第5話

文字数 15,638文字

 彼女の家にはシェルティー犬がいた。シェットランド・シープドックとも呼ばれる。名犬ラッシーはコリーなのだけれども、コリーをちょうど小型化した感じのエレガントな犬である。本来は、賢い犬なのだろうと思うのだけれども、彼女の家では一切、躾というものをしたことがないようだった。残念ながら警戒心の塊のような状態に育ってしまっていて、何軒も離れているのにもかかわらず、耳障りな甲高い声が微かに聞こえて来てしまうほどに、常に響き渡るように鳴き喚いているような子だった。
 僕は包帯の巻かれた足のままで、彼女の家にあがりこんでいた。その日は二階の彼女の部屋まで行くのはキツイのでリビングに居たのだけれども、リビングで放し飼いされていたものだから、時折、会話が聞き取れないほどに鳴き喚いて仕方ない状態だった。当時は携帯電話なんてものはないし、ナンバーディスプレイなんてものもないし、せいぜいがキャッチフォンが新しい機能として重宝されていたような時代だった。さてと、どうしたものかと僕は考えた。バカバカしい話なのかもしれないけれども、僕は誰かの家に泊まるなんて殆どしたこともなくて、どちらかというと我が家に友達が泊まることは多かったのだけれども、泊まるとなれば、その友達の家のご両親に母親が代わって連絡をしっかりと入れて、大切な子供をお預かりするのだからという律儀な挨拶を交わすような習慣があった。
 このときの僕の悪だくみのなかで、唯一の救いだったのは、軟式野球部の親友の存在だった。最初の方に少しだけ書いた気がするのだけれども、いつも周りに悪態をついて、口汚く周りを馬鹿にしたように見下し、暴言を吐き捨て、何かあれば喧嘩越しで凄むようなところのある、恥ずかしい奴だった。恥ずかしい奴と書いたけれども、それはそのまま自分に返って来る。本音では、僕も彼と同じような気持ちにあって、この高校が嫌で嫌で仕方なかったのが一年のときだった。彼が僕の気持ちを代弁してくれているようで、常にいつも、彼のよき理解者として側にいて、なだめすかしているような状態が少なくなかった。
 前年に彼のお兄さんが、天下の京都大学法学部に合格して進学することになったとき、関西に単身赴任していた父親と合流する形で、母親も一緒に住むということになり、つまり、ご両親は兄とともに関西に引っ越すことになった。弟の彼も、思い切って転校するという選択肢もあったようだけれども、彼はそれを嫌って、都下にある祖母の家に寝泊りすることになった。祖母は、耳も遠く、かなりのご年配だったから、日常生活のこまごました面倒は、彼がみるような形になっていて、そんな環境というものを、僕は不可思議な気持ちをもって自分の母に報告していた。
 奴はお兄さんの進学先を書いたのでわかるように、教育熱心なご両親のもとに育っていたので、もともとは第一志望の国立大付属に落ちて、第二志望の県立トップ高校にも落ちて、やむにやまれず滑り止めのいまの高校に進学して来ていた。そんなわけで、付属大学の名前すら、そもそも聞いたことがないと口にしてしまうようなところがあって、全く進む気なんてなかった。彼も三つ上のお兄さんの影響から佐野元春さんの大ファンで、僕と二人で横浜スタジアムにコンサートに出かけるためにチケットを取ってくれたほどに熱狂していた。軟式野球部の練習は、流して馬鹿にしてまともにやらなかったので、三年間かけて、どんどん下手になって行った。もともとのレベルが高かったので、卒業する頃には、ちょうどチームに馴染むレベルになっていたような、そんな奴だった。自分でも、どうしてこんな球が打てないのか?と、呆れてしまうほどに下手になって行くのだが、その感覚は僕にもよく理解できた。
 僕は自宅に電話をして、彼の家で夜通し将来について語り合い、大学受験について最終的な結論を出すことにしたいのだと報告することを思いついた。男友達の家で、彼の家には、耳の遠いおばあちゃんしかいないのだし、配布されている同級生の名簿にも、さすがに引っ越した先のおばあちゃんの家の電話や住所は掲載されていないだろう。軟式野球部の名簿でも、既に誰も住んでいないご両親の借家の電話番号しか掲載されてはいなかった。自分が彼の立場ならあまりに寂しいし、できの悪い弟は放置されてしまうのだなぁという感想を母にもしていたので、ここは何の疑念を持たれる心配もないだろう。我ながらよくできたシナリオだった。
