第2話 闇の掃討組織アジール

文字数 2,773文字

そのカフェは、外壁が美しいレンガ造りで、入り口には大きなアーチ型のドアがあり、その上には装飾的な看板がかかっている。「プチ・ペシェ」と書かれたその看板は、一見するだけで訪れる人々の興味を引きつけた。

「いらっしゃいませ!!何名様ですか?」

「ダージリンティーとチーズケーキをお持ちしました!」

翌日のカフェでは、メンバーたちがいつものように慌ただしく接客をしていた。

カフェの2,3階は、メンバーたちの居住スペースとなっており、そこから重い体を引きづりながら、カフェの制服を着た女性がキッチンに下りてきた。

女性の名前は、エマ。異世界から転生してきた24歳の女性。短めの前髪に、紫色のストレートヘアで、勤務中は三つ編みにしている。長年の夢だったカフェ経営に邁進するエマは、カフェのオーナーであり、真面目で情に厚い一方、人とのコミュニケーションが苦手で、なかなか本心を開かない性格だった。

「エマ、大丈夫なのか?無理しないで休んだ方がいい」と心配そうにアルベールが声をかけると、

「ありがとう、アルベール。でも、もう大丈夫。みんなに迷惑かけたくないから」とエマは手を洗いながら微笑んだ。

レオがキッチンから顔を出し、「エマ、今日のおすすめメニューは何ですか?」と尋ねると、

「今日のおすすめは、シュークリームよ。新しいレシピにチャンレンジしたの」と自信ありげに答えた。

そんなエマの様子に皆、安堵の表情を浮かべた。

「エマの作るスイーツって、斬新で、ユニークで、おいしいのよね」とニコレッタがキッチンをのぞき込んで言った。

「そうそう。エマのスイーツ目当てのお客さん、すっごく多いのよ」とテーブルを片付けながらソフィアも加えた。

「異世界の魔法のエッセンスがたっぷり入っているからね」とエマが冗談っぽく言うと、皆笑い声をあげた。

このエマこそ、昨夜、悪徳者を一掃した冷徹なモンスター、アブサンの本来の姿だった。

ソフィアが、獰猛なモンスターにあえて名前をつけたのは、その奥に存在するエマとモンスターをしっかり区別したかったからだ。

アブサンの名前のことはエマも知っており、ソフィアたちが自分を大切に思ってくれているその配慮がとても嬉しかった。

コーヒーハウスにて、アブサンを捕獲したレオ、ソフィア、ニコレッタ、アルベールはこのカフェのメンバー。

ソフィアとエマは、ホールを担当し、レオとニコレッタは、キッチンを担当している。アルベールは、主にカフェの会計を担当しており、不定期でカフェの事務所で働いていた。

エマにとってアルベールは、心から信頼でき、頼りがいのある父親のような存在だった。

カフェメンバーたちは、それぞれ人には言えない不遇な過去を抱えていた。

ソフィアは、娘を女優にしたいと願う母親のエゴによって、無理やり演劇学校に入れられ、パトロンの愛人として金銭的援助を受ける代わりに、不健全な関係を強制させられていた。

レオは、孤児で、子供のころから煙突掃除や靴磨きなどの仕事を強制され、強欲な親方に搾取されていた。

ニコレッタは、シングルマザーの元娼婦。子持ちであることを隠して、売春をしていたが、病気になったことで解雇され、娘とともに路頭に迷っていた。

カフェメンバーは、エマと出会ったことで、幸運にもプチ・ペシェで働く機会を得たのだった。メンバーたちは、自分たちを最悪な境遇から救い出してくれたエマに絶大の信頼を寄せ、その信頼の絆が、カフェとメンバーたち自身の人生を支えていたのだ。

エマの転生前の人生は、シングルマザーとして一人息子を育てるアラフォーの女性だった。

元の世界での生活に特に不満があったわけではなかった。

何の因果か、この世界に転生したエマは、元の世界と比べ、過酷な第2の人生を送ることになってしまったのだった。

エマは、ある子爵とメイドの娘として生まれた。母親のケイトは、父親のコルデー子爵邸でメイドとして働いていた時にエマを身もごった。子爵による強制的な行為であったものの、ケイトはすぐに解雇された。

幼いエマを抱えて職を転々とする中で、身体が弱かったケイトは無理が祟り、ついに癌で亡くなってしまった。

当時、医療技術の革新のための解剖用の遺体が不足しており、エマは生きのびるため、母親の死体を売らなければならないほど貧しい状況だった。

下層階級の人間の死が医療の発展に貢献しても、その恩恵を受けられるのは上流階級の人間だけ、という悲しい不条理がまかり通っていた時代だった。

母親を失ったエマは、しばらく貧民学校に通っていたものの、信心深い母の友人の紹介で、修道院の孤児院に入ることになった。

そこで生涯母親代わりとなる修道女のカトリーヌに出会えたことは、エマの人生において幸運なことだった。カトリーヌの兄であるアルベールとは、そのころからの付き合いだ。

孤児院での生活は質素だったが、そこでの穏やかな日々がエマの心を少しずつ癒してくれた。しかし、エマが17歳の時、その人生は大きく揺さぶられることになった。突然、コルデー子爵に呼び戻され、ある男爵の愛人になるよう命令されたのだ。拒否すれば、修道院に嫌がらせをすると脅され、エマはしぶしぶその命令に従ったのであった。

そこでの生活は地獄だった。男爵の屋敷に仕える身となったエマは、男爵からの容赦ない性的嫌がらせに耐え続けなければならなかった。男爵からはいつも監視され、逃れる術もないエマは、心身ともに追い詰められていった。

ついに我慢の限界に達した夜、男爵の手が再びエマに伸びたその瞬間、彼女の中で何かが切れた。怒りとストレスが爆発し、エマの身体はモンスターへと変貌した。獰猛な姿となったエマは、男爵に容赦なく襲いかかり、その命を奪ったのだった。この事件は、謎の怪奇事件として迷宮入りとなった。

エマがモンスター・アブサンに変貌したのは、この時が初めてだった。

エマの胸元に刻まれた紫の刻印は、アブサンが魔女の復讐の呪いによって生まれたことを示していた。

貴族などの特権階級の人間へのエマの強い恨みは、母と自分を捨て、自分の人生を踏みにじった父親に対する怒りから始まっていた。

魔女の復讐の呪いによって得たアブサンの破壊力は、自分のように復讐を望む人たちのために利用すべきだと考えたエマは、アブサンによる悪徳者の掃討活動を開始したのだった。

アルベールもカフェメンバーたちも、エマの複雑な境遇やその思いを理解し、協力してくれた。

そしてそのエマの魂に共鳴し、復讐心を抱える哀しき共犯者たちによって結成されたのが、闇の掃討組織アジールだった。

まさに復讐の鎖がつないだ運命共同体だった。

最初のころは、アブサンをコントロールできていたエマだったが、時間が経つにつれ、アブサンの存在が自分にじりじりと侵食していることに、不安を感じるようになっていくのだった。

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