第2話 悪魔の囁き

文字数 2,544文字

「悪魔……」

 そうつぶやき、女を凝視する。
 この存在感。納得だ。

「驚かないのですね。悪魔と聞いても」

「これから死のうとしてるんだ。その程度じゃ驚かないさ」

「そして信じてる」

「自分を悪魔と思い込んでる、いかれたやつ。そういう解釈も出来る。でも、あんたが嘘や妄言を吐いてるようにも思えない」

「理解が早くて助かります。これをクリアしないと、次に進めませんから」

「それで? 悪魔が俺に、何の用だ」

「あなたが死ぬ、それは構いません。あなたの魂ですから、所有者であるあなたが好きにするのは当然の権利です」

「有難い言葉だが、中々に辛辣だな」

「私とあなたたちでは、魂に対する認識が違いますので。ごめんなさい」

「それで?」

「私たち悪魔にとって、魂はとても大切な物なんです」

「だろうな。何に使うのか知らんが、あんたたちはその為に、人間と契約するんだろ?」

「その通りです。集めた魂は、私たちにとってとても有用なんです」

「で? どうせ死ぬんなら、自分に譲れと」

「ええ。本当、理解が早くて助かります。ですがそれには」

「いいよ」

「え?」

「だからいいって言ったんだ。俺にとって無用でも、あんたたちには貴重な物なんだろ? 好きにすればいい」

「好きにって……はあっ……本当、あなたって変わってますね」

「そうか?」

「そうですよ。普通、悪魔に取られたらどうなるのかって警戒しませんか?」

「そんなことで悩むなら、俺はここにいないさ」

「……本当、覚悟を決め過ぎと言うか」

「大体俺ら人間には、死んだらどうなるかなんて分からないんだ。それなら、こうして死の間際に声をかけてきたあんた、あんたにやるのも悪くない。人生最後の縁だしな」

「ですが、今のままでは私に所有権がないのです」

「なんだ、サインでもいるのか?」

「どうしてそこで、無駄に人間のルールが出て来るんですか。違いますよ」

「なら、どうすればいい」

 淡々と語る男に、悪魔の女は呆れた様子でため息をついた。

「……あなたが今死ねば、魂は死神に回収されます」

「死神ね。なるほど」

「簡単に言うと悪魔と死神は、魂を巡って争っているんです」

「敵対関係ってことか」

「いえ、関係自体は良好です。ただ先程も言った通り、人間の魂はとても有用な物なんです。ですから、こと魂に限って言えば、私たちは常に争う関係なんです」

「少しだけど理解出来た。要するにあんたは、死神に刈られようとしてる俺の魂を、横から奪い取ろうとしている訳だ」

「人聞きの悪いことを言わないでください。これが私たちの戦いなんです」

 女が口をとがらせる。
 これまで見てきた、どの女よりも魅力的だ。そう思い苦笑する。

「すまない。あんたたちの事情を知らないものでね。それで? どうすれば俺の魂、あんたにやることが出来るんだ」

「その方法、さっきあなたも口にしたじゃないですか」

「契約か」

「そうです。契約することで初めて、私に所有権が生まれるのです」

「どうすればいい?」

「あなたたちにとって悪魔は、狡猾で邪悪な存在ですよね」

「そうだな。悪、なんて言葉が付いてるぐらいだからな」

「全てが間違いとは言いません。人間にとって、最も大切な魂を奪う存在なんですから。でも、無理矢理奪うなんてことはありません」

「そちらの世界にも、ルールがあるという訳か」

「はい。私たちにとってのルール、それは、願いと引き換えに魂をいただくということです」

「願い、ね」

「ええそうです、願いです。どうです? どんな願いでも構いません。一つだけ、あなたの願いを叶えてあげます。その対価として、魂を譲渡していただきたいのです」



 女が目を輝かせる。
 この瞬間が一番好きだ。
 人間が常識から解き放たれ、欲望のままに口にする願い。
 そしてそれを叶えた魂は、何物にも代えられないほどに甘美な物となる。
 絶望、後悔、満足感。
 それらを内包した魂を刈ることは、悪魔にとっての最高の愉悦。
 女は待った。男の言葉を。




「特にないな」

「……え?」

 男の言葉に、女が声を漏らす。
 先程までと違い、全く興味を失った瞳。それが自分に向けられていた。

「ないって、どういうことですか」

「言葉のままだよ。もう少し面白くなるかと思ったんだが、興覚めだ」

「興覚めって……どういうことですか? あなたにだって、望みぐらいあるでしょ? どんな願いでも叶うんですよ? 何もない訳が」

「あんたがどれだけ生きてきたのかは知らない。今まで、そうしてたくさんの人間と契約してきたんだろう。でもな、人間ってのは、あんたたちが一括りに出来るほど単純なものじゃないんだ。まあ、俺が変わってるだけかもしれないけどな」

「変わってるってレベルじゃないですよ!」

「なんだ? あんた、少し雰囲気が違ってきたぞ。さっきまでのクールな感じがなくなって、まるでそう、どこにでもいる普通の」

「普通って言わないで!」

 耳まで赤くした女が、大声で言葉を遮った。

「なるほどなるほど。さっきまでのは、悪魔としての威厳を示す為の演技だったという訳だ」

 図星を突かれた女が、首を振って否定する。

「ははっ。でも今のあんた、嫌いじゃないよ」

 男の言葉に、女は益々狼狽(ろうばい)した。

「それで話を戻すけど、他のやつはともかく、俺に望みなんてものはない。大体今から死のうとしてるやつに、望みがある訳ないだろう」

「そんなこと……そんなことないから! あなたがこうして絶望してるのにだって、理由があるでしょ? 絶望してるってことは、希望があったんでしょ?」

「そんな状態、とっくに通り過ぎてるさ。来るのが遅すぎたんじゃないか?」

「遅すぎたりしないから! 今からだって、叶えばあなたも満足するから!」

「でも、それが叶った瞬間に俺は死ぬ。だったらそんな希望、叶えたってしょうがないだろ」

 痛い所を突かれた。そう思いながらも、女がまくしたてる。

「でも、例えひと時の夢でもいい、幻でもいい。折角生まれてきたこの世界で、ひとつぐらい望みを叶えたっていいじゃない! 絶対いい筈よ!」

「そんなものかな」

「そんなものなの! これは絶対なの!」

 なんだなんだ? クールな悪魔が、ただの我儘女になってきたぞ。
 女の変わりように苦笑し、そして思った。
 この女と、こうして話してるのは楽しい。
 こんな感覚、久しぶりだと。
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