ジミヘン故郷に帰る
文字数 1,991文字
−あんたは橋の下で拾われてきた子なのよ。
姉の突然の告白に、5歳の僕は怖気付いた。
−それ、ほんとう…?
−ほんとうよ。だって、あんた自分の姿見てみなよ。
僕は自分の肌をまじまじと見る。手の甲は珈琲を薄くした−まるでミルクチョコレートの色だ。薄々感じてはいたけれど、僕はやはり父さんの子ではないし、姉のほんとうの弟でもないらしい。
5歳の僕は、運命をなんとか受け入れた。
あれから10年以上を経た今の姿だって、父と姉と似ても似つかない。父と姉の肌の色は黄色がかったピンク色だし、僕より目も鼻も口も小ぶりだし、身長も190cmの僕より20cm以上低い。血の繋がりは、誰にとっても疑われる。
5歳の僕に残酷な運命を告げた後、姉は父に激怒された。
−おい天音 、お前、陸に妙なこと言っただろ?
−へ?何のこと?
−陸が、俺の子じゃないって、拾われてきた子だって?!
−…陸、あんた、バラしたね?
−ほら!やっぱり言ったんだろ?!
僕は、保育園の頃から周りと自分が違うと自覚していた。
肌の黒色、茶色い髪の強いパーマ、体格も日本人よりがっちりしていた。
日本人の父と、アフリカ人の母から生まれたのが僕。
外国語学校の生徒同士で、二人は出会ったらしい。食品メーカーの営業の父は英会話を、アパレル会社勤務の母は日本語をそれぞれ習っていた。
しかし母は僕が生まれて間もなく、他界した。信号を無視した飲酒運転の車にはねられたのだ。
横断歩道で僕の乗るベビーカーを押していた母は、咄嗟にベビーカーを前へ強く押した。
カラカラとベビーカーで前進した僕は、歩道の先−反対方向を歩いていた男性に運良く抱き抱えられた。僕は母の、まさに忘れ形見だった。
僕は母を、残念ながら思い出せない。だから姉のちょっとした意地悪も、信じてしまったのだ。写真の中でしか、母を感じることができない。
写真の中の母は、僕と瓜二つ。
僕は、社会からの奇異の目がつらかった。日本人である僕を、周りは不思議そうに見ていた。
ネイティブに日本語を話せるのに、英語で話しかけられたりした。日本人なのに日本人扱いされない。
幸いイジメには合わなかったけど、僕はいつも周囲から浮いていたと思う。
−僕の居場所は?
日本にいることに絶望した。
そんな中学生のとき。あるクラスメートが言った。
−陸くんは、ジミヘンに似ててカッコ良いよね。
−ジミヘン…?
地味で変?
−ジミ・ヘンドリックスだよ!ギターの神様!!俺のヒーロー!
名前も陸だし、と彼は笑った。
彼は、ジミの凄さを僕に語る。CDやレコードも貸してくれた。超絶なプレイ、歯でギターを弾くこと、自ら弾くギターを燃やし尽くすこと。
それから、僕もジミに憧れギターを弾くようになった。
ジミの生い立ちも壮絶なものだった。母は17歳で出産、ジミを顧みず遊び呆け放置し、数年後に死亡した。ジミは主に祖母と暮らした。
ジミは祖母のルーツ、インディアン居留地で暮らしたこともあり、そこで生きる人々を目の当たりにした。
そんなジミの曲に「I Don't Live Today(今日を生きられない)」がある。僕はジミと共鳴した。
俺は明日生きているのか?
ああ、なんともいえない
だが確実にいえるのは
今日を生きられない
恥ずかしい
時間をこんな風に徒費にして
存在していることが
そして、『VooDoo Child』に痺れた。
俺は山の側に立っている
そして手刀で山を叩き割る
俺はブードゥーの魔術師の子供だから
神は知っている
俺はブードゥーの子供
僕は、いつしかジミの墓のあるシアトルに行きたいと思った。
大学は奨学金を借り、シアトルのアートスクールに通った。移民が多く、物価も安価だ。
片親である父が、わがままを許してくれてよかった。それに姉も、出国の際珍しく涙を流して喜んでくれた。
日本で生きづらかった僕を、二人は応援してくれていた。
アートスクールも、オンライン授業に切り替わって寂しかった夜。姉から、結婚すると国際電話があった。
−おめでとう。
だが、このウィルス騒ぎで帰国はできないし、どう祝えば良いかわからない。言葉に濁っていると、姉が突然告白した。
−陸、あたしさ、あんたが羨ましかったんだよね。死んじゃった母さんに似た、あんたが。
姉に言われた意地悪−姉と僕の血が繋がっていない。あの言葉はずっと僕を苦しめていた。
−あたし母さんの記憶、3歳までしかなくてさ。
つやつやな肌、ふっくらした身体のライン、こころが和やかになる、やさしい声をしてたんだ。あたし母さんに、似てるとこないんだよね。
姉を想う。亡き愛する母に似なかった姉と、そっくりな僕。
−陸、あたし、あんたのこと自慢の弟だって思ってるよ。あんたが日本人として、バスキアやジミヘンや、ウォーホルや草間彌生みたいになるの、楽しみにしてる。
僕は、僕の心は、やっと故郷に帰れた。
姉の突然の告白に、5歳の僕は怖気付いた。
−それ、ほんとう…?
