第10話

文字数 6,202文字

 スフィヤの誕生日祝いを兼ねた夕食は、いつもよりほんの少しだけ豪華で、たくさんの優しさに溢れていた。この店の従業員の子供たちは皆、同じだけの愛情を大人たちから貰うことができるのである。

 今日の主役は特別に上座に座ることが許される。それがどんなに幼い子供であってもだ。そこに座れば、自分を祝福してくれる全ての人の顔を見ることができるから。

 スフィヤの隣にはラズの席が用意された。これも子供たちの誕生日の夜には恒例のことである。祝われる子供は、その1番そばに両親の席を置いてもらえるのだ。それが例えば見習いの下っ端であっても、肩書きなど関係なしにである。それがラズがこの店を愛することができる一つの大きな理由でもあった。

 産まれて1年目の誕生日を迎えたスフィヤの為に、見習いでしかなかった自分を上座に座らせて、店中の者で自分の息子を祝ってくれた日のことをラズは忘れたことがなかった。

「あの男、どこに座らせるつもりなの?」
夕食の始まる少し前に椅子を並べながらメリラがラズに尋ねた。

「さぁ……今日の主役は私じゃなくてスフィヤだもの。戻ってきたら、あの子に聞いてみるわ」
「こんなこと言いたくないけどさ、来ない可能性もあるんだろ?あんまり目立たない席の方がいいんじゃないかな?端なら後から付け足して並べても気づかないし」

「気遣ってくれてありがとう、メリラ。でもそれも全部スフィヤに聞いてみるわ。ちょうど帰って来たみたいだし」
「ただいま、お母さん、メリラさん」
「おかえり、スフィヤ」
「おかえりなさい。一体どこに行っていたの?」

「うん……ちょっと、いろいろと」
「恋人でも呼んできたの?」
「そんなのいないよ!」
「メリラ、スフィヤはまだ12歳よ?そんなのいるわけないじゃない」

「わかんないよー?顔立ちはいい男になりそうだもの。頭も悪くないし、学舎の運動の成績も抜群なんだから。今から狙ってる女がいるかもよ?」
「メリラ!妙なこと言わないでよ!」

「はいはい、お邪魔でした。椅子のこと、頼んだわよ、ラズ」

「メリラさん、ああやって時々からかってくるの、僕が大人になったらやめてくれないかなぁ……」
「いいじゃない。それとも本当に恋人を探しに行ってたの?」

「違うよ!……それは、そんなんじゃないし……」
「何よ、やけに歯切れが悪いわね。まあ、いいわ。スフィヤ。聞こうと思ってたんだけどね……」

「母さん、1つ頼みがあるんだ。」
「頼み?」

「うん。僕、さっき、おじさんに会って来た。それで、今日の夕食に招待しちゃった。勝手なことしてごめん。でも、席は僕の隣にしてあげて欲しいんだ。もちろん母さんが毎年のように隣で、その反対側ってことだけど……だめ?」
「……そんなことがあったの」

「ごめんなさい……勝手にしちゃって」
「謝ることはないのよ。大丈夫!料理もたくさんあるんだし、席もスフィヤの言った通りにしてあげるからね」

「ありがとう!」
「わかったから、後は部屋でおとなしく待ってなさい。あと1時間もかからないで夕食だからね」
「うん!」
元気よく返事をして、階段を駆け上がっていく息子の姿を見てラズは安堵していた。自分も息子の許可なく、彼を夕食に誘っていたから、何かトラブルになったらどうしようと内心ではヒヤヒヤしていたから。

 けれどスフィヤも彼を誘ったというのなら、その心配はなさそうだし、私からだけではなく、スフィヤからも声をかけられたなら、彼はきっと来ないなんてことはしないだろうと信じられたから。

 部屋の隅に重ねて置いてある椅子を1つ手に取って、スフィヤの席の右隣に置く。左隣は自分の席だ。毎年、スフィヤの隣は、片側が空っぽで誕生日を迎えていた。
 それを好奇の目で見るような下衆な人はいなかったし、スフィヤ自身もそれを気にしているような素振りを見せたことはなかったが、初めて両側に人が座ることを、どう感じるのだろうか。それが実の両親であることをどう受け止めているのだろうか。自分は何か子供に無理をさせていないだろうか。

 不安は正直尽きなかったが、スフィヤも選んだ答えと自分の選んだものが同じであることに勇気を持って、ラズは台所へと向かい、メリラたちと共に夕食の支度の仕上げに向かった。

 夕食は賑やかさと温かみに満たされて終わった。いきなり参加して、スフィヤの隣に座らされたティファンは最初戸惑っていたが、それをあれこれ聞く無粋な存在などもちろんこの店にはおらず、スフィヤの新しい門出を祝う言葉と、ささやかな庶民のご馳走で溢れた食卓となった。
 それが終わった後、子供たちはスフィヤの受け取ったプレゼントを見ながら和気あいあいと話していたし、大人たちは片付けに準ずる中で、所在なさげに立っていたティファンにラズが声をかけた。
「部屋に戻ってて。スフィヤももうすぐ寝る時間だし、もうすぐ部屋に帰ると思うの」

