魔法のマグカップ (4) 泥んこニール

文字数 746文字

これはママが今日からさかのぼって、十五年くらい前に見た風景なのです。もうお気づきですね。このマグカップは、過去を見せてくれる魔法がかかった品なのです。

もう少し詳しく説明しましょう。誰しも、この瞬間を取っておきたいと思う事はあるものです。そういう時に、まだ”何も記録されていない”このマグカップに何か飲み物をいれて飲むと、飲んだ人の記憶がマグカップに記録されるのです。そして時がたち、再びこのマグカップで何かを飲めば、目の覚めるような鮮やかさで、その時の思い出がよみがえるという仕組みです。

ママは二口目を飲みながら、隣の方を見ました。そこには風に髪がサラサラなびく素敵な男の人がいて、ママが作ったサンドイッチを美味しそうに頬張っています。ママは男の人の顔を見て微笑みました。ママの青春の一ページです。ママはこの時の思い出を一生忘れないために、魔法のマグカップを使ったのでした。

散らかした物置を放っておいて、どこかへ行ってしまうあの人とは大違いだわね。ママは、どこかへプイッと出かけてしまったパパの事を思い出しました。

そして、心の中で考えます。

あれから私の選んだ道は、正しかったのだろうか。もっと別の人生があったのではないだろうか。ママの心にそんな疑問が少しだけ浮かびました。いえ、本当に本当に少しだけなんですけどね。

それからしばらくの間、ママは思い出の世界を楽しみました。マグカップの魔法が切れかかり、目の前の風景がぼやけてきたころ、不意にママを呼ぶ誰かの声が聞こえてきました。

「ママ、ママ。何してるの? お腹すいたよ。お昼ごはんまだ?」

ハッと気がついて声がする方に目をやると、泥んこになったニ―ルが不思議そうにママの顔を見つめています。マグカップの中には、もうコーヒーは残っていませんでした。
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