便所ロワイヤル

文字数 1,636文字

 梅雨のある日、九〇%に達さんとする湿度で自宅の便所のドアは膨張していた。もちろんドア枠も、だ。開け閉めのたびに「ガッ」とドアとドア枠がぶつかる硬い音、インパクトの前にも(ゴス……)と木の擦れる抵抗があった

 待て、これは——やばいんじゃないのか。
 もし便所のドアが開閉できない程に湿気を含んだらどうなるか? ひとたび不安に感ずればおちおち用も足せない。予め断っておくが「おちおち」に「ん」をいくら足しても「おちんちん」にはならない。すなわち、便所に、便所自身によって監禁される可能性があるのだ。ああ、恐ろしい子!
 気分転換だ、逆を考えよう。便所が、便所自身によって閉じこもってしまう場合。当然に便所内は無人だ。これはどうだ。ククク……どうだ! 急な差し込みに際しては、風呂場がある! 原始的ながらも歴とした水洗便所である——そのうえウォシュレットもついてくるんだぜ? ふん、傑作だよ。最高の環境だ。もう便所の話は置いといて、一緒にシャワーを浴びないか?

 最悪の環境が便所監禁だ。——しかし。違和感がある。用便はいくらでも足せる。出し放題だ。この際ギガ単位で出してもよかろう。ギガ便所。いやテラ便所でもいい。
 天の被造物たるヒトは七日間、水のみで生存可能という風に作られている。教会で産まれ、冒険ののち、教会にセーブをしに行くことを想定した必要最低限の設計だ。水も、割り切れば喉が渇こうがどうしようがなんら心配はない。腹減った? そこらの便所紙でも食っとけ。茶腹もいっときにかけて便所紙もいっとき、とかそんな格言すらも浮かぼう。
 汗ばむ季節だが、ボディシートがある。しかも居住空間の掃除にも使用でき清拭・清掃後には水に流せるのだ。何なら某RPGにある怪鳥の啼き声を「クイッ、クイックル~」にしてもいい。実際そのように啼いている。ああ啼いている。それでもにおうならスプレー式の消臭剤がある。適宜ご使用ください、だ。そればかりでない。洗濯だってできる。洗剤も強力な塩素系のものがあるし、水もため洗い、ためすすぎができる量が確保されている。当然のごとくタオルもある。入浴も可能だ。
 トイレにニューヨーク(入浴)、トイレからフロアーガール(風呂あがる)。日本語と英語、異文化間の隔たりはあってしかるべきなのに、「入浴」と「風呂あがる」、この奇妙な一致はいったい——。

 待て。待て待て待て。これはどういうことだ。胸中に去来する考えに違和感が生じてきた。
 もういっそ便所で暮らしたっていいんじゃないか――。
 だってさ、衣食住そして排泄・整容・自己実現、ぜんぶ便所で完結するのだ。
 そんな思いが首をもたげたが――。
 あら。煙草がない。便所は禁煙である。それが便所のあるべき姿であり、なんぴとたりとて破ってはならない取り決め、協定、約定だ。もちろん新聞雑誌書籍の類であっても持ち込んではならず、いわんや一服吹かすだなんて外道も外道、クソ野郎の極みである。みじめなクソ地獄に堕ちろ。
 便所は、便所とは、一気呵成に用を足す静謐な空間。具体的には排尿の終了時にはすでに脱糞し終えてなくてはならぬ。便所喫煙はわたしのではなく、便所のポリシーに反する。

 では――便所に幽閉されないようにするにはどうすればいい?
 明瞭な解がある。ドアを締めなければよいのだ。ああ、この解放感。この風通し。風水的にも氣の流れが良くなりそうだ。あなたはまだ知らないのかもしれない、玄関から股間まで、なんの隔たりもなく、一陣の風がノンストップで通り抜ける快感を。法を犯してまで野外露出をする必要はない。あなたのトイレは軽犯罪でもなんでもない、秘密のリラクゼーションサロンなのだから。

 さあ、あなたもきょうから便所は屋外。近所に森があれば森林浴、海があれば海水浴もできる身分となった。ドアもなにもない、バリアフリーかつユニバーサルそしてフレンドリーデザインのあなたの便所は、無双。生活にきっと爽やかな風を吹き込むことでしょう。
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