第13話

文字数 6,882文字

 貼り出された新聞のなかで、最も新しいものの最初の記事に目を走らせる。
「王は飢えた民への水の配給を許可された」
という見出しが大きく掲げられていた。
 
 その見出しを見ただけで中の文は読まずとも想像がついてしまったので、次の記事へ、次の記事へと視線を飛ばしていく。ほぼ全ての記事の主語は「王」という言葉で始められていた。それだけでティファンは必要な情報は全て手に入れられたと思った。

 一方でスフィヤは打ち込まれた文字の全てに、しっかりと目を通しているようであった。
「水は別に王のものなんかじゃないのに」
周囲の誰かに聞こえないようにスフィヤがティファンに囁く。彼の指摘は多くの街では正しいとされるであろう見解だが、それがここでは異なるのだ。息子がそれに対してどんな感想を抱いているのか、今の囁く声に押さえ込まれたものがティファンにはしっかりと伝わってきた。

「全ての記事の頭だけを読んでみろ。この新聞の伝えたいことが一発でわかるさ」
ティファンの言葉にスフィヤが目の動きの速さを上げる。
「……本当だ。これは新聞っていうより、王の功績証明みたいだね。なんでこんなものが作られるんだろう」
「それについてはここで喋るのは安全じゃないな。まずはこの街に滞在するために宿をとろうか。砂漠のど真ん中だ。野営できないことはないけれど、できれば避けたい所ではあるな」

「宿を探そうか、父さん……僕、もう少しここをよく見てみたいよ」
スフィヤの言葉にティファンは了承し、2人で宿を探し求めて広場の通りを渡って、城下町へと戻って行った。

 寝台と食卓の絵が描かれた、宿屋と思しき看板を見つけ、その建物の扉を押して中へと入った。文字のない看板がこの街には多く見受けられた。識字率があまり高くないのかもしれない。だとしたら広場にあったあの新聞は上流層に向けられたものか、それとも自分たちにような外部からの人間に向けられたものか。この国の抱える陰鬱さがジワジワと目に映り込み、ティファンは胸中で溜息をついた。

「ごめんください。こちらは宿でしょうか」
 酒場のような卓と椅子が並んだ店内は、人気がなく、店はまさか潰れているのではないかと思い始めたところで、奥から伸びる廊下を1人の少女がこちらへ向かって来た。
「あんたたちは旅人かい。それともモグリの宮廷兵士じゃないだろうね」
「ずいぶんと勇ましいお出迎えですが、僕らは旅人ですよ。ここは宿ではなかったなら申し訳ない」

「宿屋で合ってるよ。最近じゃ外から来る客なんて全然いないからさ。代わりに宮廷兵士が監視にばっかり来やがるから、悪かったね」
「監視が来るって、それはまたどうして」
「街の様子を見てないのかい。ここまで来る途中でいやというほど分かったと思うけど」

 ティファンは自分の全ての予感が当たってしまっていたことを確信した。スフィヤが宿屋の娘との会話で戸惑っているのがわかる。やはり彼には少しだけ刺激が強すぎたようだ。
 
 街行く人に尋ねて聞いた通りに、宿屋に着くまでに3つの角を曲がった。その間に目についたのは、レンガが崩れて廃墟のようになった建物、まだ流されていない血の痕跡、たった数分を歩いただけで何度もすれ違う衛兵のような男たち、そしてその男たちも見て見ぬふりをする行倒れた人の亡骸。ここはよほど情勢が不安定な場所のようだ。大きな通りに血の跡がいくつも残されているのは、暴動でもあったのだろうか。そしてそれが鎮圧されたのか。

「泊まらせて貰いますよ。問題ないよな、スフィヤ」
「うん……」
「何か文句があるなら別の宿もあるけどね。だいぶ歩くけど。うちとしては客もめっきり減ったから、泊まっていってくれるとありがたいんだけど」
「ここが嫌なわけじゃないよ。ただ……ずっと思ってたんだけど、いま此処では何が起きてるんだ?」
「知らない。ほぼ毎日、誰かが暴れて、怒って、それが宮廷兵士に見つかったら殺される。それを笑って見てる奴もいるし、あたしのように見てみない奴もいる。結果、何も変わらない。いや、変わってはいるかな。水は配給制になって、逆らう奴らの数は減った。今の王になってから、そんな風にもう5年以上経ったよ」
あっけらかんという娘の言葉にスフィヤは驚きを隠せない。
「で、どうするの。お二方は」

