第10話 別離の歌

文字数 5,697文字

 EDOの夕暮れの情景がスタジオにセットされた。千駄ヶ谷の、植木職人の家の離れで、肺を病んで床についている沖田総司を、土方歳三が甲斐甲斐しく看病している。

 玄関で声がした。あの声は近藤さんと斎藤さんだ……総司は眼を閉じたまま、そう思った。なぜかここの処ずっと、ナース服を着ている土方さんが、立って二人を出迎える足音がした。

「これは近藤さん。斎藤さんも……いよいよ、甲府へ出発ですか?」
「まだなのよ。鳥羽伏見の戦で負けて、このEDOまで逃げてきたけど、今じゃ新選組も30人くらいでしょ。老中格にしてもらうのに、これじゃいくら何でも格好がつかないからさ。これから浅草の弾左衛門ちゃんに会って、お金と人数を用意してもらうの。ダンちゃんは、関東地方一帯の長吏や貧人を束ねている大親分なの。あたしが現役でステージに立ってたころに随分援助してもらってた人なのよ。結局、こんな時に頼れるのは昔の知り合いくらいね……それより、総司はどんな具合なの?少しは良くなった?」
「お医者さんは、ちっとも良い事を言ってくれませんが、私は信じてます。こうやって毎日真心を込めて看病していれば、必ず……いや……必ず、私、土方歳三が命を懸けてでも、沖田総司の病を治して見せます。安心してお預けください。」
「まあ、あんたなら一生懸命看病するでしょうね……ちょっと……厠を貸してもらおうかしら。何処?」
「はい。こちらです。」

 土方さんが先に立って、局長を案内する。障子が閉まる音で総司は目を開けた。

「斎藤さん、お久しぶりです。」
「総司、目が覚めたか。近藤さんも来ている。今、厠だ。」
「はい。聞いてました。いよいよ出発ですか?」
「いや、だがもうすぐだ。……正直困っている。」
「え……?」
「総司は病気だ。これは、仕方ない。だがな……問題は土方さんだ……総司の看病が有るから此処に残ると言ってきかない。近藤さんも匙を投げてるんだ。」
「……僕は行ってくださいと言ってるんですが……僕には、『近藤さんも総司を頼むと言ってくれた』と……」
「近藤さんは負傷が癒えてないし、俺が指揮をする事になる……それが困るのだ。土方さんは、あれで結構人望がある。熱い男だ。そこが良い。俺はな、心では燃えてても顔に出ない。指揮者には向かぬのだ。その点、土方さんは……」

 土方さんが帰って来た。総司が目覚めているのを見て、満面の笑顔になる。

「おお総司、眼が覚めたかい?近藤さんも来ている。じきに夕飯にしよう、今日は魚屋から新鮮な鯨が手に入った。今、盥で泳がせてる。」
「クジラ?」

 常識人の斎藤さんは思わず眉をひそめたが、土方さんはお構いなしだ。

「時々、ぴゅーっ、ぴゅーっと、潮を吹くんだ。活きが良いぞ。あれはきっと美味いぞ!EDOの海で獲れるのは珍しいと、魚屋の太助が言っていた。まあ値は張ったが、何しろ縁起物だ。」
「土方さん、お話があります。」
「何だよ総司、改まっちゃって……俺とお前の仲じゃないか。」
「土方さんに看病してもらってる間、本当に幸せでした。」
「でした……って、なんだ、その過去形は。すぐに死ぬような事言うなよ!」
「死にません、僕はまだ死ぬわけにはいかんのです。」
「そうだ!その意気だ!きっと治る。」
「僕はいいんです。でも、土方さんはそれでいいのでしょうか?」
「いいとも!俺は好きで世話してるんだ。お前と同じように、俺だって今が最高に幸せなんだ!」

 土方さんの眼を真直ぐ見つめて5秒待った。この人ならきっと理解できるはずだ。息を吸って話し始める。

「土方さんを待ってる人がいます……新選組の仲間たちです。EDO、東北、会津、甲州の……例え朝敵になってでも、薩摩、長州と、新政府軍と戦おうという、何の得にもなりそうにない事に命を懸けようという兵士たちが、土方さんを待っているじゃないですか。土方さんが行かないばかりに死んでしまう仲間が、何人いるか知れません。ご自分の好き勝手な幸せの為に、土方さんを頼りにしてる仲間を裏切って見殺しにする……土方さんは武士、決してそんなことの出来る人じゃないですよね。僕の、沖田総司の大好きな土方歳三は……心の底まで『武士』ですよね。」
「………総司………」
「次に会う時は冥土です。僕が行くまで門を潜らずに、必ず入り口の外で待っていて下さい。それまで、二度と逢いません。僕の好きな土方さんに、本当の『武士』でいてもらう為に……僕は命がけで我慢します。」

