第6話

文字数 11,499文字

 ✏
 まずVIP教育というものがあった。詳しくは語れないのだけれども、要するに舞台裏で見聞きしたことは一切口外しないというルールをしっかり守ることが重要だ。夢を形にして、きめ細かいひとつひとつのキャスト対応すべてが、ここに来て良かったと思って貰えるようにする為の演出に満ちているべきなのだ。僕がアルバイトで働き始めたときに、ちょうど5周年を迎えて、名札には5YEARSと記載されたものに変更になった。日本にしかない唯一の日本料理レストランのランナーという役割を与えられて、食事を運んで配るときにも演出がひとつひとつ吟味されていたように感じた。蓋を被せたお吸い物が水蒸気によって開かないときにはよく声をかけられて、ゆっくりと回しながら持ち上げるコツをお伝えすると、妙に感謝されて嬉しかった。水をひとつ汲むときにも、一度ぐっとグラスに近づけてから注ぎ始め、注いでいくうちに少し距離を離していき、マックスまで離して注ぎながら、また少しずつグラスに近づけて行って、最後は最短距離に近づいたところで、ちょうどよい八分目程度の量で注ぎ終える、なんて演出なんかも、見様見真似だけれども、憶えてみたら、そんなことひとつでも、目を輝かせてくれるのが嬉しかった。
 同僚には、当時のお昼の長寿番組で、有名人そっくりさんとして出演したら、その回では見事に優勝したなんて奴が一緒にいて、実際やっぱり、近くで見てもそっくりだったのには笑えた。似ていたのは、僕と彼女がよく夕方からの再放送を観ていた山田太一さん脚本の青春群像劇の主人公だったから、実は少しだけ僕も似ていると言われたことがあった。同僚から鏡の前に並ばされ比べてみたけれども、明らかに彼は数倍、その主人公に似ていた。飲食店でのアルバイトでは、手洗いの指導が非常に厳しかったけれど、最初にそれを経験していたので、そのあとはどこに行っても苦労はしないくらいに、しっかりと手を洗う習慣を身に着けることができた。華やかな場所で、エンターテインメントを体験して、ひと休憩して食事を楽しむご家族やカップルに、和食ということもあってか圧倒的に年配のご夫婦やご家族が少なくなかったのだけれども、僕は結構、お客さまからいろいろと声を掛けられたりすることも多かった。
 シフト制だったので、大抵は夕方から出勤してラストまで入ることが多かった。予備校は都内方向に行くと遊びたくなるだろうと思ったので、千葉県の校舎を選んだ。費用が安いだけで授業が酷いことを現役で学んだので、姉の高校が都立の伝統校且つ進学校だったから、姉の友達で難関大に進んだ人が多かった予備校を尋ねた。駿台か研数学館だというので、研数学館の津田沼校に通うことにした。予備校に通うにあたってのクラス分けテストというものがあって、僕は単なる私立文系大学志望で受験してみた。後日、有難いことに予備校の事務局からわざわざ電話を貰うことになった。君の第一志望は早稲田大学の第一文学部なんだよね?と。はい。そうしたら、いまの君の成績なら早大特別選抜クラスに入れるので、挑戦してみないか?と。費用は高くなるのでしょうか?と。僕は自分のアルバイトで予備校代を払っているので、と返してみたら、むしろ特待生的な扱いで選抜クラスだから、少しだけだけどむしろもともと安くなるようにしてあるよ、と。慶大選抜クラスは少し高くなるのだけどね、うそうそ!! と笑われた。なかなかチャーミングな事務局の方だった。それなら、是非、お願いしますということで、早大特別選抜クラスという比較的少人数に絞られた選抜クラスに通うことになった。
