その1 常盤[ときわ]

文字数 968文字

【前説】
 常盤御前(ごぜん)がどんな人かというと、源義経のお母さんです。夫の源義朝が戦死した後、義経を入れて三人の子どもたちとともに平家方にとらわれました。
 伝説では、平清盛は子どもたちの命を助ける代わりに、常盤を側室にした、ということになっています。つまり常盤さんは、夫の敵だった人の妻にされてしまったわけです。

* * * * * * * * * *

 かの女は、自分をかえりみて、おりおり、ひとり心のうちで、怪しみもした。その恥じらいに、たれもいない泉殿の窓で、からだじゅうを熱くし、ひとりして顔を染めてしまうことすらある。(中略)
「自分は、浅ましい女なのであろうか」
 夜の(ねや)に、ひとり、問いつ、もだえつ、することもある。
 女体という熱い白磁の器は、ふしぎな血のみちている壺である。その中には、極めて、矛盾していて、また極めて自然に、いく色もの心がひとつに棲んでいる。そして、どれが、本性の血か、自分でないものの血か、わからない。
 いや、自分でないものが、自分の中に在り得ようはずはない。うずく肉、もだえる想念、すべて自分自体にちがいない。――と考えては、身の浅ましさに、サメザメと、春の夜半をひとり泣くかの女であった。その涙恨(るいこん)には、子への思いや義朝へ詫びもしながら、また、ふしぎなほど体が待つ、清盛への(えん)な恨みもともに、枕をひたすのであった。
 女の二十三という肉体は、春ならば今ごろの季節にもあたるのであろう。義朝とは、熱い恋をし、子まで()しても、なおかの女の体は、早春のさわらびか、つぼみのかたい花だったにちがいない。ようやく、いや突として、かの女自身すらおどろき怪しんだ女の体の春の曙が、意地わるく、いま、義朝ならぬ男によって、訪れられているのではあるまいか。
「罪ふかい女性(にょしょう)の身よ」
 と、かの女は、自分を泣いた。かの女ばかりでなく、平安朝の女、以後の世代の女性も、こういう想いに、黒白(あやめ)もなく、ただ泣いていたのである。

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【感想】

 ……

 ……

 ないない。笑
 いや、ない。ほんとに。笑

 千年ものあいだ、こうしてオカズにされてきた常盤さんが痛ましいです。
 私が義経だったら、嫌だな。
 自分のお母さんをこんなふうにオカズにされたら。


※吉川英治『新・平家物語』「常盤木の巻」より(新潮文庫第3巻、67-69ページ)
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