「ラズ、いいよ。今日は後片付けしなくって。明日は普通に朝から仕事だけどね」
気を利かせたメリラに言われて、感謝とお休みの挨拶をしてラズはティファンを連れて部屋に戻った。スフィヤにも早く戻って寝るように声をかけて、ティファンと2人で2階への階段を登る。

「今日は、招待してくれてありがとう」
「それは私じゃなくてスフィヤに言う言葉でしょう?」
笑いながら返事をするラズに

「スフィヤにももちろん伝えるさ。でも君も、あんな風に出て行った僕に声をかけてくれたから、お礼を言わなきゃと思ったんだ」
「本当はね。来ないんじゃないかって、ちょっと思ってた」

「……来ていいのか、迷わなかったといえば嘘になる。でも、来たよ。向き合うべきだと思ったから。そのために君たちに用があったから」
「用ってどんな?」

「話をしたい。この会えずにいた12年の間のこと、この後どうするか、そして僕がどうしたかったかも聞いて欲しいし、それと同じくらいに、君とスフィヤはどうしたいと思うのか、聞かせて欲しい」
「大人になるって、不思議ね。向き合わなければいけないことが増えていくはずなのに、それと向き合わずに日々をこなすことが目標になってしまうことがある。出会った頃の私たちは、そんなことはなかったのにね」

 その言葉と同時に部屋の前についたので、ドアを開けながら「どうぞ」とティファンを招き入れる。

「寝る場所はどうしましょうか。スフィヤも大きくなったから、私と一緒の寝台じゃ狭くてもう眠れないわ。空いてる部屋はあるけど、メリラの許可がなければ勝手には使えないし……」
「僕は床でいいよ。君たちの傍で眠りたい。それに屋根のある場所で寝れることも珍しいくらいだ」

「あなたはそんな危険な旅をしてるの?それにスフィヤを連れて行こうと?」
「僕は12歳の時からこうだったから、それが普通だと思ってたんだよ。彼は逞しい。きっと大丈夫さ。もちろん彼が望むかどうかが1番大事なことだけどね」

「……辛くはなかったの?」
「僕が?……そうだな。辛かったよ。特に最初は。産まれた時から旅暮らしで、定住したことがなかったけれど、それでも前日まで両親と一緒だったのに「今日から大人だから1人旅だ」って言われて、心構えはしてたつもりだったけど、怖かったな。僕の初めての旅の記憶は、ここよりずっと北の土地で、森と砂漠の境目あたりだった。そこで両親と別れの挨拶を済ませ、君の村の近くにあった神殿の傍の泉のような場所で眠ったよ。外套を広げて床に敷いて、怖かったから、たき火は消せなかった。火を見ると寄ってくる動物もいて危ないんだけどね。その後も、2、3日はそこから動けなかったよ。水はあったし、食べれる木の実が少しあったから。でも数日経って気づいた。「あぁ、両親が迎えに来てくれることもない。僕はこれからずっとこうやって生きていかなければいけないんだ」ってね」

「……よく納得できたわね」
「せざるを得なかっただけさ。産まれた時から「12になったら」と言い聞かされて育ったのもあるし、両親は僕を置いて行ってしまった後だったからね。でも、疎まれたりしたわけじゃなくては本当にしきたりだからなんだということも分かっていたから、親を恨んだりもしなかった。離れていてもずっと傍にいると感じられるようにと装身具を12歳になった子供に送るのが習わしだったみたいで、僕も12歳になった夜に両親から貰っていたからね」

「何を貰ったの?」
「ピアスだった。銀細工の。うちの血筋は、物を加工する魔術に長けていたようでね。僕も少しなら弄ることができるけど」

「じゃあ、あなたがくれた銀の羽は、あなたが作ったものだったのね」
「どうしてわかったんだ!?……いや、まずは謝るべきだな。騙してすまなかった」

「いいのよ。初めて見たときは本物だと思ったわ。でも字が読めるようになってから調べてみたの。そんな鳥がいるのかどうか。いるならどこにいるんだろう、って。それを知ればあなたのことも少し知れる気がしたから。でもそんな鳥いなかったもの。だからきっと造ったものなんだろうなって思ったけど、嬉しかった気持ちも、綺麗だと思う気持ちも変わらなかった……ほら」
そう言うとラズは服を畳んで入れている箱の底から、小さな袋を取り出し、そこから12年前にティファンに贈られた銀の羽を出して見せた。

「まだ持っていたのか。いや、嬉しいよ。でも、ちょっと驚いた」
「そういうあなただって、未だにあの時に私があげた物を身につけてるじゃない。気づかないと思った?職人はね、自分の造ったものは、すぐにわかるものなのよ」

「なんだ、気づかれてしまったか。そうだよ。ずっと大事に使ってる。物もいいから不思議と傷まないしね。それに、これはとっておきだから……」
「あなたの身軽な持ち物の中のとっておきに入れて置いてもらえたなんて光栄だわ」

