僕の名前を呼んで

文字数 8,757文字

「合格おめでとう、妹ちゃん」
「ありがとうございます」

 高校の合格発表の日、家に帰るとお兄ちゃんとお兄ちゃんの友達の桃李(とうり)君が家にいた。

「これで春から同じ学校に通えるね」
「はい!」
「よろしく、妹ちゃん」

 “妹ちゃん”それが彼が私を呼ぶときの名前だった。
 初めて出会ったあの日からもう二年が経とうとしているのに、未だに彼の中では私はお兄ちゃんの“妹”でしかないことは、そう呼ばれるたびに思い知らされていた。

「あ、合格祝い買ってあるよー」
「受かるか分かんないのに買ってくれてたんですか?」
「落ちたら手土産って言おうと思って」

 酷いことをサラッというと、はいどーぞと桃李君はビニル袋を手渡した。
 中身は見なくても分かる。きっと……

「「プリン」」

 声を合わせた私に、桃李君は正解と笑った。

「妹ちゃんといえばプリンだからねー」
「もういい加減忘れてくださいって」
「いやいや、あれは忘れられないでしょー。強烈な第一印象だったからね」

 二年も前のことを未だに言われると恥ずかしい。でも、あの日は――桃李君とは違う意味で私にとっても忘れられない日だった。
 あの日、初めて桃李君と出会った日、私はお兄ちゃんに猛烈に怒っていたのだ。
 理由は――私のプリンをお兄ちゃんが食べたから。


***


 初めて桃李君に会ったあの日、授業が終わって帰ってくるといつもはない男物の靴が玄関にたくさんあった。

「ただいまー」
「おかえりなさい」
「靴いっぱいあったけどお兄ちゃんの友達?」

 バラバラに脱ぎ捨てられていた靴をそろえると、私はキッチンにいたお母さんに尋ねた。

「そうよー、同じクラスの友達だって」
「ふーん」

 特に興味はなかったし、それよりも昨日の夕方買った新発売のプリンを食べることの方が重要だった私は、お母さんの話を適当に聞き流すとスプーンを取って冷蔵庫に向かった。

「ぷっりんーぷっりんー」

 でも、開けた冷蔵庫の中には――プリンの姿はなかった。

「なんで!?」
「あ……そういえばさっきお兄ちゃんが……」

 お母さんの言葉に私は、勢いよく階段を上ると、バンッという音を立ててお兄ちゃんの部屋の扉を開けた。

「お兄ちゃん! 私のプリン……」
「うわっ、なんだよ! 友達来てるんだから開けるなよな!」

 ベッドの上に転がっていたお兄ちゃんは、私の姿を見ると慌てて立ち上がった。私のことを部屋から押し出そうとするお兄ちゃんの後ろには何人かの男の人が見えた。
 その中にいたのが桃李君だった。