 最終的な結論は、既に出ていた。付属大学の移行試験は受験せず、彼女とともに、外部の大学を目指すと既に決めていた。正直に言えば、彼女に夢中になってしまった結果、こんなことばかりしていたら、下手したら移行試験だって落ちるかもしれないという寒気を覚えてもいた。どうせなら最も適性があるらしい、小説の書き方を勉強できる大学に進みたいが、〇大芸術学部は先に書いた通りだったし、大阪芸大は余りに遠い。明治の夜間と比較するとしたら、早稲田には第二文学部もあって、その方が魅力的だった。精いっぱい背伸びして無理は承知で、早稲田の第一文学部を目指す。そこに照準を合わせて努力して行けば、立教の文学部史学科も見えて来るかもしれない。仮に浪人したとしても、この勢いで行けば、早稲田の第二文学部には進めるようにできるのではないか。そんな無鉄砲な希望的観測に満ちた進路が既に固まっていた。
 ここまで考えたときに、彼女には自宅には電話せざるを得ないと伝えた。
「野球部の友達の家に泊まると伝えようと思うんだ。それで思ったんだけど、電話するとすれば、これ。この鳴き声は、まずいと思うんだよね。明らかに君の家から電話しているとばれてしまうからさ」そんな話をしているときもずっと、シェルティー犬は、狂ったように鳴き喚いていたのだった。僕も犬を飼っていたので、躾をしていないからだろうと感じて、少し自分の言うことをきかせてみようかと色気を出したのが失敗だった。彼女が愛犬を撫でて落ち着かせようとしていたのだが、一瞬は黙って座ってはみるのだけれども、ものの数分としないうちにまた、大きな声で鳴き喚いてしまう始末だった。
「俺を怖がっているんだよね。警戒心を持っているから吠え続けるのだろうから、俺に慣れさせれば良いのじゃないのかなぁ?」そう提案したところ、彼女が愛犬を抱きかかえて、僕の包帯を巻かれた足の辺りまで移動させてみたのだった。鳴き喚くのはやめて、僕の包帯の辺りの匂いを嗅ぎ始めた。かなり長い間、珍しく黙って僕の匂いを必死になって嗅いでいるので、これは行けるかもしれないと思ってしまった。僕が、愛犬の名前を呼んで前かがみになろうとした瞬間だった。勢いよく、僕の包帯に黄色い水飛沫が飛び散ることになった。あ!!どうしよう?!ごめんなさい、え?もう!!だめ!!え?ごめんなさい、どうしよう?と泣きそうになる彼女だったが、幸いなことに、とうの本人は少しずつ僕に慣れようとしているみたいで、相変わらず吠えはするのだけれども、僕の語り掛けに少し反応し始めていた。
「包帯、わたしが洗うから。いったん、これ、外していい?ああ、もう色が。これって落ちるのかなぁ」彼女が僕の足から愛犬の粗相で濡れてしまった包帯を外して洗面所に消えた間も、僕は彼女の愛犬を自分に慣れさせるように鳴かないようにと躾を開始してみた。やっぱり賢い犬なので、ちゃんと教えてあげればわかって行くのだろう。相変わらず鳴き喚きはするのだけれども、回数も頻度も、少しずつ減って行くようになった。彼女が包帯を洗い終えて石油ストーブの上に、ハンガーにかけて干している間、彼女の愛犬は僕の顔をじーっと見て、首をかしげつつ黙る機会が増えて行くようになっていった。これなら、大丈夫かもしれない。そう確信するくらいに慣れて来ていた。
「もう、これ乾くまでけっこう時間かかると思うし、やっぱり泊まっていかない?」と彼女は言った。そうだな。じゃ、電話してみるから、鳴かないように傍にいてあげて。目論見通りに、彼女の愛犬は僕の顔をじーっと見ながら、彼女に撫でられて、じっと我慢したように鳴きやんでくれることに成功した。電話口の母親には、嘘八百を並べて、とにかく明日の土曜日の昼ご飯までには帰れるようにする。その時にどうするかを報告するからと言ってしまった。いろいろとまぁこれも青春だねぇ、と電話口でお道化てみせる母の声は、微塵の疑いも持っておらず、罪悪感が増したのだけれども、そうこれも青春ですと、心の中で繰り返しながら、電話を切った。

