第1話

文字数 2,499文字

 自分でも自分が嫌になるほど、俺は中途半端な男だ。いや、中途半端ですらない。何もないし、何もしていない。しかし、自己顕示欲だけは人並み以上にある。理想と現在の自分との大きな差を認識出来るくらいの脳みそはある。だから、毎日苦しんでいる。でも、何もしない。明日も何もしない。一年後も何もしていない。おそらく、三年後も何もしていない。延々と理想の生活を夢想し、現状に絶望する。何のために生きているのか、現実感のない毎日だ。何者かになりたいが、何も努力せず、ただ老化している。

 何もせずに生き続けてすっかり鈍化した頭で毎晩、無意味に考え事をしているのは本当に馬鹿らしい。考えたところで答えは出ないし、何かを思いついて決意したところで、結局のところ実行にはいたらない。そういう毎日なのだ。朝になれば、わずかな賃金のために会社に行かなければならない。やりがいや面白みもない仕事で、会社でも俺は何者でもない。実際のところ、俺がいてもいなくても会社にとって全く支障はない。しかし、出社しなければならない。金がなければ生きていくことも出来ないのは、昔から変わらない世の習わしだ。この旧態依然さ加減は、まるで俺みたいだ。

「おはようございます」

 いつものように出社する。意味がないと思いつつ、しなければならないことは本当に苦痛だ。職場の廊下を二・三人と挨拶しながらすれ違い、自席に着く。パソコンの電源を入れてトイレに行くなどのいつもの日課を済ませたあと、始業時間までネットサーフィンをする。

 定刻になって早速、仕事を始める。会社の中で最も人員配置が少ない我が部署では、就業時間中ほとんど会話がない。四人も人間がいれば、今日の天気くらいの話があるのが普通だろうが、それすらない。さすがに挨拶はあるが。自分以外の三人も会社から期待されていない、必要とされていないという負い目があるからなのか雑談すらしない。変に誠実で真面目なところが少しだけあるから、こういった窓際部署に辿り着いたのかもしれない。本当に中途半端な奴らだ。

 窓すらない部屋でキーボードのタイピング音だけが、鈍く聞こえている。溌溂としたタイピング音ではない。四人ともイヤホンから聞こえてくる会話内容を要約する、文字起こしまがいなことを生業としている。配属された時は、イヤホンをしているから雑談がないと考えたこともあるが、特に関係はなかった。元々、仕事が好きな方ではなかったが、会社から求められないという事がこんなに辛いことだとは思わなかった。他の三人もそう思っているはずだ。会社での自分の状況が覆らないことを認識しているからこそ、誰とも会話する気にならないのだ。

 仕事内容はいたって単純作業だ。会社のコールセンターに寄せられる苦情を、決められた書式に沿って要約するだけ。アルバイトでも出来る。実際に我々以外にコールセンターで働いているアルバイトも全く同じことをしているらしい。つまり我々はやってもやらなくても会社の大勢に全く影響がないことを、毎日やっているのだ。色々な感情が自分の中で渦巻き、悟りを開けそうだと思いつつ、早三年たった。この三年間でもちろん、悟りの境地にいたるわけがなかった。成長はなく、ただただ脳みそが劣化していくような感覚だけがじんわりとある。転職するという選択肢もあるが、面倒で何もしていない。給与は平均より少し貰っているくらいで、残業が一切ないという好条件から、わざわざ苦労して出ていくことを面倒と思うのは別に俺だけじゃないと思う。前にも進まず、後ろにも退かず、意味のない毎日だ。

「お疲れ様です」

 退社した。結局、会社は俺達に辞めてほしいのだと思う。自分に非があってこういう状況になっているのは分かっている。分かっているが、分かりたくない。辞める勇気もなければ、このままここで仕事を続ける気持ちにもなれない。進退窮まっていると思ってしまう。しかし、死にたくはない。田舎で悠々自適に暮らしたいと思うが、現実的には不可能だ。金もないし、おそらく田舎には働く場所もないだろう。こうやって考えては打ち消してを頭の中で繰り広げている間に、自宅に到着した。一体、俺はどうすればいいのか。誰か答えを……正解を教えてほしい。しかし、知らない誰かから「こうすれば良い。ああすれば良い」などの助言をもらったところで信用できず、何もしないというのが目に見えている。やはり何者かになるには、ある程度、馬鹿になる必要があるのかもしれないな。

 明日明後日……つまり土日は我が社が休みの日だ。ちなみに祝日も休みだ。基本的な休日があるのも会社を辞められない原因の一つかもしれない。

 俺はタバコは吸わないが、酒は少しだけ飲む。五百ミリリットルの缶ビールを一本飲めば出来上がりな程度だが。酔っている時は現実感が少し麻痺するので、飲むのは割と好きなほうだ。

 冷蔵庫の中から、賞味期限間近の卵を四つ取り出し、油を引いたフライパンに割って入れる。卵の黄身と白身、油が混ざり合ったら火をつけて、軽くかき混ぜていく。塩胡椒と醤油を薄めにかけて完成だ。こうして出来上がった簡単な炒り卵に加えて、ご飯も一杯食べる。酒飲みの人間は、酒と炭水化物の組み合わせを嫌がる傾向にあるが、俺は酒飲みとまで行かないので白米を一緒にとるのは好きだ。

 一時間かけて一缶と食事をちびちび片づけた。少し落ち着いてくるといつものように「こんなのでいいのだろうか」という気持ちが沸々と湧き上がってくる。日々、思考が繰り返しなのだ。ノイローゼ気味なのかもしれない。考え方を変えた方が良いのだろう。分かっていても、なかなかすぐに出来ることではない。こういう考えは誰もが直面する問題なのか、それとも俺だけがあがいているのか。

 明日は何か新しいことでもしてみるか。そう、新しいこと。新しいことって何だろうか。新しいことをしたい、何かを始めたいとか思っていても何をしていいのか全く分からない。本屋にでも答えが転がっていないか、何度も足を運んだことがあるが、解決するわけがなかった。

 こんな毎日の繰り返しから五ヵ月たったある日。
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