「プリンぐらい買ってやるからあっちいってろって」
「あ…………」
「ほら!」
「いいじゃん、光」
「桃李……」

 押し出そうとするお兄ちゃんの後ろから、桃李君は可笑しそうに笑いながら顔を出した。

「初めまして、君が光の妹ちゃん?」
「あ、えっと……」
「僕は田神桃李。よろしくね」

 その瞬間、ニッコリと笑う桃李君に――私は恋に落ちた。


***


 くだらない理由過ぎて、今思い出しても恥ずかしい。

「あれはもう忘れてください!」
「そう? 可愛いなぁって思ったのに」
「嘘……」
「ホントホント」

 笑いながら桃李君は言う。
 冗談だとわかっているけれど、可愛いと言われたことが嬉しくて……にやついてしまいそうになる口元を私は必死に隠した。

「で、でも」
「ん?」
「あれからホントお兄ちゃんと仲良くなりましたよね。しょっちゅう遊びに来てましたし」

 話題を変えようと思った私は、何の気なしに桃李君に言った。
 でも、その言葉に桃李君はニヤリと笑う。

「光と仲良しだから俺がここに来てるとホントに思ってる?」
「違うんですか……?」

 それ以外何の理由があるというのだろうか――。

「決まってんじゃん。愛梨ちゃんに会いに来てるんだよ」
「っ……!!」

 私の反応を楽しむように、桃李君は再び笑った。だから私は……。

「冗談はやめてくださいよ」
「えー、冗談なんかじゃないのに」
「はいはい、わかりました」

 桃李君の言葉を受け流すと、不服そうな桃李君を放って二階の自室へと向かった。
 制服のままベッドに寝転がると……真っ赤になった顔を枕に埋めた。

「っ……心臓に悪いよ……」

 あんなの桃李君にとっては冗談かもしれない、でも……。

「桃李君のバカ……」

 動悸は収まるどころか、思い出すたびに激しさを増して行った。


***


 高校に入学して数日後、私は部活見学に訪れた体育館で、バスケをしているお兄ちゃんと桃李君の姿を見つけた。

「バスケかー」
「あれ? 愛梨バスケ部入るの?」
「ううん、私運動全然できないんだー」
「あはは、そんな感じする!」

 一緒に回っていたクラスメイトの知佳ちゃんはそう言って笑うけれど、私の視線は桃李君にくぎ付けになったまま動けずにいた。
 普段飄々としている桃李君が真剣な顔をしてバスケをしている姿は、好きな人だからとか関係なくカッコいい。……それが好きな人なら、なおさらかっこよく見えてしまう。

「桃李君、カッコいい……」
「桃李君……? あ、田神先輩のこと?」
「っ……! 私今口に出してた!?」
「出してた、出してた」

 恥ずかしい……。知らないうちに口から出てるなんて……。
 周りに知佳ちゃん以外誰もいなかったのがせめてもの救い……。

「田神先輩かー。私は土屋先輩の方がカッコいいと思うけどなー」
「土屋先輩って……お兄ちゃん!? えー、知佳ちゃんお兄ちゃんみたいなのがタイプなの?」

 へへっと知佳ちゃんは恥ずかしそうに笑った。

「へー……知佳ちゃんがお兄ちゃんを……」
「内緒だよ?」
「じゃあ、私が桃李君のこと言ってたのも内緒ね?」
「――俺がなんだって?」
「ひゃっ!」

 顔を見合わせて笑う私たちの前に現れたのは……たった今その名前を口にしていた桃李君とお兄ちゃんだった……。

「妹ちゃんバスケ部入るの?」
「まさか! 桃李君私が運動神経ダメなの知ってますよね?」
「うん、知ってる」
「なら言わないでくださいよ!」

 当たり前のように言うから……思わずふくれっ面になった私の頬を桃李君は指で突いて笑った。

「怒るなよ、またプリン買っていくから」
「プリンはもういいですー!」
「あ、桃李。あっちで監督が怒ってる」
「うわ、ホントだ。んじゃ妹ちゃんまたねー」

 手を振ると、お兄ちゃんと並んで桃李君はコートへと戻って行った。

「なになに? 田神先輩とめっちゃ仲良しじゃん!」
「仲良しっていうか……お兄ちゃんの妹だから……」
「そんなことないって! あれは脈ありなんじゃないかな?」
「え……?」
「田神先輩も、愛梨のこと好きなんじゃない?」
「桃李君が……?」

 そんなこと、あるんだろうか。ずっと片思いしてきた桃李君が私のことを――。

「なにあれー?」
「一年じゃないの? ちょっと優しくされて調子にのってるんだよ」
「……え?」

 突然聞こえてきた声は、どう考えても私に向けられていた。
 振り返った先にいたのは、お兄ちゃんや桃李君と同じ色のジャージを着た三年生の先輩たちだった。

「桃李君、だって。なにさまー?」
「ちょっと痛いよねー。勘違いしちゃいましたーって?」
「きゃはは、桃李君があんな子相手にするわけないのにねー」
「っ……」

 それは、知佳ちゃんの言葉に舞い上がっていた私の気持ちを、どん底に突き落とすような悪意のこめられた声だった。

「っ……」
「愛梨……。気にすることないよ……」
「う、ん……」

 知佳ちゃんが私の手をぎゅっと握りしめてくれる。
 けれど、声はやむことなく聞こえてくる。

「だいたいさ、桃李君ってなによ。バカにしてるの?」
「ホントだよ。先輩のことを敬えってね」
「後輩のくせにねー」

 先輩……後輩……。
 その言葉は、明確に私と桃李君の間に線を引いた。

「先輩……」
「え?」
「先輩って、呼んだ方がいいのかな……桃李君のこと」
「愛梨……」

 困ったように、知佳ちゃんは笑った。

「私はどっちでもいいと思うけど……でも、そう呼んだ方がああいうふうに言われることは減るかもね」
「そうなの……?」
「まあ、三年生の先輩を下の名前でそれも君付けで呼んでたらどうしても悪目立ちはしちゃうよね」
「そっか……」

