第2話

文字数 2,245文字

 コンコン……。

 会社にある四人しかいない狭い小部屋のドアが鳴った。俺は気づいたが、イヤホンをつけているために気づいていない者もいた。しかし、誰も返事はしなかった。

「おい。いるのか? 入るぞ」

 またもや、誰も返事をしなかった。

 ガチャ。

「おいおい、いるなら返事くらいしろよ。全くしょうもない奴らだな」

 感じ悪く入ってきたこの五十代の男は、我々四人を管理している。我々四人が所属する総務二課を直々に管理するというよりは、兼任で監視しているというほうが正確かもしれない。総務課の課長としての仕事が主なものだが、一応は我々総務二課の面倒も見なければならない立場にある。面倒を見ると言っても日常、ほとんど会うことはないどころか、四半期に一回会うくらいな関係性である。四人のうち誰かが辞めたり、新しく人が入ってきたりしない限り、ここには基本的に用はないはずだ。今回は一体、何の用事があるのだろうか。皆イヤホンを外して、課長の顔を見つめた。

「急な話で悪いけど聞いてくれるかー?」

 あまり良い予感がしない。他の三人も同感なようで、かすかな声でバラバラに「はい」と弱弱しく答えた。

「ほんとに急な話で申し訳ないんだが、この中で辞める奴いないか?」

 唐突な退職勧奨。いつかは来るだろうと思っていても、いざ話が来るとどう答えて良いのか全く分からない。

「なんというか辞めてもいいというか、辞めても問題ないというのか……。なぁ、斉藤はどうだ?」

「え、いや……」

 と、返答した三十代前半と思われる斉藤さんは肯定も否定も口から発さず、もじもじしていた。

「楠田さんはどう?」

「ん……」

 定年間近の見た目をしている楠田さんは、腕を組みながら目を伏して何かを考えているような雰囲気だ。

「今なら早期退職みたいな扱いで、退職金も割増になりますよ」

 課長は、年上の楠田さんに標的を絞ったのか、自然と丁寧な口調になっている。

「退職金が割増と言っても、トータルで考えたら辞めないほうがお金は貰えるよね。毎月の給料だってさ、退職すればゼロになるわけだし」

「それはそうですけど……」

「急になんでなの? 何か理由でもあるの?」

「それは……」

 楠田さんが急に饒舌になったので、思わず課長は言葉に詰まってしまった。

「そうですねぇ……まぁ、上の方針と言いますか……コスト削減ということで不要なところを削っていこうという話が出ておりましてね」

「不要ね。まぁ、そうなんだろうけど、はっきり言われるとちょっと心にくるものがあるよなぁ」

「すみません」

 重い空気が流れる。会社にとって不要な存在という自覚はうっすらあったが、これまで会社側からはっきりと言われたわけではなかった。あらためて言われてしまうと、何だか頭が変になってきた。小学生の頃、皆の前で立たされて教師から説教されたあとの安堵と恥じらい、軽い絶望が入り混じったような感覚。時が進むのが極端に早く感じる。

「ふぅ。急に言われてもね。で、いつまでなの?」

「一応、二ヵ月以内と言われています」

「本当に急だよね。ここから何人辞めればいいのさ」

「出来れば二人です」

 楠田さんが自分達が聞きたい内容を聞いてくれるから助かる。本来の課長であれば聞かれる前に順序良く説明してくれるものだが、楠田さんにちょっと面を食らった感じなのかな。課長のことはどうでもいいけど、二人も辞めなければならないとは。実際、この会社に残っていても仕事は身につかないし、遅かれ早かれいつかは辞めさせられるのだろう。そうだとしたら、自分も辞めることを真剣に考えなければならない。

 二ヵ月か。短い時間の中で、次の職場を探すのは至難の業だ。しかも、現在まともな仕事をしていない。無職のような空白期間と言われても変わりない。貯金だってたくさんある訳ではない。

「今この場ですぐには結論だせないけど、何か判断材料が欲しいな」

「判断材料と言うのは……?」

 まるで楠田さんが上司で、課長が部下のような会話の流れだ。過去にはそういう関係だったこともあるのだろうか。楠田さんはどうして、ここの課にいるのだろう。

「退職金割増と言っても、どれほど貰えるのかはよく分からないし、何か先立つものがなければな。若い者もいることだし」

「分かりました。出来るだけすぐに資料を準備して持ってきます」

 先立つものという言葉に対して、楠田さんと課長で若干の認識の違いがありそうで少し不安に感じるが、この際は仕方ない。皆はどう思っているのだろうか。

 やってもやらなくても問題のない仕事をしているのだから、こういう時こそ話せば良いものの、仕事中、誰一人口を開くことはなかった。時折聞こえてくる溜め息の回数は、いつもより多かった。

 あっと言う間に終業時間となった。今日は何だか家に帰りたくない。とは言っても、どこかに寄って楽しむような行きつけの店もなく、趣味もない。小料理屋に寄って、和食をつまみに酒を飲むような大人の飲み方をしたい気分だ。しかし、そこで店主と軽い会話を楽しむような社交性は持ち合わせていない。また頭の中で、物事を完結させてしまう良くない癖が出てしまった。いつも通り頭の中でひとり言を呟いていると、ある店が目に入った。

「小料理屋 一人」

 何だか良さそうな店だ。店のガラスには「カウンター食券制」との張り紙がある。カウンター食券制というのが少し意味が分からない。カウンターに食券機があるのだろうか。変な店だったら入った瞬間、帰れば良い。とりあえず入ってみることにした。
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