第2話

文字数 1,935文字

 死ねる、ということにはメリットがある。それは、「どうしても死にたいんだ」と思ったときに死ねることである。その可能性、出口の確保。
 不死ならば、とりもなおさず、便利なオプション「死にたいときに死ねる(かもしれない)」を手放さざるを得ないということになる。
 これはハンデというべきだろう。実に不都合な状況といえる。
 たとえばとつぜん、大便中にコンパートメント内に幽霊が現れ、自分の頭上から巨大な薬缶でもって熱湯を掛けはじめた場面を想像してみよう。下半身はムキ出しであり便は垂れている中途にある。幽霊は半透明の片腕を伸ばしてドアをおさえオープン不可能にしていて、自分にかかるヤケに熱いお湯は大量である。死ぬしか逃れる術がないのだ。しかしあなたに死ぬというオプションは除外されている。
 そういう悲惨な不可解事というのはこの世界に偏在してありふれており、溢れかえっているのだ。
「終電に間にあわなければおまえは死ねなくなるぞ」わたしは柱の陰から現れた老人からそう告げられたのだ。野ぐそを垂れていたというわけでもないのに、過分に過酷な宣告である。わたしには明日の朝までセックスの予定が蜂蜜のように隙間なく詰まっているというのに。
 あの老人にいわれた言葉にセックスの最中も背筋ZoZoZoとなるので、射精の瞬間のようにびょびょびょとわたしの腰はふるえ、現実問題として液射出を勢いよくコマンドしてしまうのだった。
 泣きたくなるほどの無力感とともに、わたしは加速するフィニッシュに追い回されて部屋移動を重ね、女を後にしつづけた。何日分の女と会っても時計は意固地に歩みを留保していた。時間が進まないのなら、それは死ねないことと実質的に同じことだった。
 終電に間にあわないのではなくて、終電は永遠に来ないのだ。
 そんな気がしてきた。
 とはいっても、遅々としてだとしても、時は完全に止まるということはない。遅漏に流れるものは早漏にも流れる。天然自然の早漏か、そうでないかは、この場合、問題とならない。

 だから。
 夜は遠いから。未来を引きよせるオマジナイ、でもないけど。不安すぎて、なんでもしてみたくて。
 レイカに終電でひとりぼっち。のイラストつくらせて、プリントアウトした画。
 シートに座るそのひとは、レイカかわたしか、わからない。
「わたしたち、そんなに似てたっけ?」わたしがいうと、
「終電って、ひとりぼっち? ヘンじゃね。オレなっとくいかんわ」レイカは私が壁に貼ったイラストに困惑してみせる。
「特別な列車なんだよ」とわたしはいったが、自信があるわけではない。「死ぬときって一人なものだろ」
 レイカはシーツからブラをひろって着けながら、
「そうとは限らん。それに、乗ったら死ぬってわけじゃなくて、死ねるようになるってヤツじゃろが」
 そうだ。そのとおり。
 乗ったら死ぬ、じゃたまったもんじゃない。
 何かトリッキーな気もしてきた。なぜならイキナリ! 時計の針は進み、窓の外は午後一時の恐ろしいほどの青空。終電には間があるにしても、ドキンとした心臓がビクンビクン、蛙が腹をよじって笑うがごときワッハッハッという痙攣を止めない。もしもあの老人が罠はってたのだとしたら、「乗ったら死ぬ」だとしたら、そうおもうと息も楽にはできぬ。
「なに笑ってんだよ」とレイカが不審げな表情でわたしを睨むほど心臓は踊り狂い、笑い声と聞き紛う音をわたしの胸からラウドスピーカーで拡声しまくる。
 わたしは自身を制御する策としてレイカに抱きつくことを選択し、ディープキスへと継ぎ目なく移行した。わたしの胸中たる蛙は騒ぎを収めず、その笑い声に似た躍動音がレイカに感染してレイカはガハハハハッと身をよじって笑ったから、わたしたちはどうしようもないほど笑いこけ、無駄に体力を消耗した結果、床にへたりこみ、笑いはとぎれて悲しみがやってきた。
 慰めあうセックスは心地よい雨を呼び、青い闇にとけるように、どちらからともなく、二人は眠りに落ちた。

 蝉の声とともに暑さに目覚めた。
「やっちまったな、二回戦。はじめてじゃん、オレたち」レイカが上体を起こしていて、すべらかな背中も露わに正面の壁にいうのが見えた。彼女は顔を両掌におおって笑った。
 わたしは眠りの名残りにふわっとしたまま、彼女の胸をつかんでバックハグに身を起こした。寝覚めに抱きしめられる対象がいるのは幸せなことだ。
 彼女の頬にほおずりすると、レイカは首をよじってわたしを向き、わたしたちは唇を合わせた。
 部屋に射しこむ光線の感じはセックスするまえと変わっていない。
 窓の外には午後一時から一歩もすすまない青空があった。
 呆けたように、レイカとわたしは空の広がりに、しばし目を向けていた。
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