プロジェクトリーダー・マツキの場合

文字数 3,819文字

 自動審判システム(AJS-PRO―DSK03)はプロ野球界に革命を起こした。ジャッジに対する選手や観客のフラストレーションを劇的に減らし、プレーに集中する時間を双方にもたらした。
 試験導入という形で始まることになったが、ミスジャッジも含めてスポーツであるという意見もあったし、システムが正確なジャッジを出来るのかという声も聞いた。
 しかし、毎日の割り当て分の試合を無難に捌いていくと、観客はもちろん、選手からも安心の声を聞くようになった。当初、無事に稼働していること自体が新聞を賑わせていたが、やがて全く取り上げられなくなった。
「このシステムがもっと早く出来ていたら、あと二十勝は出来た」
 あるベテラン投手のこの言葉がメディアで報じられ、審判団への侮辱だと謝罪に追い込まれたが、システムへの信頼から来る言葉であるという意見も多かった。
 この件で自動審判システムが審判問題の特効薬になるという意見が広まり、本格導入のスケジュールが早まったのだった。

 そもそも、プロ野球に導入された自動審判システムの開発のきっかけは、プロ野球界が審判員不足に直面したことに始まる。
 以前から野球人口の減少が話題になっていたが、野球人口の減少は、審判のなり手不足に拍車を掛けた。それに加えて現役審判の高齢化も進むと、判断力の衰えと体力面の不安も指摘されるようになった。公平なジャッジを保つために幾つかの施策も取り入れられたが、試合の中断が増えたことによって試合時間も以前よりも増えたというデータも示された。すると世間から審判団への風当たりも増し、結果的に離職者も増えてしまった。
 当面の苦境を凌ぐために、外国人技能実習制度を利用して人材を確保したものの、まずはファームの試合で実績を積んでからということになってしまうため、特効薬とはならなかった。

 マツキの勤めるシホンマツ道具店は、スポーツ用品を手掛ける中小企業だった。
 しかし、マツキの大学の同級生がここの跡取息子であり、その彼の熱心な働き掛けもあって、同じ大学の仲間数人と一緒に入社した。それから僅か数年で、最新機器を駆使したスポーツ用品を手掛けるメーカーへと変貌を遂げていった。
 会社が成長曲線に入った頃、プロ野球界で課題となっていた審判問題に目を付けたシホンマツ道具店は、自動審判システムの開発に乗り出した。マツキはプロジェクトリーダーを務めることになった。
 硬式ボールやベースに仕込まれたセンサーや、カメラでボールと人の動作を認識する技術も、それぞれ以前から社会に浸透した技術であった。あとはそれを組み合わせられれば良く、開発はスケジュール通りに進んだのだった。

 自動審判システムは、世間の期待する結果を残した。競技人口が減少の一途をたどっているとは言え、国民的スポーツである野球界への貢献が大きかったということで、国からも表彰を受けた。
 シホンマツ道具店という社名と共に、マツキの名前がプロジェクトリーダーとしてメディアに取り上げられた。
 父は野球経験者で、母は父とは高校の同級生で野球部のマネージャーであったため、二人はマツキの活躍を大層喜んだ。
 現在のマツキの風貌からは意外と受け止められるのだが、マツキ自身も高校球児であった。体格に勝る下級生にも押され、最終的にはレギュラーを掴むことはできなかったが、練習には休まず参加したし、仲間の応援も厭わなかった。そして野球を通じて得た経験は、自分の実になっているはずだと前向きである。