 2人も客が来たということで、娘は非常に上機嫌になった。
「食事処としてやってきてたけど、泊まりがいると額が違うしね。せっかく部屋は空いてるんだから」
そう言って娘が夕食の支度に奥へと入って行った。料金はしっかりと前払いで請求された。街を出たら四方が砂漠に囲まれた場所で、1人あたり銀貨2枚で寝台と食事が一晩保障されるのはありがたかった。その日はなかなか味のいいその地方の伝統料理と、おまけにつけてくれた一杯の酒をひっかけて、思うところは多々あったけれどもティファンとスフィヤは上機嫌で眠りについた。

 翌朝、その日の夜の分も前払いで料金を払い、部屋に少し荷物を置いて外出したいと告げると娘は大喜びした。数日間は滞在する予定だと告げると、それなら明日から朝食も簡単なものなら作っておくと言ってくれた。どうやら厳しい経営のなかで、そんなことまでしてもらうのは気が引ける思いの2人であったが、相手の好意を無碍にするのも礼を欠いていると思い、その申し出をありがたく受け取ることにした。

 旅の資金は宿に払った分で少し足りなくなっていたから、朝市が開かれる時間を聞いた。そこで旅の道中で得たものを売り資金を作りつつ、自分たちの故郷へ帰るにはどういう旅程を組めばよいか情報を集めるつもりだった。

 娘に聞いた朝市は思ったよりも活気のある様子で、たどり着いて胸を撫で下ろす。市場に向かうまでは、どこを見ても誰を見ても、別に暗い顔などしていないし、談笑している2人連れなども見かけたというのに、その背後に暗い影が立ち込めているように見えた気がして、自分たちの目論見が全く達成できないのではないかと不安になっていたのである。

 何かが変わりそうで変わらないまま時が過ぎ、人々が疲弊しきっているのに、それに人々でさえ気がついていない王国。それが1泊2日目の朝を迎えたティファンとスフィヤの、この国へと抱いた感想であった。しかし、そんな感想とは裏腹に、人々の好奇心は旺盛なようで、2人が旅の途中で手に入れた品々は、良い具合に売り捌けていった。これならば路銀の調達は今日明日で充分に達成できてしまいそうである。

 けれど商売がてら客たちと話をして、ここがどんな場所に位置するのか、自分たちが目指す都の名前を告げて、行き方などを尋ねようとしても、誰1人として答えてくれなかった。無視をされているのとは違う。笑って誤魔化すように、ほとんどの質問をいなされてしまうのである。それは単純に知らないというわけではないような予感がした。

 正午あたりの時刻になり日が高く登ると、2人は今日の商売をお開きにすることにした。照りつける日の下では客の出入りも朝のように活気のあるものではなくなっていたし、他の店たちのように日除布など用意していない自分たちの体力が削られることを考えてである。昼食を食べに行こうかと親子が相談していると、衛兵たちが近づいてきた。

「おい、そこの旅人風の男、2人」
「僕たちのことですか」
「他に誰がいる。お前たち、今朝からここで物の売り買いをしていたな」
「はい、していましたが」
「そのなかで税金の対象となる高価な品が並べられていると通報があった。品物を全て広げて見せろ」
「えぇっ、そんな話聞いてませんよ。物の売買に税金がかかるなんて聞いたことがない」
「我が国で商いをしようというのであれば、我が国の法に従うのが筋であろう」
「スフィヤ、やめろ。わかりました。売っていた物をお見せすればよろしいのですね。既に売れてしまったものに関しては、我々は関知する術がありませんが」
「それに関しては構わん。ここで物を買った全ての民を調べればいいだけのことだ。さあ、お前たちの手元にある品を見せろ」

 ティファンに諫められて、スフィヤは渋々余った品々をまとめた包むを解いて広げた。遠い海で見つけた貝殻や、鉱石、銀細工などの品々が並ぶ。そのなかで、スフィヤがここに来る直前に精製した金の塊に衛兵は目をつけて手に取った。
「これは明らかに市で取引する物の価値の限度を超えている。その銀細工も怪しいところだが、なんだこの歪な純金は。お前たち、これをどこでどうやって入手したのだ」
「市で取引していい限度額があるなんて知らなかった。その純金は、ここに来るまでにあった森の近くの湿地帯で見つけた物だ」
「では自然の産物だというのか」
「そうだ」
まさか鬼神の術で精製して取り出したなどと言うことはできないため、苦しい言い訳と思いつつ、スフィヤはそう言い張るしかなかった。

