ピッチャー・マサノリの場合

文字数 3,164文字

 マサノリは、白雲フローズの試合を自動審判システム(型式:AJS-JR―DSK05)がジャッジすると聞いて心が躍った。
 プロ野球界で稼働しているシステムを体験できるというのだから、楽しみで仕方がなかったのだ。設置作業の最中も興味津々で、まるで有名人に会ったかのようにチームメイトと盛り上がっていたのだ。
 だが、いざ自分がピッチャーとしてマウンドに立ってみると、普段とは違う投げにくさを感じた。
 投げにくさの理由はマサノリ自身も気付いていて、それはキャッチャーの後ろに主審という「壁」がいないからだった。
 自動審判システムは、ボールとベースに搭載されたセンサー、それに飛行型空中カメラによって制御されるため、人手は不要である。
 キャッチャーと主審を「壁」と捉えて投げていたマサノリにしてみれば、主審が欠けた分、小さい的を狙う感覚になってしまう。
 しかし、今日はどうしてもストライク先行のピッチングを見せたかった。
 ギャラリーに目をやると、知らない大人がたくさんいて、公式戦よりも賑やかだ。それも自動審判システムのせいだろう。監督からも父からも、いつもよりも人は多くなるだろうとは聞いていたが、マサノリを覆う緊張感の正体は、ギャラリーが多いから、という単純なものではなかった。

 マサノリがフローズに入団したのは三年前の小学校三年生の頃。それまでは水泳を習っていたが、野球を始めるのと入れ替わるようにして止めた。父の中学の卒業アルバムで、野球をしている写真を見たからだった。二桁の背番号を背負っていたマサノリの父は、写真の中で目を腫らして泣いていた。
 父を泣かせるほどの野球というスポーツを自分もやってみたいと思ったのだった。

 ルールを覚えるまでに苦労があったが、水泳と違って仲間と一緒に戦っていると応援をもらえるのが嬉しかった。五年生になると急に身長が伸び、手足が長かったのもあってピッチャーの練習を指示された。
 練習を始めてから一月後、初登板はリリーフだった。点差が開いて負けている展開だったので、気楽に投げられるという配慮だったのだろうが、初めてのことで我を忘れていたマサノリのコントロールは定まらなかった。キャッチャーの構えるミットがやけに小さく見えて、とてもそこに投げられる気がしなかった。一イニングのみの登板で、打者六人に対して四球二個、死球一個、暴投一個。どうにかしてアウトを三個取れたものの、マウンドを降りた直後、安堵と悔しさで溢れそうな涙を必死に堪えた。
 
 その日の食卓での話題はマサノリの初登板の話が中心となった。マサノリの父のヒデアキが仕事の都合で試合観戦していなかったため、母のヨウコが試合の経過を説明した。時々記憶が飛んでいる部分はマサノリに確認しながらとなったが、マサノリはあまり振り返りたくないものだったため、生返事ばかりだった。
「五年生用の特別ルールで、もう少しストライクゾーンが広ければいいのになぁ」
 ヒデアキの案に対してヨウコは呆れていた。
「もう少し技術的なアドバイスしてあげなさいよ。一応野球経験者でしょうに」
「中学までしかやってないし、昔の理論が今でも通じるとは思えないよ。もっとも補欠だったから理論も語れないけどさ」
 ヒデアキは自虐的に笑った。
「でも一つ言えることがあるとすれば、主審を的にしたつもり投げるといいと思うよ。キャッチャーミットしか見てるよりは気持ちが楽なんじゃない」
「ストライクにならないじゃないの」
 ヨウコが反論した。
「そもそも投げ始めた小学生がストライクゾーンを九つに分割にして投げ分けるということが無理だと思うよ。だからストライクじゃなくても、バットが届きそうなところに投げておけば相手だって振ってくれるってば」
 確かにそうかもしれないとマサノリは思った。ゲームのコントローラーで操作する程簡単にはいかないのだ。
「それに、そもそも審判のコールするストライクってのがどういう意味かと言うとだなぁ・・・」
 そこから先のヒデアキの話は聞き流された。

 幾つかの悔しい思いを経験し、六年生に進級したマサノリはエースとして認められるようになった。しかし、父が主審を務めた何度目かの試合の後、今まで以上に悔しい思いを味わうことになっていた。
 父のジャッジは、他の主審と比べて甘い方であると思っていたが、それは自分がピッチャーとしてマウンドに立っている時だけでなく、バッターとして打席に立っている時もそうだったから、一貫したものだと感じていた。
 試合が終わって一人でトイレに行く途中、タバコ休憩をしていたフローズの保護者の会話を耳にした。
「アカイさんのストライクゾーン相変わらず広かったですね」
「自分の子が投げていれば広く取りたくもなるのが人情。それに、エースのピッチングを見せないといけないからね」
 相手チームからの声ならまだしも、身内からそのような声が出ていることにマサノリはショックを受けた。そして、きっとそういう会話が各々の家でされているだとうと想像すると、チームメイトとも目を見て話すことが出来ず、沈んだ気持ちのままその日は帰路についた。
 自宅で一番風呂に浸かった後、こんな気持ちのままフローズのためには投げられないと思ったマサノリは、ヨウコにそのことを話した。普段は、分からないことがあったらAIに聞きなさいと言って取り付く島もないヨウコだったが、この時はすぐにケラケラと笑ってこう返した。
「他人から嫉妬されるような旦那と息子を持って、お母さんは鼻が高いわ!」

 試合前に交わされた、ストライクゾーンが広めに設定されるという業者と監督の会話は、マサノリの耳にも届いていた。
 マサノリは、父のジャッジと比較するにはうってつけの機会だと思った。父と同じか、それ以上に広いのであれば、息子のためにストライクゾーンを広げているという根も葉もない話を否定できるはずだ。
 業者が言った通りであれば、いつも通りのピッチングをすれば四死球はあまり出ないはずである。しかしこの「出ないはず」という認識が、「出せない」という意識が変わった時、マサノリは今までになく緊張することになったのである。
 初球、腕が縮こまって置きに行くようなフォームから投じられたボールは、打者の前で失速し、キャッチャーがミットを上から被せるようにして捕球した。マサノリは(しまった)と思った。
 しかし、両チームのベンチ横に設置されていたBSO掲示板には青ランプが一つ灯った。
「おーっ」
 それはAJS-JR―DSK05がジャッジしたことに対する歓声であった。マサノリはちょっと意外そうな表情を浮かべた後で安心したように笑った。
 その後も順調に球数を重ねたマサノリは、予定の二イニングを投げ終えた後、マウンドを次のピッチャーに譲った。一安打無四球、エラー絡みの一失点という内容だった。相手バッターは、若いカウントからでも積極的に振ってきた印象で、球数もそれほど多くはならなかった。
 後を引き継いだピッチャーともストライクゾーンについて話をしたが、いつもよりも広いということが確認できた。その後、一巡したところで中軸を打っているバッターにも声を掛け、やはりストライクゾーンを広く感じているということを確認した。
「ストライクゾーン広いから積極的に振っていこーぜ!」
 ベンチからもそんな声があがった。誰もジャッジには不満を言わず、むしろ適用しようとしていた。
 スムーズに試合は進み、フローズが5対4のスコアで勝利した。

 試合終了後、大人達に感想を求められたマサノリは、胸を張って言った。
「お父さんが主審する時と同じ位のストライクゾーンでした」
「じゃあ、お父さんは機械と同じくらい正確にしていたんだね」
 マサノリは笑顔で大きく頷いた。
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