 果たして授業について行けるのだろうか?と思ったら、やっぱり「超速英文読解」なる授業には、まったく歯が立たなかった。こりゃ、ダメだ、と思った。英文法の授業はカネコ先生といって年配の方だったのだけれども、当時、サマセット・モームの小説から何かしらを引用した慣用句を紹介して、文法をおさらいしてくれることがあって、それがとても楽しかった。僕はサマセット・モームの短編集を愛読していたので、余計に嬉しかったのを憶えている。それから英文解釈という授業があって、先生のお名前を失念してしまったのだけれども、とても丁寧でバカな僕にもわかりやすく、理屈を明確にしてくれる授業があって、この二つだけに絞って少しずつレベルアップしながら自分なりに何かひとつ仕上げてからでないと、椙本先生の「超速英文読解」の時間は無駄になるなと思って、さぼることにした。当時、「ブタ単」と愛称で呼ばれた単行本みたいな体裁になった早稲田大学向けの英語対策本があって、イラストにブタの絵があるようなクリーム色の表紙だったけれども、僕は、これを徹底的に反復することを別途やることにした。
 国語の古文も漢文も、授業は手に取るようにわかりやすくて、どうして高校で、こういう授業をしてくれなかったのかなぁと、正直感じるくらいだった。現代文は得意だったので、毎回、楽しかった。寺本先生と記憶しているのだけれども、やっぱり、小説の話なんかも時折交えてくれていたので興味深くて楽しかった。世界史は、酷かったなぁ。教科書を読むだけじゃないかと思っていて、要するに国語と英語は特別選抜クラスなのだけれども、社会についてはクラスがない状態だったので、世界史は世界史として私立文系の授業を受けるのだけれども、この授業なら、むしろ母校の世界史の先生や、現代社会や地理の先生や、社会科の先生は、自分の母校の先生のレベルが異常に高かったのだなぁとむしろ感じるくらいだった。実際に僕が卒業したあとは、世界史の先生が母校の校長になっていた記憶があるから、そういうレベルだったのだろう。
 予備校で驚いたのは、佐藤さんとの出会いだった。佐藤さんは二浪目だった。最初のガイダンスで、三人掛けの椅子と机に並んで座ったときに、授業を受けている最中に、佐藤さんの貧乏ゆすりが酷くて、ノートに字が書けなかったのだ。僕の隣に座ったのが木庭くんで、木庭くんと僕は授業中に目を合わせて、佐藤さんの貧乏ゆすりに顔をしかめることになった。色白で、髪は黒いのだけれども天然パーマでもじゃもじゃで、偉く太っていて、眼鏡をかけていたのが佐藤さんだ。木庭くんは整った顔だちをしていて、どちらかというと小柄な方だったのだけれども、遠慮深いところがあって余り多くを語らないタイプではあった。佐藤さんの貧乏ゆるりにも我慢して、耐えてやり過ごそうとするところがあったのだけれども、僕は喧嘩っ早いので、どうにも黙っていられなくなった。佐藤さんの肘のあたりを、木庭くんの向こうから手を伸ばして叩いて、「こっちまで揺れてっからさ」とにらみつけてしまった。喧嘩になるんならやってやると思っていたら(こういう発想でしか物事を考えられないから社会人になって苦労しているのだが)甲高い声で、あ、すみませんと謝られてしまって、拍子抜けしてしまった。
  僕も貧乏ゆすりはすることがある。他人をとやかく言える立場にはないだろう。佐藤さんはよく見ると、どう考えても勉強しかして来なかったのだろうなというタイプには見えたし、悪気がなく、すぐに潔く非を認めて謝る姿勢には、こちらが恥ずかしくなってしまったので、ガイダンスが終わったあとに、三人で話をすることにした。最初のガイダンスだし、自己紹介し合って、一緒に早稲田を目指そうという話になれば良いと思った。佐藤さんは商学部に行きたいのだという。二浪目なんだ、見た目でわかるでしょ?と恥ずかしそうに笑った。木庭くんは法学部に行きたいのだという話だった。僕は第一文学部にしか興味がなかった。そんなわけでそれぞれ早稲田は目指しているのだけれども別々の学部を希望していることがわかった。二人とも千葉県内の公立高校出身で、それぞれのエリアでは、トップの偏差値を誇る高校に通っていて、もともと頭が良いのだろうなという感じがした。
