第3話 職場で「揺れた」

文字数 1,043文字

ここが地雷工場だって、知っています。

私が塗装する「商品」が、兵器だって……知っています。良心の呵責みたいなものは、心の奥に封じ込めたからいいんですよ。
この事実を飲み込むまで、時間がかかりました。コントロールできたかなと思った矢先に、息子が先月ケガをしたんです……。
それでちょっと「揺れた」んですが。
大丈夫です。ここで働いていれば、団地はいい部屋を優先して借りられるし、何よりも息子にいい教育を受けさせられる。
だから定年まで働きたいんです。お願いです、働かせてください。

私には学歴がないから、あまりいい仕事に就けない。美貌も若さもないから、結婚して男性に養われる生活は、諦めました。
何よりも息子を、ハルをしっかり育てたいんです。
私が得られなかった人生! それはきっと美しくて豊かなものでしょうね! そんなことを想像するのが、私の生きがいです。

先月の10日でした。曇りの夕方、終業時刻前に緊急連絡って言われて、室長から早退させられたんです。
……息子が交通事故に遭って、強く頭を打った。意識不明の重体だって知らされて。
私はもう半狂乱でした。悲鳴を上げるのを必死にこらえて、急いでタクシーをつかまえて病院へ向かったんです。

タクシーの中で私は、恐怖のあまり泣き出しました。頭に心臓が入っているみたいな、異様な興奮で、何かつぶやいたのかもしれません。運転手は事情を知ると、同情してはくれたんですが、道が混んでいて。なかなか進まなかったのを覚えています。
息子が死んだらどうしよう、とか、後遺症がのこってしまい、人生が台無しになったらどうしようとか、そんな考えがグルグルしましたね……。
私の生きがい。家族。全部が失われるのかと考えただけで、足も震えだしました。
病院に着いたのは1時間後でしたが、100年経過したかのような長さを感じました。

タクシーを降りて、受付に進みました。そして病室を聞き、とにかく崩れ落ちないように、手すりにつかまってなんとか歩いたんです。
すると。
息子が、笑いながら走ってきたんですよ! どういうこと? 冗談だったの!?

次に看護師が出てきました。なんと連絡先を、同姓同名の患者と間違えられたって!
「ボクは転んで腕を縫った」と息子は言いました。彼が病院に行ったのは、サッカーで転んで、腕を切ってしまったからだそうです。たまたま同姓同名の男性と同じ時間に病院に運ばれたので、連絡ミスがあってしまったのだと。

恐怖から解放されたときは、笑顔になりましたが。

……その晩、私は眠れませんでした。

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