第12話 葛藤

文字数 2,752文字

 食事中も戦争だった。
 食事介助が必要な利用者は4人。雅司はそれぞれのテーブルを行き来し、料理を口に運んでいった。
 介助のいらない利用者の観察も怠らない。咳き込んだりすれば、すぐに向かい対応していた。




「何よこの料理! 味が全然ないじゃない!」

 食堂に響く、佐藤の怒声。見ると、肩を震わせ雅司を睨みつけていた。

「マジですか? ごめんなさい佐藤さん、厨房の人間にはきつく言っておきますから」

「何なのよこれ! こんなまずいご飯、食べたことがないわ!」

「本当、すいません。気をつけます」

「ちょっといいかな」

「どうされました、渡辺さん」

「朝からずっと言ってるんだが、息子に会わせてほしいんだ」

「息子さんですよね。明日の昼に電話しますって、連絡ありましたよ」

「そうなんですか、分かりました、ありがとう」

「いえいえ……って、小林さーん、立ったら危ないですよー」

 笑顔でそう言い、小林の元へと向かう。

「食べ終わったらお布団に行きますからね。しっかり食べてくださいね」

 食事が終わった人間から、順に薬を飲ませ、義歯を回収する。
 食事が済み、立ち上がろうとする利用者たち。彼らを観察しつつ、誰から介助すればいいか考える。

 途中、佐藤がまた怒鳴ってくる。

「帰るから! 今すぐ帰るから!」

「佐藤さん佐藤さん、息子さん、明日の朝に迎えにきますよ」

「そうなの?」

「ええ。だからあと一日、よろしくお願いしますね」

「分かったわ、ありがとう」

「でも、佐藤さんがいなくなったら寂しくなりますよ」

「また来るわよ」

「本当に? 楽しみに待ってますね」

「ええ、約束よ」

「長男さん、朝に来ますから。今日は早めに休んで下さいね」

「そうするわ。お部屋に戻ってもいい?」

「勿論です。もう準備出来てますよ」

 そう言って、佐藤の手を取り居室に誘導する。
 小林が何度もテーブルの脚を蹴っている。そろそろ限界のようだった。
 自分で更衣出来る佐藤を居室に入れると、雅司は小林の元へと向かい、紐を外して車椅子を押した。

「お待たせしてごめんなさい。それじゃあトイレに行って、それから着替えて。お布団にいきましょうね」

 排泄介助を済ませ、寝間着に着替えさせる。その間、何度も食堂の様子を確認することも忘れない。
 小林を寝かせ食堂に戻った頃には、雅司は汗だくになっていた。

「ちょっといいですかな」

 渡辺だった。

「息子に会わせてほしいんだ。ずっと頼んでるんだが、どうなっているんだ」

「息子さん、明日のお昼に電話するって言ってましたよ。その時、しっかりお話ししてくださいね」

「明日の昼ですか……ひょっとして、さっきも聞いたかな」

「いえ、初めてですよ」

「昼ですね。分かりました、ありがとう」

「ゆっくり休んで下さいね」




 全員の更衣を済ませ、食堂、廊下の消灯。時計は20時をまわっていた。

「……」

 冷蔵庫からスポーツドリンクを取り、流し込む。
 出勤してから初めての水分補給だった。

「ふうっ……」

「大丈夫?」

「ああ、大丈夫だ。それよりごめんな、全然相手出来なくて」

「あなたってば、何でそこで謝るのよ。私の方こそ、手伝えなくてごめんなさい」

「いやいや、これは俺の仕事だから」

「……毎日こんな感じなの?」

「今日はわりと穏やかだったよ」

「これで穏やかって……何て所なのよ」

「ははっ。初めて見たなら、そう思うかもな」

「思うなんて物じゃないわよ。こんな仕事を一人でなんて、無茶苦茶よ」

「新人が続かないの、分かるだろ」

「ええもう、十分すぎるほどにね」

「まあ、慣れの問題だと思うけどな」

「それにしても限度があるじゃない。この3時間、あなたずっと走り回ってたのよ」

「まあそうだな。最初からクライマックス、ってやつだ」

「それも笑顔でね」

 そう言って、雅司の頭をそっと撫でる。

「大変な仕事をしてたのね……でもこんな状況でも、あなたはずっと穏やかに笑ってた。すごいと思うわ」

「こっちの感情、相手に伝わるからな。余裕がなくなったり怒ったりしていたら、それだけで利用者が不穏になっちまう。そうなったら、こんな物じゃ済まなくなる。戦争だ」

 ははっ、と乾いた笑いで応える。

「何か言いたいこと、ありそうな顔だな」

「それは勿論。でもまだ始まったばかりだし、今はやめておくわ」

「じゃあ明日、帰りに飯でも食いに行くか」

「いいの?」

「ああ」

「疲れてるんじゃ」

「まっすぐ帰った所で、疲れが取れる訳じゃないだろ」

「じゃあ、メイに伝えておくわね。遅くなるって」

「呼んでもいいんだぞ」

「いえ……多分あの子、分かってると思うから」

「そうか。じゃあ二人で食いに行こう」

「ねえ雅司。聞きたいことがあるのは本当。仕事の邪魔になりたくないから、終わるまで我慢するつもり。でも一つだけ、今聞いておきたいことがあるの」

「いいよ。何が聞きたい」

「車椅子、テーブルに縛ってたわよね」

「そのことか」

「ごめんなさい。あなたの仕事に文句を言うつもりはないの。ただね、どうしても納得出来なくて」

「大丈夫だぞ。お前の感じてる違和感、そっちが正常だから」

「……」

「あれは業界用語で『拘束』と言う。利用者の自由を奪う行為で、法律で禁止されてる」

「禁止……されてるんだね」

「当然だ。どんな理由があったとしても、個人の自由を妨げてはいけない。まして彼らはお客様なんだ」

「じゃあどうして」

「ここの方針なんだ」

「……」

「家族さんには言ってないよ。訴えられるからな」

「言ってないんだ……それなのにこんなことを」

「最低限の人数で介護する。これは業界の基本。そうして人件費を抑えて、少しでも利益を上げようとする。でもそうすると、コミュニケーションを満足に取れない人や、こちらの訴えを理解出来ない人、そういう人たちの安全が保障出来なくなる。
 立つことも出来ない利用者の中には、それ自体を忘れてる人もいる。だから健康だった時と同じように、動こうとする。歩こうとする。どうなると思う?」

「転倒……事故が起きる」

「俺がいた5年の間にも、何度となく事故はあった。骨折した人もいるし、それが元で寝たきりになった人もいる。そうすると家族は怒る。酷い施設だって」

「……」

「そういうことが続いた結果、拘束すると言うルールが出来たんだ」

「そうしないと、事故が起きるというのは分かるわ」

「でも、人道的に考えたら完全にアウトだ」

「……よね」

「俺らの中にも葛藤はある。こんなことをする為に、この業界に入った訳じゃない。そう言ってやめた人もいる。会社の方針に逆らって、拘束しないやつもいた。でもな、そんな時に限って事故は起きるんだ」

「そうなると、施設としては益々拘束を推奨する訳ね」

「そういうことだ。事故の責任をとれるのか? 家族にどう言い訳するんだ? そう言われたら、俺たちには何も言い返せない」

「……」
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