 それにしても佐藤さんの貧乏ゆすりは凄まじかった。あの貧乏ゆすりがなければ、僕らは言葉を交わさずにすれ違っていたかもしれないと、後日談として話をすることがあった。去年とおんなじことを言いやがって、って思ったら苛々してさ、つい、という佐藤さんの気持ちは痛いほどわかった。予備校なんてそういうところなのだから、利用する側が、自分なりに考えて取り組まなければならないのだと、現役のときに感じたことを再確認させられる場面は少なくなかった。特に世界史の授業は、閉口させられた。二人に比べて僕は、目指している学部も時代に逆行している感は否めない学部ではあったし(就職などを考えれば男子は政治経済学部や法学部や商学部といった選択が王道だった)都内のチャラチャラした私立高校出身でもあるのだし、ただその分、彼らよりは都会の空気を知ってはいるので、いろいろと話をしていると個性が違う三人は、お互いに楽しい雰囲気になって行った。
 結局、最後の最後まで三人は仲良く話せる仲間になれた。真夏になると海に出かける同級生の大学生の話になって、なんか悔しいよなぁと。確か予備校の屋上か、近くのビルの屋上で上半身裸になって、日焼けしようということになって、日焼けが増すクリームかなんかを木庭くんが買ってきて、二人でお互いに塗りたくって、二時間くらいコンクリートに寝そべって、陽に焼いたことがある。佐藤さんは色白で、紫外線にあたると真っ赤になって腫れあがるから、誰かに叱られないか見張りをやっておいてあげるよと申し出てくれて、日焼けには参加しなかったのだけれども。たぶん立ち入り禁止のような屋上だったのだろう。ここなら誰も来ないだろうと。無茶なことをして楽しんだ。そんなことも思い出したりする。
 
 夏を過ぎたあたりから、もう一度、椙本先生の総合読解のクラスに出て見たら、手に取るように解り易く、その難解な英文読解の授業にもついていけるようになった。ブタ単を曲がりなりにも一冊仕上げてみたり、英文法と英文解釈だけをコツコツ積み上げて行ってみたら、英語全般についてようやく自信が持てるようになった。配られた長文は暗唱してしまって、大声で怒鳴り散らしながら表現そのものを頭のなかで訳しながら暗唱してしまう方法をとるようにしていた。理解できるようになると、椙本先生の総合読解の授業は最高に楽しいものになった。
 早稲田の文学部は、当時、小論文の試験があったので、自分なりに現代文の授業をかなり深堀してみたり、相変わらず勉強に乗る気にならないときは読書に耽りながら漢字や慣用句や表現の言い回しを確認して行ったりはしていた。ただ、やっぱり駿台なんだろうな、と思って、駿台の小論文模試を受けてみることにした。もともと姉からも、国公立大学に行くのは駿台が多くて、早稲田に行くのは研数学館かなぁという予備校の印象について聞いていたのだが、現役のときに受けた印象では、駿台の模試は難しくて難しくて、とてもじゃないけれども自信をなくすばかりだったから、敬遠していたところがあったのだ。
 でも、さすがに小論文模試なんてことまでやってくれていたのは、当時はまだ駿台だけだったので、早稲田大学文学部の小論文を受けるのなら、小論文模試は受けておいて損はないのだろうと研数学館のチューター(担任)の先生からアドバイスも受けて、受験した。幸いなことに、成績上位者は名前が掲載されるのだけれども、僕の名前と高校名が、成績上位者の末尾の方に掲載されることになった。自分にとっても自信につながるできごとだった。時に、いまとなっては、研数学館は存在していない。昔の津田沼校舎は、いまは河合塾になっていて、いつ閉鎖してしまった予備校なのかは調べていないが、お世話になった予備校が消滅してしまっているのは、いささか寂しいものである。
 
