第1話

文字数 4,124文字

                     問題編

 サクソフォーンが奏でるジャズミュージックときちんと整えられた頭髪に口髭を生やしたバーテンダがカウンタの中でシェイカを振る音だけが聞こえる薄暗い店内、片隅では常連と思しき恰幅の良い中年男性が葉巻を燻らせる、そんな典型的なイメージが展開される市内のバー、そのバーカウンタで瑞穂は一人、ジンベースのオリジナルカクテルを傾けていた。自分をイメージして作ってくれたというそのカクテルがどうしてパステルカラーの水色なのかは彼女自身よくわかっていなかったけれど漂う雰囲気をバーテンダが察してくれたのだろう。
カウンタの上に置かれたスマホに彼女は時々視線を向けるが連絡が入ってくる気配はない。もしかしたらここが地下だから電波が届いていないのかしら、と不安に思って確認するけれど電波はこれでもかというくらい感度良好で連絡がないのはひとえに相手の意思によるものだろう。バーの唯一の出入口であるドアが開いてカウベルの小気味良い音が響くたびに瑞穂はそちらの方へと視線を向けるが現れたのは待ち人ではなかった。茶系のジャケットを羽織った痩身の男。
 「いやぁ、参った、参った、雨が降ってくるんだもの。天気予報でそんな事を言っていましたっけ?」
 そうバーテンダに知った感じで言うと濡れた頭を片手でさっと掻き上げながら彼は瑞穂の座る位置から二つ空けたカウンタの椅子へと腰を下ろす。横目で瑞穂が様子を伺った時、男と視線が合い、彼は軽く微笑むと会釈をしてきた。瑞穂は焦りながらも会釈を返す。
 「いつものね。」
 彼は人差し指を立ててバーテンダに注文する。常連なのだろう、バーテンダは無言でこくり頷くとあっという間にライムを添えた透明の液体を彼へと差し出した。
待ちぼうけを食らった上に雨にまで降られるなんて本当に厄日なのね、瑞穂はいつまでも来ない連絡にしびれを切らしていた。あと五分、あと五分待って連絡がなければもう帰ろう、彼女はスマホを両手で持って画面と向き合った。そんな彼女の前にバーテンダがカクテルをもう一杯差し出した。
 「え・・・?」
 瑞穂は驚く。彼女自身は注文をしていなかった。注文を忘れているほど酔ってもいない。
 戸惑う瑞穂にバーテンダは右手で彼女の左方向を指し示した。ゆっくりとそちらの方を向くと来たばかりの男が瑞穂を見つめながら小刻みに片手を振っていた。
 ああ、これが映画などで見た覚えのあるあれか・・・、瑞穂は胸の内で苦笑した。彼女が差し出されたモスコミュールに手を付けられずにいると男がゆっくりとした足取りで近づいてきて瑞穂の左隣へと座る。
「お一人ですか?」
 男が自らのカクテルグラスを目線の高さに掲げた状態で尋ねる。自分の周りに誰かが見えているのだとしたら逆に教えて欲しい、瑞穂は思う。
 「ええ、約束をしていたんですけどすっぽかされたみたいです。」
 瑞穂は強がって笑ってみせる。
 「それは幸運です。そのお友達が約束をすっぽかしてくれたことでこうやって貴女とお話することが出来たんですからね。それ僕からのささやかなプレゼントです。よかったら一杯だけ付き合ってくださいよ。」
 男は臭い台詞を臆することもなく言う。自分の容姿に酔っているのか、本当に酔っていなければ言えないような台詞だ。確かに飲み足りないとは思っていたので瑞穂は男の申し出を受け入れる。
 「じゃあお言葉に甘えて。」
 「奇跡的な出会いに。」
 吹きだしてしまいそうな殺し文句を我慢しながらカクテルグラスを合わせた。
一杯のカクテルグラスを飲む間、男はずっと話しかけてくる。普段なら聞き流すような話でも奢ってもらっているという引け目もあって瑞穂は適当に相槌を打ちながら耳を傾ける。それがさらに男を増長させたのだろう、この女は自分の魅力にひかれつつあると錯覚させたのか自分語りが終わらない。バーテンダに追加でジントニックを注文するとさらに話を続ける。瑞穂は そろそろ胡散臭い話も聞き飽きてきたのでグラスを一気に煽って さようなら、しようと考えていた。
 「ご馳走様。それじゃあそろそろ終電も近いので帰りますね。」
 瑞穂が席を立とうとすると男は彼女の手を掴んだ。
 「ちょっと待って。このままお別れっていうのもなんだか寂しいからさ、連絡先だけでも交換しない?」
 「えっと・・・、それはちょっと・・・。」
 瑞穂は答えに窮した。所詮、目の前の男とはたまたま同じ場所に居合わせただけの間柄で別に打ち解けた関係になったわけではない、奢ってもらったので男が勝手に話すのを聞いていただけ。いうなれば人間の形をしているラジオを聴いていただけに過ぎない。旅先でしか聞けない地元のFMみたいな感覚でさらに聴きつづけたいとも思わなかった。
 「オーケー、わかった、わかった。じゃあこうしよう。」
 断るオーラを瑞穂が出しているのを察してか、男は第二案を申し出た。そうして鞄の中からファイルを取りだすとそこから一枚の白紙を取りだした。サイズはA4だろう、見慣れた大きさの用紙サイズで瑞穂にはすぐに分かった。しかし、それで何をするというのだろうか、そこに連絡先を書けとでも言うのなら同じことだ。
