第1話 奥津田村メガソーラー開発説明会

文字数 3,537文字

「ですから、専門家の指導のもと、自然への悪影響は最低限となるよう、細心の注意を払って開発を進めていく予定でして――」

 並べられた長机の真ん中で、スーツ姿の男が、額の汗を拭いながら懸命に話している。
しかし、彼の言葉は野太い怒声によって遮られてしまった。

「山削るんだべ、悪影響が出ねえわけないでねか!」
「そうだあ、山を追われた熊だ猪が、村に降りてきて畑を荒らしたらどうすんだ!」
「もちろん、何度も申し上げましたように、奥津田村の皆様の生活を脅かすことだけは絶対にないようお約束致しますので――」
「だがら、その約束にはなんの保証も――」

 怒りの声に男は必死に答えるが、説明の途中でまた遮られた。

 さっきからずっと、この繰り返しだ。

 ――暑いな。

 私はぼーっと、天井を見上げる。頬を伝う汗を、首にかけたタオルで拭いた。

 ここ、村唯一の小さな集会所が利用される機会は少ない。必要がないので、空調もそれほど上等な設備は用意されてない。
 だから今日みたいな暑い日に、大勢の村人が集まってしまうとだめだ。クーラーを全開でつけても全然涼しくなくて、むしろ熱気がある分、外にいるよりもしんどかったりする。

 あーあ、だから嫌だったのに――私はため息をついた。

 そして、正面の壁に張られた横断幕を見る。

『奥津田村メガソーラー開発説明会』

 これが普段は閑散としている集会所に、大勢の村人が詰めかけている理由だ。私も、お母さんに無理矢理連れられて、渋々ながら参加している。

 なんでも私たちが暮らす奥津田村の、近隣の山を切り崩して、ソーラーパネルを設置しようという計画が持ち上がっているらしい。
 三栄開発という地元企業がデベロッパーとなって、進めている事業と聞いている。契約元は、太陽光パネルを開発している外資系の大企業だそうだ。

 この手の開発事業には、得てして近隣住民だったり、環境保護団体だったりとの衝突が伴うものである。今回も例にもれず、我々奥津田村の住民はこの計画に反対し、抗議を行っていた。

「地域の活性化とか聞こえのえいことばっかいうとっけよ、結局あんだらデベロッパーは、外国の会社に土地を売渡す売国奴でねか!」
 村長の喜助さんが声を荒げると、他の村民も「そうだそうだ」と同調する。

『デベロッパー』って一体何なの? と昨晩お父さんに聞いてみた。
 すごく丁寧に説明してくれたけど、難しくてあんまり理解できなかった。建築したり販売したり、他にも土地の売買や管理もするとかなんとか――結局何の会社なの? と思う。

 ただまあ要するに、今回のメガソーラー開発に関してはその主導者であって、矢面に立っている人たち、ということなのかなと考えている。
 実際、説明会を開催して、村人からの集中砲火を受けているのは三栄開発の人たちなわけで、私の認識はたぶん間違っていない。

 正面の説明者席に座るのは三人。主に、真ん中の人が説明をして、飛んでくる質問にも回答を行っていた。
 彼の前に置かれたネームプレートには、『代表取締役 大野孝介』と書いてある。つまり、たぶん、社長さんだ。

 大変だなと思う。

 もちろん私だって、この村の住人である以上、メガソーラー開発には反対だ。さっき誰かが言っていたみたいに獣害だって心配だし、山を削られたら景観だって悪くなる。
 でも同時に、もう少し落ち着いて、彼らの話を聞いてあげても良いのではないかと思うのだ。せめて反対意見を言うにしても、がなり立てるんじゃなくて、落ち着いて話してあげればいいのに、と。

 怒鳴り声というのは、自分に向けられたものでなくてもだいぶストレスだった。ましてその怒りの矛先にいるあの人は――と考えると少し同情してしまう。

 ただでさえ、蒸されるような暑さで息苦しいっていうのに――。

 携帯を開いて時計を見る。午後三時丁度、説明会が終わるまであと一時間半ある。
 無理だ、耐えられない。私は隣に座るお母さんの肩を叩いた。

「どうしたの?」
「ごめん、しんどくなっちゃった、外出てるね」
「え、ちょっと……」
「私みたいな女子高生が一人いたところで、なんの役にも立たないでしょ。庸太郎のとこ行ってくる。家には六時までには帰るから」
 そう言い残して席を立つ。呆れた様子のお母さんを尻目に、私は集会所を後にした。

