第1話

文字数 1,069文字

 性欲も解放し、東京ドーム何杯ぶんもの酒を飲んだあとでは、他人からみたら廃人にしか映らないのでナンパにでかけたところで無残な結果になることを覚えているから、することといって何もないのだ。性欲が回復するまで(といっても数分ですむことだが)音楽を聴くほど文化的な人間でもないし、溝口はしかたなくテレビ(大江健三郎式記述によれば「テレヴィ」)をつけた。
 それがどうにもくだらない番組しかやっていなくて、そして彼はクイズ番組をとりわけクダらないものとして認識しているのだが、その時間やっている番組のなかでは、そのクダらないクイズ番組だけが視聴にたえうるものだという惨憺たる現実をつきつけられた。その短時間に溝口にできたことといえば、早稲田・上智といったところの出身者はあきれるほど知識がとぼしく、東大出のやつはとにかくクイズというものに関しては確かな知識をもっているという、あたりまえの事実の確認だった。
 溝口はわきあがる嘲りの気持ちを露骨に表情にだすと、なにか珍しく空腹を感じ、昼間に捕獲しておいた生きのいい、卵もちのカマキリを玄関においた70Lの袋ごと居室にはこんでくると、何百匹もいるそれらを手づかみして腹部から噛む食べ方で、眼や触覚やハネ(翅)も残さず延々と口にしはじめた。
 と、溝口が窓の外に動く影を感じたとおもった刹那に部屋になにか肉感のある重い物体が投げ入れられた。
 あたたかい午後のことで、彼はアパートの窓を開け放っていた。にしても、彼の部屋は二階である。不審すぎる出来事の出来(しゅったい)に身がちぢみ、彼は彼独特の食事を暫時停止するかたちとなった。彼は自身の心臓の高鳴りに圧迫され領され、聴覚に関してというだけでなく全体的な観点から云っても、心音が彼の世界のすべてとなった。それから少ししてビニール袋のなかで動くカマキリのかさかさする音がこの世に蘇生してきて、彼の聴覚世界は遠近二種類に彩られることとなった。

 呆然としているときというのは、いくら医学的にみて正常に機能する眼があっても、視界は認識世界に到達しないものである。そのため溝口は物体の確認までに一定の時間の経過を待たざるをえなかった。
 部屋にいきなり投げ込まれたのは死体だった。
 熟女の遺体である。化粧の匂いがプンプンと部屋を圧倒し、彼はえずいた。なにか「シュミーズ」という言葉がにつかわしい下着だけ着て、肥大した腹の輪郭や乳首の黒さが透けて明らかだった。まだ死して間もないのだろう、いまにも起き上がりそうな死体だった。
 
 死体の頬にはられた付箋には「防死」の文字。
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