「ふむ……まあ、とにかくこれは没収だ。一定の価値を持つ物のやり取りには税が課され、王に献上されるのがこの国の決まりだからな」
「税を払えば物は返して貰えるんだろうな」
「何を言っている。税も納めて、品も納めるのだ。王の膝下で、市を開くことができた王の恩寵を無碍にするつもりか」
「何をふざけたことを。そんなものは税でも何でもないじゃないか」
「スフィヤ、やめろ。だが息子の言う通りだ。役人殿、どうにかならないか。税も納めた上に、売るはずだった品まで押収されてしまっては、我らも路銀を稼がねばならない目的があるのだ」
「お前たちの理由など知らぬ。全ては王が決めたことだ。逆らうのであれば逮捕だぞ」
「上等だ。逮捕してみろよ」

 ティファンがスフィヤを止めようとした時には遅かった。スフィヤの右手の拳が衛兵の腹に叩き込まれていた。
「ぐぅっ……」
倒れ込む衛兵の手から転がり落ちる金を拾おうとしたスフィヤだったが、ティファンに止められた。
「諦めろ、スフィヤ。この数の衛兵に取り囲まれたら厄介だぞ」
そう言ってティファンが駆け出して行く。舌打ちをして、それに続くスフィヤ。
「罪人だ。追えっ、追うんだ」
衛兵たちの叫びが背後から聞こえてくる。2人は人の往来の少ない大通を逃げるのは危険だと判断し、そのまま路地に飛び込んで、日除けのテントを支える柱の上に飛び移り、そのまま建物の屋根まで逃げて、衛兵に見つかっていないことを確認しながら宿屋へと帰った。

 衛兵たちが騒ぐ声が屋根の上まで聞こえてきたので、2人はしばらく騒ぎが落ち着くまで宿に帰ることを諦めなければいけなかった。
「ごめん、父さん。我慢できなかった」
無言のまま先を行くティファンにスフィヤが謝る。
「別に怒っていないさ。ただあんな暴力を振るうことは賛成しかねる。お前が一番わかっているだろうから、これ以上は言わないがな」
日干しレンガのような石造りの建物の上を歩きながら話す2人。下の通りからは衛兵の声が響いている。

「どうしよう……宿屋の人にも迷惑をかけちゃうかな」
「その可能性はあるな。衛兵はこちらを探すために必死だ。旅人だと明かしているから、宿屋を片っ端から探すかもな」
「大丈夫かな」
「わからない。宿に向かおう。入口が見える場所に隠れて、衛兵が来て出て行くのを見届けるんだ。もしも衛兵と店の人が揉め始めたら、助けに入ろう。あの娘さんは何も悪くないからな」
「わかった」

 歩き続けて少し路地に入った場所にある宿の入口が見える場所まで屋根伝いに歩いて行く。城や高い建物から見下ろされて発見されることがないように、建物と建物の境の屋根の窪みを見つけて身を隠しつつ、宿の入口を見張る。

「幸いにも、思ったほど暴力的な手段には出ていないようだな」
「あんなに追われているのに、そう思うの。父さん」
「暴力的な権力であれば、こんな時に意味もなく市民を虐殺することも厭わないさ。通りから聞こえる声の限りでは、そんな事態は起きていないようだしな。宿の娘が言っていただろう。毎日のように暴動と鎮圧が繰り返していると。その割には静かだ」
「言われてみれば……」

「とにかく今一番大事なのは宿の娘の安全だ。泊めた客のせいで命を取られるようなことがあってはならないからな。その時はこちらが自ら捕まりに行くしかない。まあ、捕まっても簡単に逃げられるだろう。父さんは問題ないが、お前はどうだ、スフィヤ」
「僕も大丈夫だよ。手錠をかけられても形を変えてしまってもいいんでしょ」
「己を守るためならな。出来る限りこちらから相手を傷つけにはいくなよ」
「うん、わかってる」
「噂をすれば衛兵だな」
「本当だ。どうしよう、父さん」
「まずは様子を見る。娘の声に注意しろよ。悲鳴らしきものが聞こえたら、すぐに突入する」
「了解」