 もう何十年も前の話なのだけれども、僕にとってその日は記念すべき日になる予定だった。僕の神経が、いささかか細くて、いろいろな意味で、意気地がなかったのだと思う。どういったら良いのかわからないけれども、僕はこの日、彼女と二人きりで迎えた朝を、一生忘れない。そう思っていた。ここまで書いて来てみて、ようやく、この日のことを書けるところまで来たのかと正直、驚いている。大した話ではないのだけれども、こんなことを書けるようになるまでに、一体、どれほどの年月が必要だったのだろうと思うと、不思議な気持ちになる。記憶があまりに鮮明に過ぎて、書けないなんてことがあるものかな、と疑問に思ったことがある。鮮明であればこそ、書き上げられるのではないかと。忘れてしまったことがたくさんあって、思い出せないことも増えて行って、その先に、ようやく書けるようになった、なんていうのは詭弁だろう、控えめに言って嘘だろうと僕は思っていた。でも、やはり、そういうことってあるのだなと、実感しているし、実際に僕は、この日の夜について思い出してみても、多くのことを失念している。
 この夜、僕は彼女に身体を流してもらった。片足は石膏のようなもので固められていて、濡らすことはできなかった。自宅でもビニル袋を足に穿いてワゴムで止めて、シャワーしか浴びられない状態だった。この夜に、彼女との初めてのセックスを経験する前提になったときに、やはり身体は洗っておきたかった。しかし人の家のお風呂というのは、使い勝手がよくわからない面がある。まして年頃の女性しかいないような家で、お父さんの使っている石鹸やシャンプーは、お父さんの引き出しに締まってあって、お父さんが入るときにしか使わないから、どこにあるのかもわからないのだと言うではないか。母親と姉と彼女だけの家のように、女性用のものしか、見当たらないような浴室と洗面所になっていた。
 「わたしが洗ってあげる」となってしまった。それはそれで、とても嬉しかった。間抜けな感じなのだけれども、彼女は濡れても良いタンクトップと短パンになって、素っ裸の僕が、片足を挙げたまま、彼女に洗われていた。もう、何度も勃起したところを見せていたのだし、彼女の口で可愛がってもらっていたはずのペニスも、しぼんだままの状態で、実際に彼女の手で洗ってもらうなんてことは、当たり前だけれども初めてのことだった。風俗ではないのだ。高校生だったのだから、そんな経験があるはずもなくて、恥ずかしいやら照れ臭いやらだったけれども、嬉しかったのを憶えている。照れたように身体を洗ってくれる彼女の仕草も、ちょっと濡れたタンクトップも、短パンも、やっぱり魅惑的に過ぎて、すぐに僕のペニスは大きくなったのだ。そのときには、ちゃんと大きくなったのだ。見ている目の前で膨らんで行くのを感じて、顔をあからめる彼女はとても可愛かったのだし、どうしたらいいの?これ?こういうものなの?と戸惑う表情も憶えている。夕飯としては、彼女の手作りの野菜スープとブルスケッタに似せたようなフランスパンを食べた。不思議な感じだった。
 同棲、だとか、彼女と二人きりで生活する、だとかの情景をまだ考えたことはなかったのだけれども、なんとはなく寂しい、切ない印象があった。僕は今晩彼女が独りで、この家で、朝までの間に、こんな風に過ごす予定だったのだなぁと想像して、妙に切ない気持ちになってしまった。最初に彼女とキスをした夜も、彼女はあの後、朝までは独りで、こういう感じで過ごしていたのかなぁと想像してしまった。家族というのは少し面倒臭い面はあるのだろうけれども、やっぱり生活のなかに組み込まれて在るべきで、ましてや受験生である彼女をこんなふうに放置しておくのは、何かが間違っているような気がして来るのだった。上をみても下をみてもキリがないのかもしれないから、離婚した片親に育てられるうちに不良になって、家に帰っても誰もいないから夜の街を出歩いて、煙草を吸って、バイクを乗り回して、という中学時代の幾人かの友人の顔が思い浮かんでくるのだった。彼らからすれば別に、こんなことは大したことじゃないのだろう。むしろこれが当たり前の日常だったのだろうと考えてみると、いかに自分という男が、何もわかっていなかったのかを、いまさら思い知らされるように感じた。(「あの日のあとさき」参照)自分は周囲に存分に甘えられる状態で、今夜だって心配していてくれるだろう家族に平気で嘘をついて、こうして好きな女の子と二人きりになりたいからといって、適当なことをやっているのだ。そんな感じで、妙にまた、切ないようなやるせないような気持ちに傾いて行くことを止められなくなっていた。