 同じ学校に通うってことは、こういうこともあるんだと、改めて思い知らされた。
 ただ桃李君と……先輩と同じ学校に入りたかっただけなのに……。

「先輩……」

 声に出してみると……その言葉は、ずっとずっと桃李君を遠くに感じさせた。


***


 ピピーッと監督の笛が鳴る。コートの中で走り回っていた先輩たちが一斉に私たちの方へと向かってきた。

「お疲れ様ですー。飲み物そっちにあります」
「ありがとー!」

 ほかの部員の人は飲み物を取りに来たけれど、桃李君の姿だけがない。

「あれ……?」

 辺りを見回すと……あの日と同じように入口のところにいた女の先輩たちと話す桃李君の姿が見えた。

「…………」
「あ、妹ちゃん」

 私の視線に気付いたのか、桃李君がこちらを振り返った。
 つられるように、そばにいた先輩たちも私の方を見た。――まるで、蛇がマングースを睨みつけるように。

「あ、あの……」
「どうしたの?」
「せ、先輩もこれどうぞ!」
「……ありがとう」

 一瞬、間が開いたように感じたけれど……桃李君はニッコリと笑うと私の手から飲み物を受け取った。
 結局、私は部活には入ることなく、バスケ部のマネージャーになっていた。これなら桃李君のそばにいても変じゃないしと言った私を知佳ちゃんが呆れたように笑ってたっけ。

「ね、妹ちゃん」
「ひゃっ!」
「何その声」

 桃李君は可笑しそうに笑う。

「だ、だって……先輩たちはもういいんですか?」
「うん、もう終わったから。ね、ところで絆創膏ってあるかな?」
「あ、はい。ちょっと待ってくださいね」

 救急箱の中から見つけたそれを桃李君に手渡すと、指先が触れた。

「っ……」

 たったそれだけなのに、指先から電流が走ったみたいにドキドキする。

「ふっ……」
「え……?」
「妹ちゃん、顔真っ赤」
「そ、そんなこと……!」

 くつくつと笑う桃李君にからかわれたのだとわかる。

「もー! ほら、そろそろ休憩終わりますよ!」
「はいはい」
「頑張ってくださいね、先輩」

 今度は自然に、言えたんじゃないだろうか。
 チラッと先輩たちの方を見ると、何か言いたげに、でも特に何を言うでもなく、桃李君に手を振ると体育館から去って行った。
 ――あの日から少しずつ、桃李君ではなく先輩と呼ぶように心がけていた。
 あの先輩たちから言われたのもあるけれど……マネージャーになった以上、一人だけ名前で呼んでいたら不自然だ。……お兄ちゃんのことはお兄ちゃんって呼んじゃうけれど、それは許してくれると思いたい。

「……今の、なに」
「っ……」

 でも、桃李君は私の言葉にあからさまに不機嫌そうな表情を見せた。

「聞き間違えかな? 今なんて言った?」
「え……」
「さっきは他のやつらがいたからかなって思ってたけど、妹ちゃん俺のこと……」
「――桃李、監督キレてるから」
「ちょ、光!!」

 何か言おうとした桃李君を――タイミングよく現れたお兄ちゃんがコートへと引きずって行った。

「……びっくりした」

 私の言い方が不自然だったんだろうか。
 もっと、もっと自然に……。
 でも、なんとなく――他の先輩を呼ぶように、桃李君を先輩とは呼べない、呼びたくない自分がいた……。


***


 あの日から……私が先輩と呼びかけるたびに、桃李君は不機嫌そうに返事をした。
 そんなに私から先輩と呼ばれるのが嫌なのだろうか……。私自身が先輩と呼びたくないことは棚上げして、そんな桃李君の態度に傷ついてしまう。

「はぁ……」

 体育館へ向かう足取りが重い。今日もまたあんなふうに不機嫌な表情を向けられるんだろうか……。

「嫌だなぁ……」
「どうしたの?」
「え……?」

 立ち止まった私に、後ろから誰かが声をかけた。振り返るとそこには――クラスメイトの三嶋君がいた。

「部活行かないの? 今日バスケ部ある日だよね」
「あ……うん。三嶋君はバレー部だったっけ?」
「そうだよ、知ってくれてたんだ」

 ニッコリと笑うと、三嶋君は私の隣に並んだ。

「いつもさ、体育館で土屋さんのこと見てたんだよね」
「え?」

 一瞬、ドキッとした。
 けれど――。

「マネージャーがいるのいいなーって」
「あ……」

 勘違いしそうになった自分が恥ずかしくて曖昧に笑うと、そんな私に三嶋君は内緒話をするように耳元に顔を寄せた。

「あんなふうに土屋さんに応援してもらえたら、部活頑張れるのになって思ったよ」
「え……それって、どういう……」
「ん? 内緒」
「三嶋君……?」
「ごめん、先行くね!」