     ・

八月半ばの夏真っ盛りである。

 道行く私をぎらぎらとした太陽の光が照り付けた。

 滝のような汗が流れるが、それでも集会所の中よりは遥かにましだった。ワシワシ、ジリジリとセミの鳴き声がうるさいけれど、あの怒鳴り声と比べればずっといい。

 私は解放感に浸りながら用水路沿いの道を進む、道の左手を流れる水が光を乱反射して散らしている。

 小さい頃の話だ。用水路に葉っぱ船を流して遊んで、それが見つかってお父さんからひどく怒られたことがある。この用水路は、大人だって溺れることもあるんだぞ――と。あの時は大泣きしたけど、今思えばお父さんの心配はもっともだなと苦笑いする。
 
 用水路だけじゃない、今通り過ぎたお地蔵さんとか、向こうに生えている大きなクスノキとか、ずっとこの村で生きてきたから、村にある大抵のものには、何かしらの思い出があった。

 私が生まれ育った奥津田村は、住民が百人足らずのとても小さな山村だ。コンビニもスーパーもない。だから基本は自給自足だし、それでは間に合わないものがあれば、車か、二時間に一本程度の頻度でしか来ないバスで山を降りて、街まで買い出しに行かないといけない。

 学校もないから、私は毎朝五時に起きて、バスと電車を乗り継ぎ、片道一時間かけて市内の公立高校に通っている。
 もっとも今は夏休みだから、朝はぐっすり眠れているけれど。

 とにかく、そんな不便な村だから、うんざりすることもあった。街に住んでいる高校の友人を何度も羨ましく思った。家に帰るのにも時間がかかるから、寄り道もろくにできないのだ。

 ――でもやっぱり、こうして慣れ親しんだ風景を見渡しながら、のんびり歩いていると、私は奥津田村が好きなんだと実感する

 自然豊かで、思い出がいっぱいで、村人みんなが家族のように仲が良くて――そして何より、庸太郎がいるこの村が。

「あーあ……」

 自分でもびっくりするくらい、悲しげな声が出た。
 よく考えて決めたことだから、今さらやめるつもりはないけれど、――私は来年、村を出ていく。そのことを思うと少し寂しい気持ちになった。

「……あれ?」

 わき見をしていた視線を正面に戻す。少し先に交差点がある。丁字路だけど、今の私の位置から見ればトの字だ。そこを右に曲がって坂を登れば私の家、曲がらず真っ直ぐ行けば庸太郎の家である。

 そんな道の合流地点に、大きな荷物が積まれたごついオートバイが一台とまっている。そしてそのわきには、背の高い女の人が立っていた。あんな人見たことない。つまり、この村の人間じゃない。

 女の人は私に気がつくと手を振ってきた。目が合った以上待たせるのも良くない気がして、駆け足で彼女のもとへ近づく。

「あ、走らせちゃってごめんね。あなたは奥津田村の住民さんかな?」

 そう笑顔でたずねてくる。なんというか、物凄い美人だった。センター分けの肩まで伸びた黒髪は、触らなくてもさらっさらなんだろうなと分かる。スタイルがいいから、無骨な革ジャンもぴっちりとしたスキニーパンツも様になっていた。

 モデルさんみたいだ――呆けた私は、彼女の問いかけに無言で頷いて応えた。

「そっか、良かったー。ようやく第一村人に出会えたよ。かれこれ三十分くらい村を散策してたんだけど、だーれもいないからさあ」
「あ、ええと、今ちょっと向こうの集会所で、その、話し合いみたいなのやってて」
「それで、出払っちゃってる人が多いのか。なるほどなるほど」

 女の人は納得したようにうなずいた後、顎に指を添えて私が歩いてきた方を見る。

「あなたはその集会所からきたの?」
「は、はい、途中で抜け出して……」
「そっか、ここで待ってたら他の村人さんにも会えるかな?」
「そう、ですね……あと一時間ちょっとくらいで終わる予定なので……」
「分かった、ありがとねー。あ、引き止めちゃってごめんね?」
「い、いえ、大丈夫です……あ、失礼します……」

 僅かな会話の応酬で済んだことに安堵して、逃げるようにその場を立ち去った。
 自分を社交的とは思わないが、普段なら初対面の人とだって普通に会話くらいはできる。ただ、ちょっとあの人は綺麗すぎて面食らってしまった。
 しばらくの間ぼーっと歩き続けてから、ふと、あんな都会代表みたいな人が、こんな山村になんの用だろうと気になってくる。
 聞いてみればよかったと少し後悔した。





     


 
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