 男はまず白紙を縦に三つ折りにした。
 次に横に三つ折りにして折り目がきちんとつくように掌で真上から四角い紙片となった白紙を押さえつける。
 次に折った白紙を広げていき、元のA4サイズの大きさに戻す。当然の様に折り目が付いていて九つのブロックに分かれている。今度はそれを折り目に従って手で切っていく。
 九枚の白紙が瞬く間に出来上がった。
 その一枚をどこにでもあるボールペンと一緒に瑞穂へと手渡す。
 「まずそこに君の嫌いな食べ物を書いてくれるかい?僕は後ろを向いて目をつぶっておくから。」
 男は真面目くさった顔で言う。
 「嫌いな食べ物ですか?」
 「そう。そして書き終ったらそれを僕には見せないで伏せておいて。」
 「はい。わかりました。」
 瑞穂は言われた通りにその紙に嫌いな牛乳と書いた。食べ物と指定はあったが同じ口に入れるものだからセーフだろう。
 「書き終えました。」
 指示された通りに瑞穂は書いた紙を伏せて手元に置く。
 「次に この紙に好きな食べ物を書いて欲しい。四枚・・・、否、八枚使った方が良いかな。好きな食べ物を八つ挙げられる?」
 「多分、大丈夫だと思います。」
 「じゃあ同じように好きな食べ物を書き終えたら嫌いな食べ物を書いた紙と一緒にして気が済むまでシャッフルして。」
 「わかりました・・・。」
 何がしたいのか彼の意図が見えないまま瑞穂は言われた通りに好きな食べ物を一枚ずつ紙に記入していく。意地悪をするつもりはないが癖があって好き嫌いの意見が分かれるパクチーも好きな物の中に入れた。記入し終えると男の言うとおり先に牛乳と書いた紙と一緒にしてシャッフルを繰り返した。
 「できましたよ。」
 瑞穂が言うと男が振り返った。
 「これで君の好きな物を見事に当てることが出来たら凄いと思わないかい?」
 「九分の一の確率ですから余程、運が悪くない限り可能だと思いますけど?」
 瑞穂は皮肉めいて言う。
 男は九枚の紙を手に取るとその一枚ずつを読んで、一枚、また一枚とカウンタの上に重ねていく。引っかかりそうなパクチーが書かれた紙を手に取って男がその動きを一瞬止める。パクチーと答えるか、瑞穂は表情を読まれないようにポーカフェイスで男の動向を見守った。しかし、首を振ると彼は先の好物が書かれた紙と同様にそれをカウンタの上に置く。
 「これ絶対に引っ掛けだよね?」
 男は苦笑しながら言った。
 「君の苦手な物はこれだ。」
 そう言って男が差し出した紙片には彼女が嫌いな牛乳という文字が書かれていた。
「当たりです・・・。」
 瑞穂は素直に驚いて賞賛する。
 「どうしてわかったんですか?」
 「さあウォーミングアップは終わりだよ。いよいよここからが本題。」
 男はそう言うともう一度ファイルの中から同じA4の白紙を取りだした。そうして同じ手つきで白紙を縦に三つ折り、横に三つ折りにして、九枚の紙片を作りだした。
 そうしてまたその中の一枚を手に取るとペンと一緒に瑞穂へと差し出す。
 「じゃあこれに君の携帯の番号を書いてくれる? もちろん書いたらさっきと同じ要領で伏せておいて。僕は同じようにまた振り向いて目をつぶっておくから。」
 そう言うと彼は瑞穂に背中を向けた。本当に目を閉じているのか疑わしかったので瑞穂はまわり込んで彼の横顔を見た。その瞼は堅く閉じられていて瑞穂の視線にも気が付いていないようだった。椅子へと戻って瑞穂は仕方なく電話番号を書き込み始める。その時にある可能性を思い立って書いている手を止めて彼女はバーテンダを見た。彼の入ってきた時の様子から見るとどうやら男とバーテンダは顔見知りのようだ。バーテンダの彼が瑞穂の書いている答えを盗み見て教えている可能性だってあるわけだ。しかしバーテンダの彼はショットグラスを布で拭いてこちらに視線を向けようともしていなかった。それでも念のために手元を隠しながら瑞穂は書く。
 「書き終えたら残りの紙に嘘の番号で良いから書いてくれるかい? 僕はそのうちの一枚を持って今日は帰る。繋がらなかったら君の事は諦めるけれど 繋がったら今度はデートしよう。」
 瑞穂は言われた通り残りの八枚の紙片に電話番号を思いつくまま書いた。そしてそれをさっきの時と同じようにシャッフルする。
 「できました。」
 「ありがとう。」
 そう言うと男はカウンタの上に紙を一列に並べてさっと見回すと迷わずにその中の一枚を手に取る。マジシャンのような手つきで胸ポケットから電話を取りだすと紙片に書かれた電話番号をダイヤルした。間をおかずしてカウンタの上においてあった瑞穂のスマホに着信が入る。画面に映し出されたのは知らない番号だった。
 まさか・・・、瑞穂は手に取るとスマホを耳にあてた。
 「もしもし、約束通り今度デートしようね。」
 陽気な声で目の前の男がそう言うと手を振った。

 Q 男は一体どうやって彼女の番号を手に入れたのだろうか?
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