 ディズニーランドにアルバイトに行くときには、海岸沿いのJRの最寄り駅まで自転車で行くことになるのだけれども、何度かは、シフトが昼間で終わるようなときがあった。昼間で上がるときに限って、僕の自転車の横には、見慣れた自転車が横に並んでいることが数回あった。昔、このホテルを利用したことがあったなぁと見上げる場所で、あの人をふと思い出したりすることがあった(「あの日のあとさき」参照)のだけれども、そんなときに限って、僕の自転車の横には、彼女の自転車が並んで停めてあるのだ。彼女が僕の自転車を見つけてわざと横に止めてくれているのだろうと思った。それはそれで励ましの一種にはなった。いつか大学に合格したら、もう一度会いに行こう。走ればたった10秒の距離に住んでいる彼女に会いに行かず、会わないようにして、という縛りは、僕の勉強へのエネルギーを加速する力にして行った。もちろん、よほど手紙でも書いて置いて行こうかと思ってしまうこともあったのだけれども、そんなことをしたらまた、合格が遠ざかるような気がして、そんなときはこっそり煙草をくわえることが多かった。
 年末近くには高校時代の親友から電話があった。彼は上智大学の推薦を勝ち取ったのだけれどもテストで失敗してしまったらしく、いまは付属大学にそのまま進学していた。彼が卒業生代表として卒業式で読み上げた文章の土台は、僕が書いた。彼から頼まれたからだ。彼は信号が青にならないと、車が来なくても絶対に渡らない。鞄は中学の頃から使っている皮の分厚い鞄を三年間使い通したり(僕らの頃の不良連中はこれを敢えて如何に薄く潰すかに粋がっていた世代だが、彼はふっくらとさせたまま使い続けていたのだ)詰襟の学生服は白いカラーも外さずに、必ず一番上のフォックまで留める。通学時に会えば神妙な顔で音楽に聞き入っているのだが、クラッシック音楽に熱中していたり、愛読書はなぜかブルック・シールズの自伝本だったり、とにかく、ちょっと変わった奴だった。当時、お付き合いしていた彼女とのことも、いろいろと聞いてもらったりもしていた。彼にもお姉さんがいる弟にあって、四人家族だったから何かと境遇が似ていたが、決定的に違ったのは彼がお金持ちのお坊ちゃんだということだ。僕はしがないサラリーマンの息子でしかなかった。それでもいろいろと議論をして楽しかった。
 彼は奥手だと思っていたのだけれども、大学に進学した途端に、彼女がちゃんとできたと報告は受けていた。だけれども、彼のお母さんから大反対されているとも相談を受けていた。こちらは浪人しているわけなので、ひとの恋路なんてどうでも良い気がしていたのだけれども、仕方ないので相談に乗ったりしていた。彼が大晦日と元旦は、必ず家で勉強していろと、わざわざ電話をかけて来た。大きなお世話なのだが、僕は大晦日と元旦は、夜通し東京ディズニーランドでアルバイトに励む予定になっていた。シフトが埋まらないと悩んでいて、時給も少しだけ上げてくれるというので、喜んで働くことにしていたのだ。元旦の早朝に、最寄り駅から自宅まで自転車で帰って来てみると、比較的大柄な男が、我が家の自宅の壁にもたれて本を読んでいるのが見えて来た。早朝の元日の朝の光は、どこかしら白く透明で、しばらく会っていないからか、一瞬誰だかわからなかったのだが、少しだけふっくらとして酒焼けしたような顔をしている、その親友だった。ほら、合格祈願してきたぞ、とお守りを手渡された。馬鹿な奴で、夜通し大学の仲間か彼女と歩き回ってみて、このお守りを僕に渡すために、早朝にそのまま来てはみたものの、考えたら、元日の早朝に他の家族に迷惑だろうとさすがに思ったらしくて、どうしたものかと悩んでいたらしい。きっと新聞か年賀状を誰かが取りに来るだろうから、待っていたという。
「渡せてよかった。あんだけ言っておいたのに、お前はアルバイトに行ったのか!」と怒り出したのだが、半分酒が抜けていないらしく、「ま、とにかく、頑張れよ!」と言うが早いか、歩き去って行ってしまった。追いかけて、家に上がってもらって、お茶でもすすめるべきだったよなと、いまになると思うのだけれども、僕も夜通しのアルバイトで身体は悲鳴を上げていて、すぐにでもベッドに横になりたかったので、そのままにしてしまった。彼の気持ちはとても嬉しくて有難いと感謝していた。