 二階のベッドに行くのだろうと思っていた僕が驚いたのは、彼女が布団をリビングに敷いたことだった。石油ストーブのすぐ脇に、敷き布団を敷いて、羽毛布団と毛布をかけていく。
「ずっと、こういう感じにしたかったの。初めての夜は、ベッドとかじゃなくて、こういう感じに、お布団を敷いてっていうのに、ずっと憧れてたの。寒くない? 良かったら先にお布団で温まっていてね。何か飲む?大丈夫? すぐにシャワー浴びてくるから、待っていてね」と彼女は言った。どう表現したものかよくわからないのだけれども、普段は頭の良い、凛々しいくらいに美しくて、流行にも詳しくて、いわゆる「いまどき」の最先端の女子高生の鏡になるような、ある意味では生意気で、僕なんかよりずっと大人という印象のある女性だったのに、この瞬間には妙に大人しくて、甲斐甲斐しくあれこれと働いて、気遣って、世話を焼くような姿が先に立って、わざわざ布団を敷いてしまう彼女に、新しい一面を見せられたような感じがした。そしてそれは、いささかなりとも僕には、居心地の悪い状態に思えて来るのだった。違和感。
 僕は先に布団に入って、早速、明日の朝にどうやって、この、走ったら10秒もしない至近距離から自宅に帰るべきなのか思案していた。少なくとも10時過ぎくらいまでは、彼女の家にいなければならないだろうと計算した。あれこれと、どうしたらばれないように勘ぐられないようにごまかせるのかを考えているところに、グレーのスウェットスーツ上下に着替えて、まだ少し濡れた髪のままの彼女が戻ってきた。お待たせしました、なんてしおらしいことを言って、いつもよりも少しうわずっているような、媚びたような高めの声を出して、僕の横に滑り込んで、横になったのだった。

 結局その晩、僕のペニスはぴくりともしなかった。どう頑張ってみても、大きくならないのだった。さっきシャワーで洗われていたときには、濡れた彼女のタンクトップ姿を見ただけで、盛大に勃起していたはずのペニスが、まったく大きくならなかった。最初に彼女のスウェットスーツを捲り上げたときに、彼女はブラジャーをつけていなかった。いまになるとそれは、当たり前のことなのだろうし、眠る前なのだし、ましてやこれからセックスを始めようとしているのだから、面倒なブラジャーを最初から外しておいてくれたのだとしても、当たり前のことで、戸惑うことではなかったのだとわかっている。でも、その晩の僕は、その瞬間に妙に面食らってしまって、そういえば何度も彼女とペッティングを繰り返して来たにもかかわらず、胸を攻めたことが殆どなかったのだな、ということを思い出してしまった。綺麗な白い肌と、まだうっすらとピンク色に近い小さな乳輪と、かたく尖っている乳首の先が目の前にあって、僕は固まってしまったのだった。あれ??まずブラジャーを丁寧に外していかないとなって思っていたんだけど。
 そして次の瞬間、唐突に、入院したときに舐めて吸ってと強制された看護士のそれを思い出していた。もっとずっとグロテスクに撓んで揺れて、女性の方から突き出されて来るものに対して挑むような愛撫は、望まざると知っていたのだ。おそらく、こんなふうに戸惑わないように、こんなことにならないようにと、丁寧に親切に、僕の二度目の童貞を卒業させてくれた素敵な思い出のあの人(「あの日のあとさき」参照)は、それでもやっぱり既にもう、そこに口づけただけで震えるような反応をしてくれたのだし、切ない声を漏らして、どん欲にさらに突き出して来てくれたのだし、どういうふうに舌を動かし、どういうふうに唇を使って吸い付くべきかを事細かに教えてくれながら、身体をよじって震えていたのだが、僕はその晩の、彼女の初々しい胸に正面から向かい合ってみたときに、なんだかこれは、とってもイケナイことをしてしまっているのだという強迫観念が頭に過るのを押さえられなくなっていた。僕が何かをこちらから施すことによって高まるという領域は既に飛び越えて、過去の経験はどれもこれも、最初から彼女たちは既に男を欲して、高まった感度でもって、男からの愛撫を求めて身体を飢えさせていたのだった。
