第1話

文字数 3,288文字

一 就活ムード
 
 大学三年生の冬ももう終わる。今までは飲み会、サークル、アルバイトなど、そんな話題で持ちきりだったのに、急に周りは就活トークに花を咲かせている。お前はどこの業界を考えているの?俺はこの職種だな。インターンシップに今度行ってくるよ。などなど。つい最近まで、あそこの居酒屋の店員はかわいい、ラインが既読にならない、なんて下らない話をしてた人達が、覚えたての就活用語をドヤ顔で、話し合っている。これが就活ってやつなのか。何でそんなにすぐに切り替えられるのだろう。ぼくにはそんな器用なことはできない。みんなは本当にやりたいことがそんなにすぐ見つかっているのか、それともただ流れに乗っているだけなのか。流れに乗るだけでも偉いと思う。ぼくは、その流れにすら乗れず、それをただ傍観しているだけ。自分も早く行動しなきゃいけないのはわかっているけど、焦る気持ちが全くない。まだやらなくても間に合うはず。何の根拠もない自信が、ぼくを取り囲んでいる。その意味不明な自信を纏い、就活用語が飛び交う帰り道をイヤホンをして、ぼくは歩いて行った。
「あんた、ちゃんと就活のこと考えているの?ニュースでやってたけど、三年生のこの時期からもう色々始めるんてでしょ?」
家に帰った瞬間これだ。せっかくあの就活ムードの世界から抜け出してきたのに、ここにもこの世界が侵食していたとは。母はぼくの思いをつゆ知らず、質問してくる。ぼくのことが心配なのはわかっている。理解はしているけど、口から出る言葉はそれと同じ気持ちとは限らない。「ちゃんと考えてるから大丈夫。自分のことだから。」
 そう言って興味のない芸能ニュースに集中すると、母も何かを察したのかそれ以上は何も言わなかった。
 就活。きっと人生の山場の一つだろう。だからこそ、みんな必死になっている。ぼくはどんな仕事をしたいのか、考えていないわけではない。好きなものは沢山ある。映画やゲーム、お酒だって好きだ。映画に関しては普通の人よりかは知識も興味もある。ただ仕事に出来るまでの熱があるわけでもないし、それこそ働き口は少ないと考えてしまう。どうせ働くなら、自分の好きなことでお金を稼ぎたい。本屋に行くと、今の時代は好きなことでお金を稼げる時代!などといった内容の本が沢山あるが、どうしても疑ってしまう。それに、仕事するほど好きなことがない人だっているはずだ。そんな人達はどうすればいいのだろう。ゴールのない悩みは、スマホに映し出された、ラインの通知で一度強制終了された。「希望の業界とかはなんかあった?あたしは、化粧品会社一本で今のところ考えてる。あと、土曜日はどこ出かける?日曜は朝からバイトだから、そんな遠くじゃない方がいいんだよね!」 
 森田柑奈。ぼくの大学一年生からの、彼女だ。どんな時もバッチリメイクをしていて、自分の見た目には人一倍気を遣っている。ギャル風という言葉で表現していいのかわからないが、とにかく清楚系ではないことは確かだ。そんな彼女だからこそ、化粧品会社と聞いても何の疑問も浮かばない。むしろ納得だ。
「化粧品会社か。柑奈には向いていると思うよ。俺はまだそこまではっきりとは決まってないよ。だったら買い物とか行く?そろそろセールの時期だ!とか言ってなかった?」
「まあまだ時間あるし、ゆっくり慎重に考えてみなよ。買い物行きたい!じゃあお昼前に待ち合わせて、どっかでランチしてから買い物にしよう。」
「了解!」
 柑奈は見た目とは裏腹に、とても生真面目だ。一方、ぼくは適当人間。なんとなくその場の雰囲気で常に行動しているから、よくその事で喧嘩になる。それでももう付き合って3年近くが経つのだから、お互いのことは理解しているつもりだ。土曜日は買い物だ。ぼくは手帳を開いて、今月初めての予定を書き入れた。
「お母さん。土曜日は1日、柑奈と出かけてくるから夕飯はいらないよ。」
「わかった。柑奈ちゃんはやりたいこととかありそうだけど、もう色々考えてるの?」
「化粧品会社だってさ。」