 浪人中に感じたことは、いま僕は僕以上でも僕以下でもないという単純な事実だった。履歴書には書かれないと誰かが言っていたのだけれども、確かに普通は、履歴書には書かれない空白の1年間だ。どこどこ中学に通う誰それ、どこどこ高校に通う誰それ、野球部所属の誰それ、といった所属先があって、僕が僕を証明できるような感じがしていた。組織に所属して、その組織が必然的に個人の特定に寄与している関係が成り立つのかなぁと思う。ところが浪人生というのは確かに予備校に通ってはいるものの、僕は僕でしかないという自由を感じていた。何にも束縛されず、事実、意味のない授業は徹底的にさぼって、自分本位に勉強を進めていたのだし、僕は僕以外に僕を証明するものを今は持たないのだなと思うと、妙に自由を感じられた。アルバイト先ではそうも行かないのだし、予備校の教室に入ればそうも行かないのだし、それはあくまでも想像上の話でしかないのだけれども、いずれも僕が僕の意思で、僕を規定するために自ら所属しているだけであって、いつだって辞められるではないかと思うと、何かとても自由なところに居て、幸せな気持ちになれるのだった。そんなことを佐藤さんや木庭くんに話してみると、二人も妙に同意してくれて、浪人は楽しいなぁという雰囲気がずっと続くことになった。のんきな話に聞こえるかもしれない。でも、前向きに考えたら、こんなに好き勝手自由にできる時間って、もうこの先一生、出会えないのじゃないだろうかと。レポートに追われたり、仕事に追われたり、何かしらの義務を果たすために、外部から強制されるものに対して自分の意思とは関係なく、僕らは関わって行かなければならないのだろう。それが社会というものだろう。それに対して、いまこの浪人生活というものは、何一つとして、僕に外部から強制するものはなかった。誰からも僕は規定されていなかった。僕が受験勉強をしたいからやるのだ。合格したいがために学ぶのだし、誰かに外側から強制されることでは一切ないのだ。やりたいから勉強しているんだよね? 誰かに強制されているわけではなくて、行きたい大学があって、そこに合格したいから、自ら勉強しているんだよね? 誰かにああしろ、こうしろとは言われずに、自分からいま勉強しているわけじゃないですか。いつやめたっていいし、なんならさぼってこうして日焼けに2時間費やしたっていいし、僕らは自由だよね。そしてそれはすっごい貴重なことだよね?と僕が興奮して話すものだから、二人とも目を輝かせて、同意してくれた。こういう前向きな捉え方をできたことで随分救われたのだと佐藤さんは言っていた。二浪目だったけれども、佐藤さんはいいな、こんな自由な時間を二年も過ごしていたのか!と僕が言えば、それは嫌味でもなんでもなく、純粋に僕がそう言っているとわかるものだから、妙に何か得した気分になってしまうのだと言った。僕と一緒にいると勉強することが楽しいと思えるようになったと言ってくれた。木庭くんも、俺も、そう。それ言いたかった、って、いつも追認の形でしか発言がない控えめな性格のままではあったのだけれども、僕の冗談には思い切り乗ってくれて、日焼けクリームを買い占めて来てくれるあたりは、彼も思い切り楽しんでくれていたのだろうと感じられた。

 最終的には、佐藤さんは明治大学の商学部に進学することになった。木庭くんは、法政大学の法学部に進学することになった。二人とも早稲田だけは落ちてしまったけれども、希望に限りなく近い次第点での進学先に決まって、晴れ晴れした顔をしていた。二人を我が家に連れて来て、姉に紹介したら、みんな東京六大学なんだねって持ち上げてくれて、なんだか誇らしく笑い合ったのをいまでも憶えている。残念ながら大学に進学したあとは、一切、話をしたこともないし連絡も取り合っていないのだけれども、とても楽しい一年になったのは、彼らの存在のおかげだ。できればもう一度、どこかで死ぬまでに会って話してみたいものだと思うが、無理だろうな。

