第9話 明日十六時にこの場所で

文字数 4,157文字

 翌朝十一時頃、私はトウモロコシがいっぱいに積まれた籠を持って庸太郎の家に向かっていた。
 
 我が家の畑で収穫されたトウモロコシである。私が庸太郎から、誕生日プレゼントを受け取ったことを知った母親が、お礼に持って行けと渡してきたのであった。
 
 誕生日プレゼントに返礼というのがよく分からなかったが、恐らく、もともとお裾分けするつもりだったトウモロコシを私に運ばせるための口実だろう。まあ、それで庸太郎の顔を見にいく機会になるのだから、こちらも特に不満はない。
 
 ちなみに坂国さんは、今朝も私が起きてきたころには家にいなかった。街で調べたいことができたと、早朝にバイクで出ていったらしい。
 昼過ぎには戻るそうで、そこでまた私に案内を頼みたいと言っていたらしく、トウモロコシを届けたらさっさと帰って来いと母から言われた。
 あの人は私を便利に使いすぎではないだろうか。

 何でも高石寺に行きたいと言っていたらしい。

 高石寺とは私の家よりさらに上の方、念仏崖とは反対の山の麓にある、村唯一のお寺だ。奥津田村に暮らす全ての一族のお墓を管理しているところであり、かつては明念和尚が住職を努めていたとも云われている。
 だから、あの人が興味を示すのも当然ではあった。
 
 彼女の調査――もとい取材に付き合うのは、疲れはするけれど、意外な観点から説得力のある分析をする坂国さんの話を聞くのは面白かったりもする。
 
 何より愛しい彼に振り向いてもらうため、健気に勤しむ取材なのだから、同じく恋する乙女として力を貸してあげるのはやぶさかではないだろう。

 ――まあ、彼女の恋には、色々と道徳的な問題があるけれど。
 
 そのようなことを考えながら私は、昨日、一昨日と何度も通った道を進んで行く。ただし、歩調はいつもよりゆっくりだ。
 それというのは、大量のトウモロコシがなかなか重いことに加えて、底の浅い網籠に無造作に積まれているものだから、バランスを崩すと崩れ落ちてしまいそうになるのだ。私は揺れるトウモロコシたちを凝視しながら慎重に歩みを進めていく。
 
 籠の上ばかりを見ていたが、目の端に移る景色を確認して、庸太郎の家の付近に辿り着いたと気がつき視線を上げた。
 
 庸太郎の家は三メートルほどの石垣の上に建っている、二階建ての大きな屋敷だ。庭も広くて、小さなころは鬼ごっこや隠れんぼをしてよく遊ばせてもらっていた。
 
 立派な門構えの家の入口までは、綺麗に積まれた石階段が続いている。
 その石階段から、一人の男が降りてきたのを遠目に目撃する。千田家の人間ではない。
 スーツ姿のその男には見覚えがあった。あれは確か、大野孝介――だったか、説明会で見た三栄開発の社長である。
 
 彼は階段を降りきると一度振り返り、誰もいない門に深々と頭を下げてから、国道へ続く道を歩いていった。
 庸太郎のお父さんである千田喜助さんは村長だから、開発計画について何か話をしていたのかもしれない。
 
 あれほど丁寧にお辞儀をするあたり、意外と礼儀正しい人なのかな――とか考えながら、私も千田家の前まで歩いていき、階段を登る。両手は塞がっているので肘で呼び鈴を鳴らした。
 
 まもなくして玄関の戸が開けられる。現れたのは喜助さんだ。

「日葵ちゃんけ、ちと待ってな」
 
 喜助さんは玄関を出ると、こちらまで歩いてきて、私の代わりに門を開けてくれた。

「うちで採れたトウモロコシです。お裾分けに来ました」
「こんなたくさん、ありがとねえ! 日葵ちゃん大変だったべ」
「あはは、ちょっとだけ疲れちゃいました」
 
 嬉しそうにする喜助さんの顔を見て、私も笑みがこぼれる。庸太郎はどちらかというとお父さん似だ。特に笑った顔は、二人ともそっくりだと常々思っている。
 
 喜助さんは私からトウモロコシの籠を受け取ると、「ちょっと待っててな」と言って家の中に戻っていった。
 しばらくして、庸太郎とともに戻ってくる。彼の息子の手には、ナスがいっぱいに積まれた籠が抱えられていた。

「これはお返しだでな。一昨日は、日葵ちゃんも収穫さ手伝ってくれたんだべ。なんにこん馬鹿は、そんナスを一つも渡さんと帰しよって」
 
 喜助さんの隣で庸太郎が、ばつが悪そうに笑っている。

「いえそんな、私は好きで手伝っただけですし」

 それにもっと素敵なものを貰いましたし――とは心の中だけで呟いておく。
 気の利かん奴だべと鼻息を荒くして、喜助さんは続けた。

「庸太郎、日葵ちゃんと一緒さ帰って、ナスさ運んでやれな」
「えっ、そんな悪いです!」
「いいんだよ、さ、行くぞ日葵」
 
 恐縮する私の横を通り抜けて、ナスを抱えた庸太郎は階段を降りていく。
 私はあわあわと彼と彼の父親を見比べてから、喜助さんに「ありがとうございます」と頭を下げて、庸太郎の後を追った。


「ありがとうね、運んでくれて」
「気にするなよ、これ結構重いからな」
 
 口ではそう言うが、当の庸太郎はまったく余裕そうである。しっかり支えられているからか、籠は私がトウモロコシを運んできたときよりずっと安定していて、歩調も衰えることはなく、いつも通りの速さで歩いていた。
 やっぱり男子は違うなあと思うと同時に、その逞しさにときめいたりもしてしまうのである。
 
