第2話
文字数 577文字
事の発端は僕自身にある。
どうやら僕は人の事を気にしすぎてしまうようなのだ。
道端であった人を見ては顔色を窺い、「今この人は何を考えているのだろう」と考えてみたり、
話している人がいるときには「相手の気を悪くしていないか」や「嫌われるような発言をしていなかったか?」と心配になることもある。これはメールやネットでも同じだ。
この事を両親に相談しても返ってくる返答はいつも「気にしすぎ」という言葉だけ。
まぁ実際にこれは、気にしすぎなだけで間違いないと僕自身も思っている。
だけど「じゃあこれを抑えるにはどうすればいいのか」僕にはわからない。
そこで両親にこんな事を言われたのを思い出した。「みんなかぼちゃだと思えばいいじゃない」
というよく緊張する場面で言われる言葉をまるでテンプレートがあるかのような言い方で言われたのだ。まぁ確かに人を何か違うものに例えれば気にしすぎることもなくなるだろうと理解していたつもりだった。だけどその日の晩、僕はある問いに悩まされた。それは、「人をかぼちゃだと思えれば確かに気が楽になる、だけど人はなぜ違う生物になっただけでこんなにも気が楽になるのか」
その問いに僕はその晩だけでなく、その次の日も、そのまた次の日も考えた。その結果、結論が出た。けれどこの結論を自分以外の人にも知ってもらいたい。という承認欲求から僕はこの話を書いたのである。
どうやら僕は人の事を気にしすぎてしまうようなのだ。
道端であった人を見ては顔色を窺い、「今この人は何を考えているのだろう」と考えてみたり、
話している人がいるときには「相手の気を悪くしていないか」や「嫌われるような発言をしていなかったか?」と心配になることもある。これはメールやネットでも同じだ。
この事を両親に相談しても返ってくる返答はいつも「気にしすぎ」という言葉だけ。
まぁ実際にこれは、気にしすぎなだけで間違いないと僕自身も思っている。
だけど「じゃあこれを抑えるにはどうすればいいのか」僕にはわからない。
そこで両親にこんな事を言われたのを思い出した。「みんなかぼちゃだと思えばいいじゃない」
というよく緊張する場面で言われる言葉をまるでテンプレートがあるかのような言い方で言われたのだ。まぁ確かに人を何か違うものに例えれば気にしすぎることもなくなるだろうと理解していたつもりだった。だけどその日の晩、僕はある問いに悩まされた。それは、「人をかぼちゃだと思えれば確かに気が楽になる、だけど人はなぜ違う生物になっただけでこんなにも気が楽になるのか」
その問いに僕はその晩だけでなく、その次の日も、そのまた次の日も考えた。その結果、結論が出た。けれどこの結論を自分以外の人にも知ってもらいたい。という承認欲求から僕はこの話を書いたのである。
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