ぼくはぶっきらぼうに答えた。
「柑奈ちゃんらしいね。まあ、すぐにやりたいこと見つかるかはわからないけど色々調べてみなよ。」
 やりたいことが自分に見つかるのかよくわからないが、きっとその時がくれば見つかるものなんだろうと、勝手に考えてぼくの今日は終わった。
 次の日、ぼくは本屋に行き就活の本が沢山並べられてるコーナーに行った。SPI、内定、企業診断、エントリーシート等、こんなにも就活に関する本があることに驚きつつ、一番近くにあった自己分析の本を手に取った。パラパラとめくっていくと、どうやらこの本で自分を客観的に見て、どういった業界、職種が向いているかを判断できるといった内容みたいだ。今のぼくには、うってつけの本だと思い、すぐにレジに向かった。これで、ぼくもやりたい仕事が見つかるはず。淡い期待を膨らませ、ぼくは店を出た。
 大学の授業というものは何でこんなにもつまらないのだろう。稀に面白い授業はあるが、ほとんどがただ座って聞いているだけ。90分という長時間、つまらない話を聞くのはもやは修行だとぼくは思う。前列の席は、一生懸命、授業を聞いている。きっとこうゆう人達が、将来活躍するのだろう。いや、意外と真面目すぎて失敗する事例もあるかもしれない。むしろ、後ろで居眠りをしていたり、机の下でこそこそスマホをいじっているあいつらの方が、出世してしまうかもしれない。結局はぼくには関係のないことだったので、授業開始10分で、夢の世界に旅に出た。
 ぼくは、自分で言うのも変だが、とても社交的な人間だし人当たりもいい。コミュニケーション能力は高いと自他共に認めている。だからこそ、周りの友達はお前ならどこでも働けるでしょ。営業とか向いてるって!などと、言われることが多々ある。そう言われて嫌な気分になるわけではないが、嬉しくもない。その場では、ノリで上手く誤魔化しているが本当はぼくは、そんなすごい人間じゃない。ただ外面がいいだけなのと、それっぽくすることが得意なだけ。少し突き詰められるとボロが出てしまうのは自分でもわかってる。だから、自分の引き際を常に考えて行動している。営業だけはぼくには一番向いていないと思う。勝手なイメージだが、営業は常に周りと争い、数字に縛られている気がしてならない。そんなプレッシャーが多い毎日なんでごめんだ。ぼくは本当にダメな人間だ。
 午前中をなんとなく過ごし、学食で友達とお昼を食べていた。ここでも、話題はやっぱり就活。「俺、今度〇〇社の
インターンシップ行くんだ。」
「俺は今度△△社で働いてる先輩に話聞いてくる。」
 お前らは超人か。スーパーマンか。どうして、もうそこまで行動しているんだ。まだ三年生だぞ。これから最も長い休み、春休みが待っているのに、もっと楽しいことを考えろよ。そんなことを思っても口にはださず、「へー。みんな色々進めてるんだね。俺も自己分析とかしてるよ。」
 今朝買ってから一度も触れていない本のことを得意げにぼくは話した。
「自己分析か。俺もやってみたけど、いまいちよくわからなかったな。」
 なんだと。あの本で自分のやりたい仕事がわかるんじゃないのか。そう思って買ったのに、ぼくの期待という名の城は一瞬で崩れ落ちた。
「え!そうなの?」
「まあ一回くらいはやってみるのもいいと思うけど、やっぱり一つずつ業界を調べた方がいいと思う。職種一覧?みたいな本もあるんだし。」
「なるほどね。じゃあお前は何で、その会社にインターンシップ行くの?」
「たまたま興味ある業界が募集かけてたから応募しただけだよ。で、たまたま通っただけ。別にそこに絶対入りたいわけじゃないよ。ただ、仕事ってのがどんなものなのか知るだけでもいいと思ってさ。」
 こうゆう人間がどんどん出世するんだとぼくは確信した。ぼくは友達の話に感銘を受け、その日の帰りにもう一度朝の本屋に行き、職種一覧なる本を購入した。
 
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