 二人並んで、他愛もない会話をしながら用水路沿いの道を歩く。庸太郎の話に笑って、相づちをうって――表向きは昨日と同じ様に振る舞っていたけれど、心の中はどこかそぞろだ。
 
 不意に訪れた、庸太郎と二人きりになる機会。途端に、昨晩の坂国さんとの会話が思い起こされる。
 
 あの人の言う通りだ。半年後にはもう村を出ていくつもりの私には、時間はあまり残されていない。このまま、なあなあに時が流れていき、結局何もアクションを起こせず上京して、そのうちに庸太郎がお見合いとかで、余所からお嫁さんをもらったりしたら――充分あり得る話だ。嫌な想像が頭の中を覆っていく……。
 
 これは焦りだ。坂国さんに指摘されて、改めて自覚した焦りである。
 
 しかし焦りと同じだけ、胸の内に勇気も湧いてくる。
 
 一度振られたくらいで諦める必要はない。そのことは、坂国さんの破天荒な恋模様が示してくれている。アレと比べれば、私はだいぶましなはずだ。
 
 私を一人の女として意識させる。そして妹への親愛の情を恋愛感情に変えさせる。これが、私が成し遂げるべきことなのだ。
 
 例え一度目の告白で振られても、また機会を伺って、何度でも告白を繰り返せば、やがて庸太郎も私を好きになってくれる――その勝機はあると坂国さんは言ってくれた。私は彼女の言葉を信じたい。
 
 だとするならば、最初の告白は早い方が良い。その方が、次に、また次にと告白を繰り返す機会も多くなるからだ。
 そうだ早ければ早いほど良いのだ。
 
 例えば、
 
 そう、
 
 今すぐにでも――――。
 
 かっと顔全体が熱くなる。動悸が激しくなり、心臓の音が頭の中に響いてこだまする。視界すらもぼんやりと輪郭が溶け始めた。
 
 ――いやいやそれはさすがに急じゃない?
 ――そうやってまた逃げるつもりなの?
 ――もっとロマンのあるシチュエーションで言った方がいいでしょ?
 ――そんなシチュエーション思いつきもしないくせに!
 
 二つの思いが綯い交ぜになって、頭の中を駆け巡る。
 
 拳を強く握りこむ腕が、小さくぷるぷると震えていた。

 ふと脳裏に、ケラケラと笑う坂国さんの姿がよぎる。――それが、最後のひと押しになったのかもしれない。

「ねえ、庸太郎」
 
 それがほんとに自分の意志によるものなのか、分からない内に言葉が口をついていた。

「どうしたんだ」とたずねてくる庸太郎。もう、こうなったからには後には引けない。私は前を向いたまま、歩いたまま、続きを言おうとする。

「突然こんなこと言われても、困るかもなんだけど、私、庸太郎のことがずっと前から――」
「待って」
「――――え」
 
 告白の言葉が遮られてしまった。
 
 私は驚いて彼の顔を見上げる。庸太郎は真っ直ぐに正面を、固い面持ちで見据えていた。

「そこから先は言わないでくれ」
 
 胸の中に鉛を注ぎ込まれたような感覚に襲われた。目頭が熱くなり、今にも涙が溢れそうになる。
 
 ――言わせてすら、もらえなかった。 
 
 一度や二度は振られる覚悟でいたつもりだ。でも、さすがにこれはショックであった。
 
 もう嫌だ、一人になりたい、誰にも見られず大声で泣きわめきたい――俯いて、ぐるぐると頭の中で考える。
 
 けれど、そんな暗澹たる気持ちは、続く庸太郎の言葉で吹き飛ばされることとなる。

「その続きは、俺の口から言わせてほしい」
 
 再び彼を見上げる。今度は視線が交差した。
 微笑む庸太郎に、私は何度も何度も頷いた。今度は別の意味で涙が溢れてきそうだ。

「ただ」と私を制する庸太郎。「その言葉を日葵に伝えるのは、明日まで待ってくれないか」
「明日、まで……?」
 
 首をかしげる私に、彼は頷く。

「うん。その時には、俺は立派な奥津田村の男になっているはずだから」
 
 そう言って庸太郎は立ち止まる。辺りを見渡すと、いつの間に辿りついていたのか、そこはいつものT字路であった。

「明日の午後四時に、ここに来てくれ」
 
 庸太郎は真剣な眼差しで言った。 
 
 何故、明日まで待たなければならないのか、立派な村の男になるとはどういうことなのか、私にはさっぱり分からない。 
 
 でも、そこには、庸太郎なりの覚悟であったり、心の準備であったりが存在するのだろう。それをないがしろにしようとは、私は思わない。

「分かった! じゃあまた明日、この場所で!」
 
 そう言って私は、庸太郎の手からナスの積まれた籠を奪い取る。――おお、確かにこれはなかなか重い。

「お、おい。いいのか?」
「うん、今はちょっと、嬉しいやら恥ずかしいやらで、一人になりたい気分だから」
「そうか……実は俺もそんな感じだ」
 
 はにかむ庸太郎の頬は、よく見ると真っ赤に染まっていた。
 
 私も笑って踵を返す。自宅へと続く坂を上り始める。
 重たい荷物を持っているはずなのに、足取りはここ最近で一番軽い。
 
 家に帰ると坂国さんはもう戻っていて、私の顔を見るなり「何かいいことあった?」と笑いかけてきた。
 
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