 そう言って笑う三嶋君の耳が赤くなっているのに気付いてしまって……私はどうしていいのか分からないまま、その場に立ち尽くしていた。

「――妹ちゃん」
「っ……!! あ……」

 私を呼ぶ声に振り返ると、そこには――桃李君の姿があった。

「と……先輩……」
「先輩、ねぇ」
「え……?」
「ううん、なんでも。体育館行かないの?」
「あ、行きます……」

 なんとなく黙ったまま歩く私に、ねえと桃李君が言った。。

「さっきのやつ、誰?」
「え……?」
「妹ちゃんと仲良さそうに話してたやつ」
「あ……クラスの子です」
「ふーん?」

 それっきり桃李君は何も言わなかった。
 ただ、気まずい空気が私たちの間に流れていた。


***


「ただいまー」

 久しぶりの部活休みの日、家のドアを開けると、見慣れた靴がそこにはあった。

「おかえり」
「ただいまです……。あの、お兄ちゃんは?」
「あー今コンビニ行ってる」
「そうですか……」

 あの日から、なんとなく気まずくて桃李君とは最低限のこと以外話せずにいた。
 だから、思いがけず二人きりになると――何を話していいのか困る。

「あ、先輩。ジュースでも飲みます?」

 この空気を何とかしようと必死に話しかけた私に――桃李君は何故か冷たい視線を向けた。

「先輩?」
「……先輩、ねぇ」

 そう言ったかと思うと、桃李君は私のそばに来て――手を掴んだ。

「っ……な……」
「ねえ、妹ちゃん。どうして先輩って呼ぶの?」
「え……」
「どうして?」
「それ、は……」

 あの時私にいろいろ言ってきた先輩たちは桃李君のクラスメイトだとあとで分かった。その先輩たちを悪く言ってしまってもいいのだろうか――。
 桃李君の友達かもしれないのに……。

「なんとなく、です……」
「ふーん?」
「先輩……?」
「……俺もう、先輩って言ったら返事しないから」

 桃李君は握りしめた手に力をこめると、そう言った。

「え……?」
「わかった?」
「冗談、ですよね……?」
「冗談だと思う?」
「どうして――」
「ただいま。……何かあったのか?」
「べっつにー」

 訳が分からず、理由を尋ねようとしたけれど、帰ってきたお兄ちゃんに遮られてしまった。
 そのあと、いつも通り夕方まで過ごすと桃李君は帰って行った。
 ただ、桃李君が私を見ることは一度もなかった。


***


 宣言通り、あの日から何度呼びかけても桃李君が返事をしてくれることはなかった。
それどころかここ数日はテスト前の部活休みが重なったせいで、桃李君の姿を見ることすらなかった。

「なんで……」
「大丈夫?」
「うん……」

 理由が分からなかった。他の子が先輩と呼んでも返事をするのに、どうして私だけ……。

「理由聞いてみたら?」
「聞いてみた」
「そしたらなんて?」
「自分で考えろって言われた」

 私の答えに、知佳ちゃんはため息をついた。

「分からないから聞いてるのにね」
「ホントだよ……」

 大きなため息をつくと、私は買ったジュースを持ったまま階段に座り込んだ。

「……ホントは私だって桃李君って呼びたいよ」
「愛梨……」
「でも、あんなこと言われたら……」

 気にしなきゃいいという人もいるかもしれないけれど、そこまで私は強くない……。なのに、桃李君にまであんな態度取られたら……。

「辛いよ……」
「愛梨……。ちょっと待ってて!」
「え……知佳ちゃん……?」
「すぐ戻るから!」

 そう言ったかと思うと、知佳ちゃんはどこかへ走って行った。
 一人になると、どんどんと気持ちが落ち込んでくる。

「桃李君……」

 思わず俯いた私の頭上に、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「調子に乗ってるから嫌われたんじゃないのー?」
「ふふ、それ以上言っちゃダメだよー」

