美代子の手紙 

文字数 3,758文字

(このエピソードは、物語の性質上、

を用いています)
新一と相良の意識の声は『 』で表現しています。

 相良が自室に戻ると、上田少尉から一通の手紙を手渡された。「先程届いた。貴様、朝飯を食わなかったのか? 調子でも悪いのか?」
「いや、そういうわけじゃない」
「ならいいが、それは隣の部屋に行って一人でゆっくり読め。なあ相良、その子の為にも生きて帰るという選択は無いか?」
「しつこいぞ! 貴様」
 相良は上田に背を向けてそう言い放ち、隣室に向かった。
 手紙の差出人の名は松野美代子。千葉市からだ。
 その名前を見た瞬間、新一の意識の中にあった不快な感じが少しだけ晴れていく様に感じられた。
『松野美代子って誰? 相良君の恋人?』
 新一の問いには答えず、相良は手紙を開いた。当然だがその手紙は新一も読む事が出来る。見えてしまうのでしょうがない。
『相良君、ごめんね。君のプライベートを覗くつもりは無いんだけれど』
 新一は申し訳なさそうに言った。
 美代子の手紙には、空襲で父親と上の弟を亡くした事、友人を亡くした事、今は母親の実家である稲毛にいるという事が書かれていたが、手紙の大部分は相良に対する想いを綴ったものであった。
『そんなに、そんなに想ってくれる人がいるのに相良君、死ぬなんて……』
 なんて、なんて惨いんだろう。戦争では憎しみと悲しみしか生まれない。
『それ以上言うな!』
『わかったよ。でも、その松野美代子って名前を見たら、不快な意識が少し和らいだんだよ。どうしてだろう。松野美代子なんて人、知らないのに』
『何だと! 気のせいではないのか?』
『気のせいなんかじゃないよ。まだ不快感はあるけれど、その手紙を見る前とは違うよ』
『何か、何か思い当たる事はないのか? 新一! よく考えろ! この手紙が……この手紙がヒントかもしれないんだぞ』
そこに本人が実在していたら、間違いなく相良は新一の胸ぐらをつかんでいただろう。
『全く分からない。その人の事も知らないし、松野って苗字も聞いた事はないよ』
 松野……松野……いくら考えても新一には松野という名字も、美代子という名前にも心当たりが無かった。仮に当の本人が生きているとしても、既に90歳ぐらいだろう。そんなお婆さんと接点はない。もしかしたら、爺ちゃんの知り合いかも……『相良君、その松野美代子って人について、詳しく教えてくれる? ほんとに、ほんとにその名前を見てから不快な感覚が少し消えたんだよ』
 美代子と新一に接点が? 訳が分からなかったが、相良は美代子について、彼女との出会いから、稼業、家族構成に至るまで一通りを新一の意識に語った。
『相良君! その美代子さんちの稼業。まつの屋っていう饅頭屋があった場所って、もしかしたら千葉駅の近く?』
 そんな事はあり得ないと思いながらも新一は聞いた。
『富士見町だから、近くという訳ではないが、貴様の時代に、まつの屋があるのか?』
『え? 富士見なら千葉駅に近いじゃん』
 そう言ったが新一はすぐ、中学生の時に聞いた話を思い出した。今の千葉駅は移転している。この当時はたしか東千葉の辺りにあったはずだ。
『ごめん相良君、千葉駅はたしか移転している。でももし僕が知っている、まつの屋がその店ならそれは今、稲毛にある。そんな事って……少し整理させて……』
 まつの屋の由来は松子さんじゃなくて松野なのか? そうだ、確か秀美ちゃんは、まつの屋は老舗だと言っていた。老舗……松子さんは国語の先生で、引退後、店をやっていると聞いた。だとしたら、まつの屋は松子さんの両親、いやそれ以前から続いている店と考えた方がいい。店の名の由来は松子ではなく松野……もっと詳しく聞いておけば良かった。―とすると松子さんのお母さんが松野美代子? でも美代子が戦後結婚して嫁に行ったとしたら? 進という彼女の弟が稼業を継いだんじゃないのか? であれば、その進の子孫がまつの屋を継いでいることになる。いや待てよ……
『どうした新一、何かわかったか?』
『相良君、ごめん、もう少し、もう少し待って』新一は考えた。松子さんの、まつの屋と、美代子さんの、まつの屋は同じ店なのか? 似たような名前の店はいくらでもある。でも同じ名前の饅頭屋はそう多くない気がする。
『ごめん相良君。僕の知っている、まつの屋と松野美代子さんの、まつの屋が同じ店なのかはわからない。でも、秀美ちゃんが豆饅頭はまつの屋が元祖だって言ってた』
秀美ちゃん……逢いたいよ……『まって! 松子さんの孫は秀美ちゃん……えっ? てことは?……』どういう事だ?……新一の頭は混乱を極めた。
