第1話 ノート

文字数 2,535文字

 ノート
 五月一日。今日は晴れた日です。青々とした空は私を照らしています。こんな日に申し訳ないのですが、みんなと同じ空を、今日をもって見ることをやめます。理由は言いたくありません。ごめんなさい。これを最初にみつけるひとは、きっと母さんか、父さんか、そのどちらかだと思います。きっとですが、知っているとおり、今日は私の誕生日です。今日をもって、今日は私の命日となります。なぜだか、ふしぎと気持ちが軽く、小言をはさむ余裕があります。いい日になりそうです。

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 二か月前の今日、クラスメートが自ら命を絶った。その日の前日まで、つまらないくらいに普通だった彼が亡くなった。彼は桜田夏樹という名前だった。五十人の生徒が所属する小さい中学校に、そのニュースは瞬く間にとどろいた。それは佐藤清にも届いていた。
「すっかりさびしくなった。」
 清は、それこそだいたい二か月ぶりに、部外者のいない校門を通ることができた。公立のこの中学校はところどころがさびれていて、校舎を歩くたびにみしみしと音を立てるのだ。あと三十年もすれば廃墟になりそうなぼろぼろの校舎は、今日はより特別に、寂しさを増していた。
 昇降口で靴をぬいでいるときに声をかけられた。
「清、おはよ」
 佐野啓二は軽快に挨拶をしてきた。しばらくお通夜の雰囲気だったから、このくらい能天気な声を聞くことができたのは久しぶりだった。
「おはよ。」
 同じ調子で返事をした。並んで教室へ向かった。柔らかな桃色の色彩が鮮やかな黄緑色へと移り変わるように、この学校の雰囲気も、すこしずつ元に戻ってゆく。もしくは、進んでいく。
 一つの学年に、一つのクラスがある。一学年は十人。二学年は十四人。三学年は二十六人。清と啓二は一学年だった。そして、命を絶った桜田夏樹も同じだった。そうだ、今は九人ということになる。彼が亡くなったことを知らされたときは、現実味のひとつも感じられなかった。清にとって、身近な人が突然いなくなるのは初めてのことだったのだから、それは当然の反応といえた。啓二もだいたい同じような反応だった。他の七人のクラスメートも、しばらくは涙を流したり、ぼうっと空間を眺めたりしていた。
 一か月の時間が過ぎたあたりから、クラスの色は穏やかになっていった。


 清は山岳部に入っている。生徒数が極端に少ない原因の一つとして、四方八方が山に囲まれた、田舎の田舎に建てられた中学校だからというのがある。山に囲まれているというより、山に同化していると表現したほうが適切だといえるほど、深い山が中学校を覆っていた。
 部員はたったの二人で、部長の原田先輩と、清。原田先輩は頼りになるもので、山のやの字もわからない清に向けて、山というものを手取り足取り教えていた。必ず独断で動かないこと、クマなどの危険な動物を見つけたときは興奮しないで部長に報告すること、最も大事なのは、いろいろと自然を楽しむこと。
 
 今日は南側の裏山に登る計画になっていた。清がこの山に登るのは五度目で、ずいぶんと慣れていた。部長は決まって、慣れてきてからがこわいんだぞ、と言っていた。そうはいっても、行きつけのバーみたいにこの森に親近感を抱いていたから、のんびりと登ることができるだろうという気持ちが二人の間にあった。

「あれ。」
 清は、山の中腹あたりで、見慣れないくぼみのような、へこんだところが遠くに見えた。
「部長、あんなの、前に見たことありましたっけ。」
 部長は、どれどれ、と清の指さす方向へ体を向けながら話し始める。
「あれは、なんだろうね。あんなに大きく穴をつくる動物なんて、いたっけな。」
 二人は好奇心に駆られるまま、くぼみへと近づいていく。近づくにつれて、整備された道とは程遠い、獣道に入り込んでいく。雑然とした地面を歩いていると、新緑がぎらぎらとまぶしくて、何度もうっかり転びそうになる。校舎の四倍くらい大きな木々はひとつの生命というよりも、森全体でいのちを共有しているような強固な結束があった。
 清は部長より一足先にくぼみをみる。すぐに違和感に気付く。
 くぼみの中に、小さな山がある。近づいてみればわかることだったが、このくぼみは動物が掘るには少しばかり大きすぎるものだった。恐らくは、自然にできた地形だった。今までは、どうしてか気づかなかったのだろう。ただそれだけだ。けれど、その自然な地形の真ん中に、どうにも人工的で小さな山がある。幼稚園でつくられている砂山のようだった。
「この山って、間違いなく人間がつくりましたよね。」
 首をかしげていた部長に対して、清は質問した。
「そうだな。これは、でもなんだろう。」続けて部長は言う。「私たち以外にもこの山に登る人がいたということに驚きだ。しかしそれ以上に、この砂山はくぼみに対して小さすぎるし、そもそもつくる必要性も感じられない。不自然で、不格好で、それでいて少し不気味だ。私たちがみつけたのも、きっとなにかの巡りあわせだ。調べてみよう。」
「まじですか。」
 余計なことに顔を突っ込むな、と胸中でぶつぶつ呟いてから、部長に続いて清はくぼみの中へ入り、膝の高さもない山のすぐ前に立つ。部長はおもむろに山に手を伸ばして、カタヌキをするように慎重に、幼稚園児を怒らせないように丁寧に、その小さな砂山をかき分けていった。五秒もしないうちに、部長は、固い青色のものを見つける。それは一目見ればすぐにわかるものだった。
「自主学習ノートだ。しかも青色だから一年の。」
 清の言葉を受けて、部長はまた慎重にそのノートを手に取った。ノートについていた砂や土は、ただのっかっていただけで、斜めに傾けてやると、重力に逆らうことなく自然と落ちていった。そして、その持ち主の名前が、静かに顔を出すようにあらわれた。


「桜田、夏樹。」

 部長と私は、そのまま吸い込まれるように、帰着するようにノートの中を覗き見た。四月三十日と右上に書かれたページには、びっしりと白い部分を埋め尽くすように、春、心身、胸などの、漢字ドリルに記載されている漢字が書かれたいた。
 ページをめくって、五月一日。
 その日のページのほとんどは白い余白に埋め尽くされていた。穏やかな文字だった。









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