 顔を上げるとそこには――何度か体育館で姿を見た、あの先輩たちの姿があった。

「何ですか……?」
「桃李君に優しくされて勘違いしちゃった?」
「恥ずかしいねー。桃李君に冷たくされてやっと迷惑だったって気付けた?」

 ケラケラと先輩たちは笑う。

「っ……」

 言い返したかった。でも――口を開く前に、私の瞳からはポタポタと涙が溢れた。

「やだー私たちが泣かせたみたいじゃない」
「自業自得でしょー? 鬱陶しいから嫌われたの。わかりなさいよね」

 次から次へと涙が零れ落ちる。
 もう限界だった。

「助けて……桃李君……」
「はーい」
「え……?」

 聞こえた声に顔を上げると……そこには会いたくて会いたくて仕方がなかった、大好きな人の姿があった。

「どうして……」
「妹ちゃんが、呼んだから」
「え……?」
「っていうのは、嘘で。……妹ちゃんの友達が俺のこと呼びに来てくれたんだ。愛梨が泣いてるって」
「知佳ちゃん……」

 どこに行ってしまったのかと思っていたけれど……桃李君を呼びに行ってくれていただなんて……。

「どうしようか悩んだんだけど……でも、来て正解だったよ」

 桃李君は先輩たちの方を見ると、ニッコリと笑った。

「ねえ」
「っ……」
「この子泣かせたの、誰?」
「あ……」
「俺の大事な子、泣かさないでくれるかな」

 桃李君、と呼びかけようとした先輩たちの声を遮ると桃李君は冷たい視線を向けた。
 そして――。

「俺のこと、名前で呼んでいいのはこの子だけだから。ただのクラスメイトが馴れ馴れしく呼ばないでくれる? 迷惑なのわかんない?」

 桃李君が冷たく言い放つと……先輩たちは泣きそうな顔で走って行った。
 残されたのは、私と桃李君の二人だけ――。

「大丈夫?」
「……桃李君……?」
「うん?」
「さっきのって……どういう……」

 私の言葉に、呆れたように桃李君は笑った。

「あのね、いくら仲が良くても部活が休みのたびに高校生男子が友達の家に遊びになんて行かないでしょ。気付きなよ」
「え……?」
「中学生のうちはダメだって光が言うから、妹ちゃんなんてふざけて呼びながら高校生になるまで待ってたのにさ」
「お兄ちゃんが……?」

 どういうことだろう。それに待ってたって……。

「やっと高校生になったと思ったら、他の男にちょっかいかけられてるし」
「ちょっかいなんて……」
「それに――愛梨ちゃんは俺のこと、先輩なんて呼びだすし」
「今……」

 愛梨ちゃんって……。

「だから、ちょっとだけ意地悪しちゃった」

 そう言って桃李君は笑う。
 けれど、私の頭は突然の出来事に理解が追い付かず……どういうこと? と尋ねるのが精いっぱいだった。

「鈍いなぁ、わかんない?」
「わかん、ない……」

 本当はちょっとだけわかっていた。でも……桃李君の口から、きちんと聞きたかった。私の勘違いなんかじゃないって、桃李君の口から直接――。。

「好きだよ」
「っ……」
「愛梨ちゃんのことが、好きだよ」
「あ……」

 止まっていたはずの涙が、再び溢れ出す。
 嬉しくて、嬉しくて、次から次に涙が頬を伝う。

「俺が泣かせちゃった」
「桃李君……」
「意地悪しちゃってごめんね」

 そう言って桃李君は、私の頭を優しく撫でた。
 どれぐらいそうしていただろう……落ち着いた? と尋ねる桃李君の声で私は慌てて立ち上がった。

「も、もう大丈夫です!」
「ホント?」
「はい!」
「そっか」

 そう言うと、桃李君はニッコリ笑って私の手を取った

「行こうか」
「あ……」

 歩き出す桃李君の腕を引っ張ると、私は背伸びをして桃李君にだけ聞こえるように耳元で囁いた

「私も、桃李君が大好きです」
「……知ってるよ」

 そっぽを向いた桃李君の頬が少し赤くなっているに気付いてしまう。……そんな桃李君が可愛くてクスッと笑った私の顔を覗き込むと――桃李君はかすめ取るようなキスをした。
 そして――。

「愛梨ちゃん」
「っ……」
「もう離さないから覚悟しといてね」

 そう言って、桃李君はあの日と同じようにニッコリと笑った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み