 警戒しながら成り行きを見守っていた2人だったが、思ったよりも呆気なく衛兵は宿から出て行った。念のため数分ほど時間をおくが、戻ってくる様子もない。2人は顔を見合わせて頷くと、屋根伝いに宿屋に向い、昨夜泊まった部屋の窓にたどり着くと、鍵に手をかざして術をかけて外から開けて中へと入る。部屋に置いておいたわずかな荷物は手をつけられた様子はない。娘は自分たちを庇ってくれたのだろうか。

 食堂へと降りると、厨房から調理している音がした。
「すいません、戻りました」
ダダっと駆け足の音がして、娘が厨房から飛び出してきた。
「あんたたち、無事だったの?今、衛兵が来て大変だったのよ。旅人の宿泊者はいないかって。手配書まで置いて行ったわ。20歳前後と40歳前後の男の親子って書いてあったから、あんたたちだと思ったから、客なんかいたらもう少し経営がまともになるって怒鳴って追い返したけどね。市場で物を売ってたんだって?悪かったね、市場の税金のことまでは詳しくなくってさぁ」

「いや、僕たちもそんなことは言わないで出かけたのですから。何も悪いことなんてしていないですよ」
「うん、気にしないでください。でもよく追い返すなんてできましたね、すごいや」
「普段の暮らしで鬱憤がたまってるからね、むしろそんな機会があって清々したよ」
そう言って笑う娘だが、その肩が震えているのにスフィヤは気づいた。思わず一歩前に出るスフィヤよりも先にティファンが進み出て娘の手を握る。
「震えているよ。無理しなくていい。僕らのために感謝します」
その言葉を聞いて娘の震えはゆっくりと止まった。
「別に……別にそんなお礼なんかいいよ。前払いで宿代も貰ってたしね」
「でも何かあったらすぐに僕らに言ってくださいね。あなたが思う以上に、僕らは腕に覚えがありますから」
そう言って笑うティファンに娘も笑い返して、厨房へと戻って行く。

「また衛兵が来ないとも限らない。部屋に今日は籠もっていよう」
「……うん」
そう言って部屋へと戻る途中でティファンはスフィヤに尋ねた。
「何か不満そうだな」
「……不満ってわけじゃないけど、さっきなんで娘さんの手を父さんが握ったのかなって」
「お礼を伝えたかった。自分の娘でもおかしくない年頃の子だ。理由は知らないが1人でここを切り盛りしているみたいだしな。怯えているようだったから、安心させたかったんだ。衛兵がここに来たのも原因はこっちにある。彼女は何も悪くないからな。なぜ、そんなことを気にするんだ」
部屋のドアを開けながらティファンが疑問を投げかける。
「……別に」
「お前がそうしたかったのか?あの子の手に触れて、怯えを払拭してやりたいかったのか」
「そんなことは言ってない」
乱暴に寝台に腰掛けながら不貞腐れたように答えるスフィヤ。
「父さんの推測だ。間違っていたなら謝るよ。ただな、これも父さんの推測だが、お前くらいの年頃で、気安く肌に触れ合うことは気をつけたほうがいいと思うぞ。違う意味も含んでしまうことがありがちな年齢だからな。さっきの場合の父さんは、あの子の不安を静めたいという気持ちだけで手に触れたが、お前がもしも彼女に触れるつもりだったなら、一体何をどうしたくて触れるのかと気になっただけだ」
「……父さんと僕で相部屋に泊まってるんだ。変なことを考えないでくれよ」
「スフィヤ。これは別に変なことじゃない。ただ、旅先の一瞬の巡り合いで、何かを勘違いするのは若者にはよくあることだという一般論だよ」
「……その話、帰ったら母さんにしてもいいの」
「別に構わないさ」
「ちょっと声が震えて聞こえるよ」
「変なことをいうな」
「別に変な意味はないよ」
ふてた顔をしていたはずのスフィヤは、いつの間にかニヤニヤして着替えるティファンを見ていた。息子は父などいなくても大人になっていくものかと、少し笑ってしまいそうになるティファンであった。
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