「ただいま。あれ、2人とも仲直りしたの?」
「スフィヤ、誕生日だから多めに見てるけど、もう寝る時間よ?それに私たちは喧嘩なんてしてません」

「でも昼にここに来たときは怒鳴り合ってたじゃないか」
「あれは話し合いをしてただけよ。12年ぶりに会って、言ってやりたいこともあったしね」

「やっぱり喧嘩してたんじゃん……」
「スフィヤ!いいからもう寝なさい!」

「その前にいいかな。僕からスフィヤに今日招待してくれたお礼を伝えたい」
「ああ、そうだったわね。それくらい止めないわよ、どうぞ」

「スフィヤ今日は招待してくれてありがとう」
「うん」
「些細だけど誕生日プレゼントだ。僕の家では12の誕生日を迎えた子供にみんなこれを送るらしくて、僕も昼に君と会った後に造ってみた」
そう言って銀細工のピアスを渡すティファン。

「おじさんも持ってるの?」
「ああ、ほら。ここについてるだろう」
「誰から貰ったの?」
「……おじさんのお父さんからだ」

「じゃあ僕のお爺ちゃんだね」
「……そうだね。そうなるね」
「お爺ちゃんは何処にいるの?」
「分からないな。僕らは12で成人して旅立った後は会うことはないんだ。何処にいるのか、何をしてるかもわからないよ」

「じゃあ12歳になったけどお父さんに会えた僕は運がいいね!今日はいいことばっかりだ。おやすみ、お母さん、お父さん」
そう言って笑うと、貰ったピアスを握りしめてスフィヤはさっさと寝床に潜って2人に背中を向けてしまった。

「……あなたが父親だって、認めたのね」
「驚いたよ。夕食前にあったときは、嫌われてると思ったから」

「夕食前にも会ってたって、スフィヤから聞いたわ。何をしてたの?」
「僕をつけてたらしいんだ。やっつけるつもりだったって」

「えぇ!……危ないことはするなと毎日のように言ってるのに…」
「見事だったよ。負けてしまった。真剣勝負なら僕は死んでいたかもね」

「滅相もないこと言わないで。スフィヤはそんな子じゃありません」
「そうだね。最後にとどめを刺せる状況になっても、きっとこの子は優しいんだろうな。負けた時に大人気なく泣いてしまってね。それを見て、スフィヤがむしろ焦って僕を慰めようとするんだ」

「あなたが?泣いたって?」
「ああ。負けて悔しかったとかじゃないよ?ただ……実の子供とここまで分かり合えないのかと、そして君とも。でもきっと全て僕のしてきたことの結果なんだと思ったら、涙が出てしまった」

「……しきたりだって言って、ずっと自分を宥めて来たのね。でもあなた、本当は寂しかったのよ。私にも怒鳴ったじゃない「僕が耐えて来たのはなんだったんだ」って」
「そんなこと思ったこともなかった」

「私の勝手な推測だけど、あなたはきっと寂しかったのよ」
「じゃあ僕は相当勝手だね。その寂しい思いを息子にまたさせようとしてたんだから」

「そうかしら。そこは違うんじゃないかと思う」
「どうして?」

「しばらくは自分がついて、旅のあれこれを教えるつもりだったって最初に言ってたでしょ?それでも勝手な理屈だと思うけど、あなたはきっと同じ体験を分かち合う人が欲しかったのかなって思った。それが自分の子供だったなら、って。だって、しきたりだからって頭ごなしに押し付けるだけなら、そんなことは思いもしないでしょうし、今日の夕食にも来なかったんじゃない?あなたは、1番みんなが幸せになれる方法を探していたのよ。自分も幸せになれる方法を。とても不器用だったから、身勝手に見えたけどね」

「参ったな…いつの間にそんな風になったんだい?」
「子供を育てるとね。教えられることがたくさんあったの」
「羨ましいな。君と過ごせたらよかった。スフィヤとも」

「…今からじゃダメなの?」
「えっ?」
「それって、今からでもできることなんじゃないの?って」

「それは…できないよ。僕はまだ自分の中の血に未だ引き摺られている。昔に話したのと同じだ。沸き立ち始めたら抑えが効かない。君に代償なんてものまで押し付けた男だぞ?」

「それは、時が経てば無くなるものではないの?」
「…わからない。両親以外で大人になった一族のものと会ったことがないから…両親とも20年以上会っていない」

「そう…少しだけ夢を見たの。家族3人で暮らせる夢。でもそれは難しそうね」
「僕は君に何もあげれないな…自分で自分が憎くなるよ」

「あなたはこれをくれたじゃない」
そう言って銀の羽を取り出すラズ。

「12年も前の贈り物が唯一で最後だなんて情けないよ」
そう言って苦笑いするティファン。

「スフィヤもあなたがいなければ出会えなかった」
「……人間の娘と結ばれる話なんて聞いたことがなかったから、ずっと不安だった。君を忘れたこともなかった。たった1人でスフィヤを産んで育ててくれてありがとう。君がいなければ僕も、この子に出会えなかったんだよ」

そのやり取りを聞いて、眠っていたはずのスフィヤの頬が笑う。ティファンのしてきた旅の話、幼い頃のラズの話、2人の話の種は尽きることがないようで、大人たちの囁く笑い声は、明け方近くまで続いていた。
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