 僕は、既に二浪を覚悟して、合格発表の日も自宅で、二浪目に向けて、宅浪をするための参考書や問題集の値段を計算して、アルバイト代を計算して、何から総復習すれば効率的なのかを独り考えていたくらいだった。プランニングを思い描いて、どこが足りなかった、どうすればもっと完璧になるのかと、自分の学力をあれこれと分析し始めていた。当時はハガキでも合格を知らせてくれるようになっていて、ある程度の時間が来たので、自宅の郵便受けに投函されている第二文学部の合格発表のハガキを取りに行った。リビングにゆっくりと腰かけて、それを開いたのだった。なぜかその日は姉が、暇そうに同じリビングに居て、新聞に折り込まれた広告をのんびりと眺めているところだった。母はどこかに出かけていた。父は当然に仕事で留守だった。ハガキを開くと、僕の受験番号があった。嘘だろ?と思った。もう一度、よく眺めてみたが、間違いなかった。第二文学部には合格したのだ。「受かった!受かった!」姉にそのことを伝えると飛び起きて、すぐに母のいる場所に電話をかけていた。二人は今日が合格ハガキが届く日なのを知っていて、僕が落ちて何か良からぬ方向に傾かないかと心配ばかりしていたらしい。受かった受かった!!と大喜びで電話をしていた。その晩は、外食になって家族に合格祝いをしてもらった。春からは早大生か、と考えてみると、なんだか拍子抜けしたような感覚だった。
 せっかくだから大学まで、合格発表の掲示板を見に行こうということになった。自分の番号があるとわかっている掲示板を見に行くのなら、どぎまぎせずに済むだろうし、本当に自分の番号が掲示されているのか、この目で見てみたい気持ちにもなった。翌日に母を連れて、早稲田大学の第二文学部の合格発表の掲示板を見に行くことにした。大隈講堂側の本部キャンパスに、第二文学部の合格発表が貼り出されると書いてあった。後からの日程で発表される第一文学部の合格発表が戸山キャンパスに貼り出されるので、混同しないように、発表場所を分けているから注意するようにと案内されていた。もう掲示板での発表は終わって、当日だったか翌日だったかに、ハガキが届くわけなので、キャンパスは既に閑散としていた。どうせ落ちているだろうが、通うことになるのは戸山キャンパスなので、先に戸山キャンパスを観てからにしようという話になった。ついでに第一文学部の合格発表の掲示板も試しに覗いてみようという話になった。夜間に通うのは戸山キャンパスなのだからと。
 スロープを上がって行きながら、掲示板に辿り着くまで、第一文学部の受験番号が何番だったのだろうかということで、受験票を探していて、持って来るのを忘れてしまったのか?ということで鞄のなかをゴソゴソとやりながら歩いていた。やっと見つけて、持って来ていたよ、というので、母に番号を見せたうえで、ようやく掲示板の前に立ったのだ。母は僕の受験番号を既に頭に入れていて、執拗に僕の腕を叩き始めた。あった、あった、とうるさい。僕は、受験票を、もう一度眺めてから、番号を確かめて、ゆっくりゆっくりと自分の番号にまで目を走らせていた。確かに、あった。嘘みたいな話なのだけれども、第一部文学部にも合格していたのだった。

 当時は『トレンディ・ドラマ』なんて呼ばれるフジテレビ系列のドラマが結構、流行っていて、『君の瞳を逮捕する』なんかが僕のなかでは皮切りの最初の方だったように記憶している。『意外とシングルガール』とかなんとかいう今井美樹さんのドラマを、彼女と一緒に過ごしていた頃は一緒に見ていたように記憶している。この今井美樹さんが、男と女の友情は存在すると言い切っていると言って、彼女は心酔していた。そんなものだから、僕はいつまで経っても、彼女に恋人として認めてもらえないことになったので、余計なことを言うなぁと思っていた。