第4話 場所としての坂

文字数 1,424文字

 幼いころから山の稜線を眺めるのが好きで、現在の住まいは小高い山の上にある。青年までは金華山に連なる山々だったが、いまは主に御岳山や恵那山に連なる山々を眺めている。
 上空から見ると瓢箪形の外周路が住宅地を縁取るように走っていて、その外側を包み込むように山の斜面が覆っている。その外周路がジョギングのコースだ。坂まるけの過酷なコース。なかには歩きに近いスローペースの走りでも、老体には心臓破りと思える急坂もいくつかある。
 箱根駅伝なら心臓破りの坂と言えば権太坂と、話題になるだけでなく、数々の物語も生まれている。私の地域では外周路をウォーキングやジョギングをして楽しむ人々が多く、自治会活動なども盛んな方だが、坂に名前がないので心臓破りの坂でも話題にはならない。
 妻が「あんな急坂を走ってて心臓発作でも起こしたらどうするの」と心配してくれるが、確かに救急車を呼ぼうにも救急隊員に場所を説明するのはかなりの苦労だろう。その場所を坂の勾配の程度や周りの状況から説明しようとすると、表現がいろいろになって相手と同じ坂を思い描いているのかが危うくなってしまう。だから坂の説明では場所は特定できないし、話題にもしにくい。名前があれば場所が特定できるので話題に広がりが出てきて、会話がつながり、そのつながりがさらに人と人のつながりや関係性を育むことになるだろう。
 坂は名前を付けられ語られることによって人々の間につながりを生み、場所になる。その場所がより多くの人々に共有されてさらに広がり、さまざまな物語が生まれるのだ。

 東京の坂を紹介するウェブサイトや本・雑誌はとても多い。
 「東京23区の坂道」というホームページには、坂道が740(2011年4月29日現在。以後更新なし)掲載されていて、「名前のついた坂道」は700以上はあるという。
 有名人ではタモリの『TOKYO坂道美学入門』がある。
 物理的にはどこにでもあり何でもない東京の坂に人々が特別の関心を寄せるのは、坂に名前があり、その由来が物語となっているからだ。
 その物語が時を越え、空間を越えて人々の間に共有される。タモリは先ほどの本で言う。

 「わずか180年ほど前までは、この坂道を武士や町人達が上り下りしていたと思うと、非常に興味深いものがある」

 時間を越えて場所を共有していることの喜びが、タモリの「坂熱」を駆り立てるのである。
 
 同じ地域に住んでいる人々が顔を合わせ、日常生活の様子を言葉で伝えあうことが頻繁に行われていた時代には、自然の地形や工作物でも話題になるところは名前が必須だったろうから、その名前が人々の記憶からなくなることはなかった。
 しかし、現代のように近隣の人々と日常を語り合うことが少なくなってくると、名前があったとしても人々の記憶からは消え去ってしまう。
 だから、東京には坂の標識がある。標識によって名前が再び記憶され、物語が伝わって、坂に関心が寄せられ、語らいが生まれ、場所を共有していることの喜びが湧いてくるのである。
 名前の付いた坂を「郷土愛をはぐくむ文化財」とし、地域の人々が共有していることを意識する仕掛けをつくるのは、その坂があることで人々のつながりが深まり、その相互作用によってまちが活性化していくことを期待しているからに違いない。
 普段、意識することなく通り過ぎる何でもない坂であっても、かつては一つの場所であった。
 私たちはそのことを忘れてはならない。
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