『新一、貴様まつの屋は稲毛にあるといったな? 美代子は富士見町に住んでいたが、現在は母方の実家である稲毛にいると手紙に書いてある。だから空襲を免れ、助かったと。美代子の手紙と貴様の話、偶然にしては一致が多すぎる。豆饅頭も、俺の聞いた限りではまつの屋が元祖だ』
『どうゆう事? 松野美代子さんのお店と、床枝松子さんのお店が同一だとしたら、そこに何かヒントがあるの?』
『床枝松子?』
『うん、70過ぎのお婆さんだから、戦後間もなくの生まれの人。その人が、まつの屋のオーナーだって聞いたよ。僕も昨日、羽田空港で初めて会ったんだけどね。で、それがどうだっていうの?』
『わからん。わからんが、少なくとも俺と貴様の接点が柳原一飛層とは別に、もう一つあったという事になる。ただの偶然か? 秀美というのは貴様の恋人か?』
『えっ、まだ恋人って程でもないよ。昨日も話したけど、一緒に大津島に来た人。松子さんの孫だよ。……秀美ちゃん……』
『その秀美という女子は美代子の子孫かも知れないわけだ。当然、床枝松子という人物も』美代子……君は子を産んだのか? 幸せになってくれたのか? そうなら良かった。相良は少し安心した。だが、自分の意識の中にある、例の言いようのない不安と不快感に変わりはなかった。
『うん。僕もそうかもって考えてみたんだけど、はっきりしないよ』
『貴様、その床枝松子という人物から母親か父親の事を聞いたか?』
 もし、その人が美代子の子ならば、父親はどんな人物だろう? 美代子は幸せだったのか? 新一が知る由もない事は解っていたが相良は聞かずにはいられなかった。
『松子さんからは何も聞いていないけど、秀美ちゃんからは少し聞いたよ。お婆さん、あ、松子さんの事ね。松子さんのお母さんは未婚の母だったって、それから……そうだ、戦争で恋人を失ったって。えっ? それって……相良君? 相良君じゃないの?』
『未婚の母だと!? 俺と美代子はそういう関係では無い!』……美代子。君なのか? どういう事だ?
『違うの?』
『違う! 美代子の子供が床枝松子だとしたら、だとしたらどうだというんだ。くそっ、わからない。時間が無い。俺達は何をしたらいいんだ』
 相良は全身が震えた。美代子。ほんとに美代子なのか? 未婚の母ってどういう事だ。お前の人生は幸せだったのか? 恋人を失った? 俺か? 俺の事なのか? 結婚はしなかったのか? 美代子……君に逢いたい……俺はどうしたらいいんだ。今何をすればいい。教えてくれ……
『相良君、その美代子って人に会う事はできる?』
 新一がそう言った瞬間だった。―なんだ? 何が起きた? まるで全ての靄が晴れ渡っていくような……更に、何か優しい意識に包まれるような心地よさを新一は感じた。えっ? 戻れる? 現世に、令和の世に戻れる? 明らかに今までとは感覚が違う。もしかしたら本当に戻れるかも知れない。
『そんな事、出来る訳なかろう! 三日後に俺は出撃だ』
『ねえ、相良君。僕、帰れるかも。相良君が美代子さんに会ったら帰れるかもしれない』
『何だと!』
『わかった!』新一は確信した。なぜ自分の意識がこの時代に飛ばされたのか。そして何をすればいいかを。多分間違いない。相良君に伝えないと。
『わかった。わかったんだよ! 相良君は美代子さんに会わなければならない。美代子さ……』
その時だった。急に新一の意識が薄れてきた。まるで、深い眠りに落ちる瞬間のように。今度こそ本当に意識が保てない……
『どうした! しっかりしろ!』
『…………』
『おい、新一! どういう事だ!』美代子に会えだと? そんな事、不可能だ。『新一! どうした! 大丈夫か!』
『みよ……さ……あって……』
 更に新一の意識が薄れてくる。
『貴様! しっかりしろ! 何が言いたい! 不可能だ! 絶対に不可能だ! 新一! 俺はどうしたらいいんだ! 美代子に会える訳なかろう! あと三日しかない。ここは千葉じゃない! 大津島なんだ! 物理的に不可能だ!』
『ありが……』
『しっかりしろ! 貴様の時代とは違う。それに、美代子に会ってどうしろというんだ!
美代子に会えば貴様のタイムスリップとやらを阻止できるのか? 答えろ! 新一!』
 相良はは必死に意識の中の新一に呼び掛け続けた。
「新一! 新一! 答えろ! 頼む……答えてくれ……新一……」
 とうとう相良は声に出して新一を呼んだ。
 だが新一からの応答は完全に無くなってしまった。

 こんなことって、畜生! 俺に……俺にどうしろっていうんだ……
  相良はその場に膝をついて崩れ落ちた。



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