 そんなマツキの転機となったのは、小学生時代の練習試合で、母が一騒動起こしたことだ。
 その日の練習試合、点差が開いて敗色濃厚な中でマツキが出塁した。しかし出塁したは良いが、ランナーとして普通のことが出来るか不安だった。リードの塩梅もよく分からない。自信無さそう小さな歩幅で一歩、二歩とベースから離れてみた。
「もっとだ、もっと出れるぞ」
 監督の声でリードを広げた瞬間に牽制球が来た。戻り損ねたマツキはセカンドへと走り出したが、セカンドを守っていた選手とぶつかりアウトになった。マツキは天を仰いだ。
「今のはセカンドが走塁妨害じゃないですか!」
 マツキが一塁側のベンチを振り返ったのと同時に大声がグラウンドに響いた。視界には、母が何歩か進み出て相手チームのセカンドの選手を指さす姿があった。
 グラウンドでは、何が起きたのかと静まり返った。マツキの母は指をさしたまま主審の方へと向き直った。すると主審はマスクを外して二、三歩進み出るとこう言った。
「正式に抗議が必要なら、ベンチからお願いします」
 この時の主審は、こういった保護者の抗議には慣れていたのかもしれない。ベンチからは抗議の動きはなく、マツキのプレーでスリーアウトとなったため、この回の攻撃は終了となった。
 マツキは自分のプレーへの情けなさと、母親の行動への恥ずかしさで鼓動が早くなるのを感じていた。肩を叩かれて切り替えようと言ってくれたチームメイトの優しさもすぐに受け入れられず、その後の守備機会でもエラーを犯している。
 試合終了後、マツキは母と父が主審のもとへと行く姿を目にした。マツキはその様子を見届けるのが怖くて目を背けた。
「謝りに行ったみたい」
 マツキの両親の様子に気付いていたチームメイトが言った。その声は無視できず、恐る恐るその方向に目をやると、母が父と共に頭を下げている様子が見えた。一塁の塁審をしていた相手チームの保護者もそこにはいて、二人で笑顔を浮かべ、何かを否定するように手を横に振っていた。マツキの両親は繰り返し頭を下げていた。
 遠目に見ていて、母の行為は許しを得られたように見えた。マツキの母がずっと申し訳なさそうにしている様子を見て、マツキはなぜか安心していた。
 そしてその日を境にして、マツキは野球に本腰を入れて取り組むようになった。 

 自動審判システムを開発すると決まった時、あの主審のように、試合に秩序をもたらすようなものにしたいと思った。大前提としてルール通りに試合を運ぶこと。それに加えてルールは選手のレベルに合わせて柔軟に適用すること。
 言うまでもなく、プロ野球での運用よりも小学生の年代でのジャッジの方が柔軟さを求められる。ストライクゾーンの広さは設定で変えられるし、インフィールドフライはデフォルト値がオフなのでジャッジされない。走塁妨害とボークは、試合中の選手の動きを感知し、ジャッジするかどうかをシステムが自律的に設定する仕様だ。
 プロ野球で培った経験をベースに少年野球ならではの仕様追加を行い、機能的に十分なものを備えたシステムであるという自負をマツキを筆頭にスタッフ一同持っていた。後は実証実験で裏付けをとるだけだった。
 
 実証実験となるこの試合も、事前に試合データを集めた上で選定されたものである。AJS-JR―DSK05で最も広いストライクゾーンの設定が、白雲フローズの試合データとほぼ一致していたのである。
 どの設定を選ぶかは両チームの監督次第であるが、この日のマツキの最大のミッションは、最も広いストライクゾーンの設定に誘導することであった。
 システムの仕様を雄弁に語って人を納得させることは苦にしないのだが、人の意思を誘導するミッションにはいささかの不安を感じていた。
 試合の準備は整い、いよいよ両チームの監督を呼び寄せてストライクゾーンの設定について説明を始めた。
「一番広い場合ってどのくらい?」
「おおむねバッターボックスのラインまで。高さはひざ下でもゾーンに入るようになります」
 マツキは敬語くらい使って欲しいと思いながらも、自身は丁寧な口調で答えた。
「広い方がいいですよね」
 白雲フローズの監督が相手の様子を伺うような口調で言うと、相手チームの監督も「そうだねえ」と言って同意した。
「承知しました。では、依頼の通りのジャッジをさせますので」
 気が変わらないうちにと、マツキはそこで話を切った。そしてあたかも設定を始めたかのように端末をいじるふりをした。

 試合はトラブルもなく進んだ。システムのストライクゾーンのジャッジにも不満の声は聞こえなかった。システムのストライクゾーンも白雲フローズ側の主審とほぼ一致しているはずだから、システムはそれを再現出来ているのだとマツキは理解していた。
 試合終了後、マツキは選手から感想を聞くべく両監督に許可を求めた。監督らがベンチに戻ると、フローズのベンチでさっと手を挙げる選手がいた。そして直ぐにマツキを始めとしたスタッフのいる場所へと駆けてきた。
 マツキは録音ボタンをタップしてから質問を始めた。
「えーっと、先発してた選手から?名前を教えてください」
「はい。白雲フローズのアカイマサノリです」
 男の子は駆けてきたばかりだったので肩で大きく呼吸をしていた。
「今日の試合の感想を聞かせて欲しいんだけど、いつもと違って機械の審判で試合を進めたわけだけど、ピッチャーとしてどう感じましたか?」
「お父さんが主審する時と同じ位のストライクゾーンでした」
 男の子は、マツキが聞きたかった答えを真っ先に言ってくれた。データ検証は必要だが、投げている本人の実感が伴っていることが最も望ましいのだ。
「じゃあ、お父さんは機械と同じくらい正確にしていたんだね」
 男の子は笑顔で大きく頷いた。マツキも彼と同じように笑顔を浮かべていた。
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