 土方さんは、ふらりと立ち上がり、履物も履かぬまま、言葉にならない声で絶叫しながら、どこかへ駆け去って行った。

「近藤さん。」
 
 斎藤さんが気配に振り向くと、近藤さんが斎藤さんの羽織の袖で、濡れた手を拭いている処だった。

「あらあら総司、目が覚めたのね。長いトイレになっちゃったわ。歳ちゃんは?」
「何か叫びながら走ってゆきました。」
「じゃあ、3日くらいはかかるかもね。ま、そのうち後を追って来るでしょ……総司、有難う。一番辛い役を演じさせたわね。恩に着るわ。」

 近藤さんのウインクが心に沁みる。

「土方さんと……もう、二度と逢えないかと思うと、」
「ちょっと寂しい?」

 近藤さんが両手で、ちょっと冷たい僕の手を包んだ……温かい、柔らかい手だ。

「あたしね、今、自分で素敵な人生だなって思えるのよ。この時代に生まれて、この時代に死んでゆけて……本当に良かったなって、そう思えるの。出会うのも素敵だけど、別れることも素敵。始まりがあって、終わりがある。そんなことを……いっぱい繰り返して……それが生きているって事じゃないかしら?」
「はい。」
「あたしたち、とても沢山、生きた。例え短くても……」
「……はい。」
「いい子ね。さすが、あたしが育てた最後のアイドルね。」
「はい……」

 近藤さんが、よいしょっと立ち上がった。

「じゃあね。また、いつか。」
「はい……また、いつか。」
「またな。」
「斎藤さんもお元気で。」

 近藤と斎藤が静かに去ると、暗い部屋の中で総司は、小さく咳き込み始めた。

 甚五郎のカメラが、隣のセットへとパンをして、闇の中で灯芯に火を点ける年季の入った手にピントを合わせる。カメラが腕を這い上ると、フランス映画の大スター、ジャン・ギャバンにも似た、いぶし銀の様な存在感を持つ浅草弾左衛門の顔がモニターに浮かぶ。ズームをひくと、隣に近藤の顔も見えた。弾左衛門の嗄れ声が、沈黙を破る。

「人の世に光りあれ。……ジョニー、随分歳を取ったな。」
「お互い様よ。」
「何やら、慶喜公に気に入られて出世したとか?」
「幕府にろくなのがいないのよ。300年は長すぎたのね。」
「われら"日(ひ)"と申し、"影(え)"と申し、"蜂(はち)"と呼ばれ、"八(や)" とも"八(ぱー)"とも呼ばれ」
「穴居して"土蜘蛛(つちぐも)"、山野に潜みて"隠忍(おに)"と呼ばれる……」
「EDOは影(え)=の土地、歴史の影(かげ)に生きる者たちの土地。家康公もまた、影(え)の民の生まれじゃ。ここは我々のクニ。EDOは、良い時代になるはずだった。それがあの綱吉の"生類憐れみの令。"から狂ったのだ。幕府は坊主と付き合いすぎたかの?今や影も、尊皇と佐幕に別れて殺しあう……クニとはいかにも厄介なもの。いや、そもそも"影"がクニなど作ったのが間違いだったのか……。」
「徳川幕府を助ける気は?」
「錦の御旗まで持ち出されては……最早、先は無いだろう……後が辛いな。」
「新政府は、何かおいしいことを言ってきたの?」
「おいしいが……信じられぬ。所詮、幕府も薩長も西洋商人の操り人形だ。」
「……じゃあ、あたしの為なら?」
「……若き日の、美しき思い出の為に……か。」
「よせばいいのに、やたらに"永遠"を誓う男がいたわ。」
「一緒に海を見ながら……だったかな。」
「そいつより素敵な男には、とうとう出会えなかった。」
「ふふ……仕方が無いな。軍資金一万両と、若い者200人。この、十三代浅草弾左衛門を持ってしても、今すぐ動かせるのはその位だ。これでワシは、新政府に弓を引いた事になる。この貸しは大きいぞ……まあ、お前に返してもらおうと思った事はなかったがな……ジョニー、今夜はゆっくりして行けるのか?」
「いいえ。」
「そうか……ひとつ教えよう。」
「何?」
「徳川も、お前たちを見捨てた。『甲陽鎮撫隊』などと名前だけは勇ましいが、要は厄介払いだ。」
「そう。……まあ、遅かれ早かれそんなことだと思ってたわ。」
「ジョニー……」
「なあに?ダン……」
「死ぬなよ。」

 近藤、にっこり笑って立ち上がり、闇に消える。
 弾左衛門は、首を振って溜息を洩らし、静かに明かりを吹き消した。

 ジョン万次郎の声が手紙を読みあげる。

「勝沼にて……これは、新選組局長、近藤勇さんからのリクエストです。」

 スポットライトの中に、戦装束の近藤が浮かぶ。
 背景のホリゾントが、次第に朝焼けの色に染まり、
 激しく戦っている兵士たちのシルエットが、浮かび上がって来る。
 ある者は鎧兜、ある者は洋式の軍服、
 ある者は、道場の稽古に使うような防具の胴を着けただけの姿で……

