エピソード文字数 2,399文字

 開場時間になった。私たちは準備を始める。

 握手会は、一人ひとりが個別に仕切られて行われる。私が第一レーン、結衣が第二レーン、というように、だいたいフォーメーションに従った順番だ。メンバーとファンの間には、安全上の配慮として、柵が置かれる。ファンの側にスタッフが配置され、スムーズに進行するよう誘導する。

 冬交は、デコルテの見えるTシャツ、膝上のミニスカートという、攻めに攻めたスタイルだった。身を削っているな、と感心してしまう。私は、髪はいつものストレート、白い薄手のニット。スカートにはしたけれど、冬交のように短くはない。

 もしかして、太ももを晒したら、今よりも人気が出るだろうか。でも、秋ヶ瀬の制服は膝丈なのだ。運営だって、売れるためなら何だってやる、という鬼ではない。

 騒がしくなってきた。パーティションで仕切られているから、会場の中は見えない。ただ、スタッフのアナウンスもされているし、ファンが並び始めたことはわかった。

「はぁ……」隣の結衣が溜息をつく。
「緊張してる?」
「うん、まだ慣れないなぁ……」
「それは、ファンの人も同じだと思う。ユイ以上に緊張してるよ」
「そうかなぁ。ナノは平気?」
「平気……、うーん、私もどちらかといえば大人しいから、そういう意味では、楽しんでもらえてるのかわからなくて不安だけど。あ、さっきね、トウカが言ってたんだけど、ナノはそこにいるだけでいいんだって。なんか、複雑になっちゃった」
「ふぅん……。それは、ちょっとわかるかも。ほら、特にナノは、秋ヶ瀬のファン以外の人もよく来るんでしょ?」
「うん、そうだね」
「ナノを一目見たい、って人はいっぱいいるんだよ。そういうことだと思う」
「それなら、ユイだって同じだよ」
「でも、だからといって、突っ立ってるだけじゃだめじゃん? どうすればいいかな……」

 ずいぶん悩んでいるようだ。そんな顔も可愛いのだから、無敵ではないか、と思ってしまう。でも、本人にとっては深刻な問題なのだ。

 開始時刻が迫る。すぐ近くに人の気配を感じる。もうすでに、会場いっぱいにファンがいるのだ。

 鏡を手に取る。念のための最終チェック。軽く口角を上げる。コンディションは悪くない。

 いるだけでいい、か。

 どういう意図で言ったのだろう。またしても考えてしまう。

 冬交は、もちろん悪い人ではない。ただ、頭は良い。相応の意味を込めて言ったのにちがいない。

 もしかしたら、皮肉られたのではないか。

 お前は、ルックスだけの存在だと。

 それ以外、誰も興味がないのだと。

 実際、冬交のほうが高く評価されている点はたくさんある。特に「秋ヶ瀬に吹かれて」では、名シーンが数多い。それだけ、彼女の言動が面白いという証拠だ。

 いっぽう、私は基本的に受け身だ。話を振られても、曖昧なリアクションしかできない。今までは、それで許されていたのも確かだ。

 ただ、これからは、それではいけない。

 私だって、あと数年で大人になる。

 その頃には、もっと若くて可愛い後輩が入ってくるかもしれないのだ。

 そうなったら、ルックスだけの私にアドバンテージはない。ファンは、新しいメンバーに簡単に乗り換えてしまうだろう。

 アイドルに、必要なもの……。

 瑛琉の言葉を思い出す。

 私、いるか?

 たとえセンターを務めていても、自分がグループに必要かなんて、わからないのだ。

 開始のアナウンスが流れる。結衣は「またね」というように軽く手を上げ、レーンの中へ入っていく。

 首をふり、切り替える。

 今は、そう……、

 向き合わなければ。

 私を好きでいてくれる人と。

 一人目。若い男性。もう顔馴染みといっていい人だ。今まで、何十回と来てくれているはず。

「おはよう」私はさきに挨拶。同時に、両手を握る。
「おはよう。今日一番取れたよ!」
「すごい! いつもありがとう」
「うん、今日もいちばん可愛いね」
「そう? 嬉しい」

 お時間です、とスタッフさんが言う。

「また来るから!」
「ありがとう、またね」

 手が離れる。

 手を振る。

 見えなくなる。

 二人目。男性。黒縁のメガネをかけている。この人も、何度も来てくれている。

「おはよう」先制挨拶。
「おはようございます。あの、あれ観ました、面白かったです」
「ん? 『あきれて』?」
「うん、そうそう。いつも可愛いです」
「そうかな? ありがとう」
「うん、またあとで来ます」
「ありがとう、待ってるね」

 お時間です。

 三人目、四人目、五人目……、

 めっちゃ可愛いね、

 ありがとう、

 初めて来ました、

 会えて嬉しい、

 今日の服いいね、

 そうかな、

 グラガー聴いてます、

 私も好き、

 十人目、十一人目、十二人目……、

 もう、何人目かはわからなくなった。

 男性、女性、男性、男性、女性、男性、女性、

 おはよう、

 おはよう、

 めっちゃ可愛い、

 ありがとう、

 テレビ観てます、

 ありがとう、

 歌声好きです、

 ありがとう、

 いちばん好きだよ、

 私も好き、

 ライブ行ったよ、

 ありがとう、

 眠そうだね、

 今は起きてる、

 一生推します、

 約束ね、

 手を握り、

 手を離し、

 握り、

 離し、

 お時間です。

 お時間です。

 お時間です。

 お時間です。

 入れ替わる。

 流れていく。

 一人ひとり。

 見つめ合う。

 笑っている。

 緊張している。

 嬉しそうに、去っていく。

 私は、笑っている?

 私は、可愛い?

 ナノ、

 あなたは今、可愛い?


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登場人物紹介

上坂奈乃 カミサカ・ナノ

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