−ほんとうよ。だって、あんた自分の姿見てみなよ。
僕は自分の肌をまじまじと見る。手の甲は珈琲を薄くした−まるでミルクチョコレートの色だ。薄々感じてはいたけれど、僕はやはり父さんの子ではないし、姉のほんとうの弟でもないらしい。
5歳の僕は、運命をなんとか受け入れた。
あれから10年以上を経た今の姿だって、父と姉と似ても似つかない。父と姉の肌の色は黄色がかったピンク色だし、僕より目も鼻も口も小ぶりだし、身長も190cmの僕より20cm以上低い。血の繋がりは、誰にとっても疑われる。
5歳の僕に残酷な運命を告げた後、姉は父に激怒された。
−おい
−へ?何のこと?
−陸が、俺の子じゃないって、拾われてきた子だって?!
−…陸、あんた、バラしたね?
−ほら!やっぱり言ったんだろ?!
僕は、保育園の頃から周りと自分が違うと自覚していた。
肌の黒色、茶色い髪の強いパーマ、体格も日本人よりがっちりしていた。
日本人の父と、アフリカ人の母から生まれたのが僕。
外国語学校の生徒同士で、二人は出会ったらしい。食品メーカーの営業の父は英会話を、アパレル会社勤務の母は日本語をそれぞれ習っていた。
しかし母は僕が生まれて間もなく、他界した。信号を無視した飲酒運転の車にはねられたのだ。
横断歩道で僕の乗るベビーカーを押していた母は、咄嗟にベビーカーを前へ強く押した。
カラカラとベビーカーで前進した僕は、歩道の先−反対方向を歩いていた男性に運良く抱き抱えられた。僕は母の、まさに忘れ形見だった。
僕は母を、残念ながら思い出せない。だから姉のちょっとした意地悪も、信じてしまったのだ。写真の中でしか、母を感じることができない。
写真の中の母は、僕と瓜二つ。
僕は、社会からの奇異の目がつらかった。日本人である僕を、周りは不思議そうに見ていた。
ネイティブに日本語を話せるのに、英語で話しかけられたりした。日本人なのに日本人扱いされない。
幸いイジメには合わなかったけど、僕はいつも周囲から浮いていたと思う。
−僕の居場所は?
日本にいることに絶望した。
そんな中学生のとき。あるクラスメートが言った。
−陸くんは、ジミヘンに似ててカッコ良いよね。
−ジミヘン…?
地味で変?
−ジミ・ヘンドリックスだよ!ギターの神様!!俺のヒーロー!
名前も陸だし、と彼は笑った。
彼は、ジミの凄さを僕に語る。CDやレコードも貸してくれた。超絶なプレイ、歯でギターを弾くこと、自ら弾くギターを燃やし尽くすこと。
それから、僕もジミに憧れギターを弾くようになった。
ジミの生い立ちも壮絶なものだった。母は17歳で出産、ジミを顧みず遊び呆け放置し、数年後に死亡した。ジミは主に祖母と暮らした。
ジミは祖母のルーツ、インディアン居留地で暮らしたこともあり、そこで生きる人々を目の当たりにした。
そんなジミの曲に「I Don't Live Today(今日を生きられない)」がある。僕はジミと共鳴した。
俺は明日生きているのか?
ああ、なんともいえない
だが確実にいえるのは
今日を生きられない
恥ずかしい
時間をこんな風に徒費にして
存在していることが
そして、『VooDoo Child』に痺れた。
俺は山の側に立っている
そして手刀で山を叩き割る
俺はブードゥーの魔術師の子供だから
神は知っている
俺はブードゥーの子供
僕は、いつしかジミの墓のあるシアトルに行きたいと思った。
大学は奨学金を借り、シアトルのアートスクールに通った。移民が多く、物価も安価だ。
片親である父が、わがままを許してくれてよかった。それに姉も、出国の際珍しく涙を流して喜んでくれた。
日本で生きづらかった僕を、二人は応援してくれていた。
アートスクールも、オンライン授業に切り替わって寂しかった夜。姉から、結婚すると国際電話があった。
−おめでとう。
だが、このウィルス騒ぎで帰国はできないし、どう祝えば良いかわからない。言葉に濁っていると、姉が突然告白した。
−陸、あたしさ、あんたが羨ましかったんだよね。死んじゃった母さんに似た、あんたが。
姉に言われた意地悪−姉と僕の血が繋がっていない。あの言葉はずっと僕を苦しめていた。
−あたし母さんの記憶、3歳までしかなくてさ。
つやつやな肌、ふっくらした身体のライン、こころが和やかになる、やさしい声をしてたんだ。あたし母さんに、似てるとこないんだよね。
姉を想う。亡き愛する母に似なかった姉と、そっくりな僕。
−陸、あたし、あんたのこと自慢の弟だって思ってるよ。あんたが日本人として、バスキアやジミヘンや、ウォーホルや草間彌生みたいになるの、楽しみにしてる。
僕は、僕の心は、やっと故郷に帰れた。
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