僕が浪人しているときに、まさに放映されていたのが『予備校ブギ』だったのは、偶然なのだろうか。緒方直人さんが主人公で、織田裕二さんが妙に格好よくて、的場 浩司さんとのコンビは、のちに映画『就職戦線異状なし』にも通じる。当然に彼女は、このドラマを毎回とても楽しみに鑑賞していたらしく、この主人公も早稲田を目指していたものだから、まさに僕と重なっていて、夢中になって観ていたのだそうだ。彼女のお母さんから聞いた。受験会場にゼットンの着ぐるみを来て乱入して、主人公を応援する織田裕二さんの姿に感動して、彼女は泣きながら観ていたのだと彼女のお母さんから聞いた。余計なことを言うなと彼女は怒っていた。
 早稲田に合格したことを、彼女の家にも報告しに行くことにしたのだった。彼女には既に彼氏ができていて、やっぱり同じ敷地にある四大の先輩だと風の噂で聞いていた。お互いの母親が仲が良いので余計なことまで耳に入って来てしまうのだ。耳を塞ぎたくなる話だったけれども、それをエンジンにして僕が勉強に集中できていたのも事実だった。ひとまずは合格したことを伝える。それだけのために訪れた。彼女のお母さんもお姉さんも僕を結構気に入ってくれていた。僕が勉強の合間に、愛犬のイングリッシュ・ポインターと一緒に、白いTシャツとジーンズで歩いている姿を眺めると、犬と僕とが妙に似合っていて、なんだか格好良いのだとお姉さんが言っていると教えてくれた。なんだか照れてしまうのだけれども素直に嬉しかった。じゃわたしは、と、唐突にお母さんはお使いに行って来ると言って、気を利かして二人きりにしてくれた。
 その日の彼女は、やっぱり美しかった。ずっと彼女にこうして会える日を迎えるために、勉強に頑張っていたのだ。ついこの間まで一緒に居たときと何も変わらない雰囲気になった。必然的に、いつものように、いちゃいちゃしてしまいたくなって来た。
「だめだ、彼氏がいるのに、ごめん。俺、我慢できないや」と僕は言った。言うが早いか僕は彼女を抱きしめていた。彼女は素直に受け入れてくれて、久しぶりにキスをした。彼女の胸に手をのばして撫でていると「いいよね、それ。なんか大学で出会う男の子って、いっつもうじうじ、うじうじしていて、目だけで視姦して来る感じがあってね。二人きりになったり、お酒が入ったりしても、目はランランとさせているくせに、なかなか手を出して来ないんだな。男なら、うじうじしていないで、来ちゃいなよ!っていつも思う。といって大人しく受け入れる気は、さらさらないんだけどね」と彼女は笑った。その点、僕は、いつもこうだからいい。女として満たされる感じがする。そう言ってのけるのだった。「彼氏と別れたらね、別れたら、いつかやらせてあげるね」と彼女は笑った。ったく、またかよ、いつになることやら。と僕は呟いていた。あ、また!と彼女は笑った。僕が代弁してやった。「あたしがコンドと言ったら、そのコンドって言葉の有効期限は、コンドって言った瞬間から、あたしが死ぬまで有効」そう、その通り。でも、あたしってなんかいや。ちゃんと、わたしって言って、と訂正されてしまった。はいはい。そのときにも彼女はこう言った。僕の進学するような大学にいる「すっごく頭の良い女性で、でもどちらかというと文学部とかじゃなくてねぇ、そう、法学部とかにいるようなタイプ、こう、ちょっと凛とした感じで、どっちかって言うと男を男として相手にしないような強い感じの人でね、すっごい美人なの。そういう女性が、合っているよ」それは予言?と僕は尋ねた。「うん、何なら賭けてもいいよ。そう、予言。絶対、そういう女性と結婚すると思う。それでねぇ、毎日、何回もセックスするの。もう隙あらば手を出して来て、ちょっと油断したらすぐに襲われて、暇があるたびにセックスしようとするんだよ」と彼女は爆笑しながら、そう言ってのけるのだった。

 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み