。天国はええぞ、もし神に選ばれてそこに行けたら、間違いなく幸せになれるし』

 俺はとにかく、一刻も早くこの森から抜け出したかった。それに、俺が尊敬するウェルギリウスさんが尊敬してる知り合いとか神とかやたら凄そうやし、地獄とか煉獄とか天国とかもめっちゃ見てみたかったから、こう言うた。

『ウェルギリウスさん、俺、行きますわ。正直、ウェルギリウスさんが何をしようとしてるのかよくわからないんですけど、今より状況が悪くなる事がないなら行かせて下さい!是非、勉強さして下さい!そんで、サンピエトロの門とか地獄の亡者も前から一度見てみたいと思ってたんで、案内して下さい!お願いします!』

 俺が誠意を込めてそう言うと、ウェルギリウスさんは何も言わずにいきなりすたすたと歩き出した。喋る時はめっちゃ喋るのに、普通そこは何か言うやろって所は言わんかったりすんねん。変わってはるやろ?
 なんせ、俺は彼を信じてついて行く事にしたんや。こうして俺とウェルギリウスさんの旅が始まったわけや。
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