 アームストロング砲が咆哮する……砲弾が空気を裂いて飛来する……
 激しい炸裂音!悲鳴が土煙に呑まれる……
 生首や千切れた手足が、宙を飛んで落ちるのもシルエットで見える……

 こんなにも生々しく、こんなにも美しく、こんなにも哀しい戦闘場面が、 
 ドラマで描かれた事は、かつて無かった。
 EDO時代最後の夜、大江戸TVの作る最後のドラマだ。
 最早、コンプライアンスなど考えなくても良い。
 人体がバラバラに爆ぜて飛ぶのが、戦争という物の真実だ……
 甚五郎の覗くファインダーの中で、近藤が血刀を手に仁王立ちしている。

「今、砲弾の飛び交う中で、あの人の事を思います。若かった……あの頃の、あなたの輝くばかりの笑顔。幾筋かの涙。砲弾のように飛び交った二人の想い。刃のように交わされた言葉。寂しげな横顔……そういった思い出の一つ一つが、こんなにも大切な宝物だったんだなあと、感慨にふけりながら、私は敵兵の首を斬り落としています。そんな宝物を入れた、宝石箱のオルゴールみたいなこの曲、"ゆうべ"を……リクエストします。」

 兜虫社中の曲では最もヒットしたのが、この曲だった。この美しい曲こそが、この残酷な場面に相応しく、映像のメッセージを雄弁に伝えてくれるだろう。イントロを聴いただけで、甚五郎の眼は潤み始めた。

♪ゆうべ あなたが 抱きしめた
 わたしの 抜け殻が 朝露に溶ける

 ゆうべ あたしが 抱きしめた
 あなたという 夢が 朝焼けに消える

 なぜ 思い出は美しく
 なぜ この胸が痛いのか

 ゆうべ 二人はくちづけて
 二人だった日々に さよならをしたの

 さよならを したの

(EDO著作権協会承認:ほの三十八番)

 スクリーンに情景が浮かんだ。
 硝煙と朝霧に煙った草原の遥か向こうから、
 客席に向かって、高速度撮影でゆっくりと駆けて来る新選組隊士。
 いや、今は甲陽鎮撫隊を率いる男たち、
 近藤勇、斎藤一、土方歳三。
 官軍のアームストロング砲の直撃が闇を切り裂く。
 土煙が走り、3人の身体が木の葉のように吹っ飛ぶ。
 刀を杖に、ようやく立ち上がった近藤を、
 鏡獅子のような獅子頭をつけた官軍の兵士たちが、
 十重二十重に取り囲もうとしている。
 必死に追い縋る斎藤一と土方歳三が獅子奮迅の働きで、
 官軍の兵士たちと斬り合って、これを倒すが、
 戦っている間に、近藤を見失ってしまった。
 何もかもが、悪夢の様な色彩と非現実感の中で……

「近藤さーん!!

 自分の声で、総司は飛び起きた。

「起きたか。」

 斎藤が枕元に座っている。

「……いつ、EDOに?」
「さっき。」
「今、夢に、近藤さんが……」
「そうだろうな……」
「え?」
「お前にどう話そうかと思ってな。耳元で練習していた。」
「じゃ。今の夢は……」
「本当の事だ。」
「じゃあ、じゃあ……近藤さんは?」

 嘘の付けぬ男は、黙って首を振った。

「そんな、まさか!」
「本当の事だ。」
「……土方さんは?」
「会津が落城してから、仙台に向かって、榎本釜次郎という男が率いる旧幕府の艦隊に乗った。……北海道にクニを造ると言って、函館へ行くらしい。夢のような話にも思えるが……"どうせ、EDOに帰っても、総司は会ってくれんのだろう。"と、そうも言っていた。」
「僕のせいですね……斎藤さんは、これからどうするんです?」
「実は、そのことだが……総司、俺と一緒にメリケンへ行かんか?会津で一緒に戦った平松武兵衛というプロシャ人が、会津の希望者を連れて、メリケンのカルホーニャという場所に移住するんだと、誘ってくれた。空が青くてな……こう、からっと乾燥していて何時でも晴れているらしい。お前の病気にも良いかも知れん。こんな日本など飛び出して、坂本さんではないが、”世界の沖田総司”になるのも良いんじゃないか?あっちで、ビルボードのヒットチャート1位になるような、大スターをめざすんだ。」
「斎藤さんが誘って下さるのは嬉しいけど……もう、私には、メリケンまで船に乗るほどの体力はないでしょうね……私はもう……これ以上に長生きしたいとも思いません。ただ……一つだけ、もし願いが叶うなら……」
「何だ?」
「イゾーに、逢いたいんです。」
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