 ところが彼女は、僕に開発された、と繰り返して来たように、何も知らず、何もわからず、僕が欲望のままに彼女を求めるのに応じて行くうちに、少しずつ少しずつ大人の女性になろうとしているまだ端緒にあって、その違いというのは、肌を合わせてみないとわからないような微妙な違和感を僕にもたらすことになった。一言で言って、犯罪を犯しているような罪悪感ばかりが僕の頭の中を占めて行って、美しい彼女を目の前にしての喜びや感動を、完全に置き去りにしてしまっていたのだった。時に余りに美しく神々しいものを目の前にすると、人は呆然と立ち尽くすしか術がない。この神々しいものを自分のような者が享受してしまって良いものなのだろうか。できるならば、彼女に快楽を与えられるだけ与えなければその資格に値しないのではないか。どうしたら喜ばすことができるか?作為的な頭が働くのだが、カラカラと音を立てて空回りしてしまう。もっと純粋に、愛し合うことに没頭するような、無我夢中感は完全に欠落していた。
 もう下に行こうと考えた。スウェットパンツを下ろそうと手をかけたら、スルッとまた、下着まで一緒におろしてしまう。そのときもまた、僕は何か異様なくらいにうろたえていた。順番が順番が、と頭のなかでアラートを鳴らすのだけれども、止められない。むき出しにしてしまった彼女の下半身にいきなり顔をうずめていき、まずは夢中にならねばと意識して、そう思って舌を伸ばしたのだった。最初から舌を駆使して全体を舐めあげるように動かしていった。そうするとひと舐めしただけで、彼女の陰毛が口のなかに入って来てしまって、喉にからみついて来る。その瞬間にまたフラッシュ・バックが起きた。
 それもまた、苦い経験を想起させるきっかけになった。(「あの日のあとさき」参照)過去の嫌な思い出に繋がるものだ。頭のなかに膨らんで行く。一種のトラウマのようになっていた記憶が、次々に浮かんで来る。これを止めることができないまま、僕のペニスは全くのところいうことをきかない。皮を被ったまましぼみ込んでしまう。どうしたものだろう。落ち着け。といって、突然大きくなったとしても、いきなりでは彼女を痛がらせる気がしたので、片手は自分のペニスを摩りながら、片手は彼女のバギナに指を這わせながら、しばらくそんな状態で時間が経過して行くのだった。極めて間抜けな状態に陥っていた。
  「どうしたの?」と彼女が尋ねた。「大丈夫だよ、このまま眠ってリラックスしていて」と僕は訳のわからないことを口にしていた。そんなこと、こんなふうにいじられていたら、できるわけないでしょ?と彼女は吹き出した。確かにそうだ。だめみたいなんだ。無理しないで良いよ。そんな言葉を交わしたことを憶えている。どうして、こんなに大切な、どうして、こんなに待ちわびた状況が目の前にあるのに、こんなに肝心なときに、という情けなさが、そのあともずっと僕にはコンプレックスとして残ることになった。
 次に憶えているのは、朝になって、彼女が洋服に着替える姿を観ていた瞬間だった。美しいシルエットが、朝の光のなかで蠢いて、ひとつひとつを身に着けて行く。そんな光景を見ていると、ようやく僕のペニスはいまさらに勃起を始めたのだが、既に彼女は外出用の洋服に着替え終えていて、僕だけは半裸で勃起したペニスをパンツのなかに持て余している。もう、そのチャンスは既に終わっているのに。既に朝の8時半を回っていたのだろうと思う。朝食には、食パンにきゅうりを載せてマヨネーズを垂らして、それをトーストしたものを彼女が用意してくれていた。それとコーヒーだった。すっかり昨晩からのことは、何もなかったように振る舞って、結局、彼女の処女は守られたままだった。昨晩からキスすらしていない。生活の一部に組み込まれたように当たり前に起きて、当たり前に食事をして、当たり前にテレビをつけて、といった感じになってしまった。不思議なことに、そこには違和感がなかった。随分と昔から、二人はこんな風に生活をしていたような自然体で、どちらも何を気遣うこともなく、二人で、のんびりと時間を過ごすような形になった。テレビを観ながら他愛ない会話をしたが、どんな話をしたのかはもう、憶えてはいない。
 朝の9時を過ぎて9時半近くになったところで、そろそろ帰るかなという話になった。僕の当初の計画では、彼女の家から最寄り駅まで歩いて行って、駅前でコーヒーでも飲んでから、また帰宅するルートを取るとちょうど良い時間になるだろうと踏んでいた。10時を回ると僕の父が愛犬の散歩に出るだろうと。それより少し前には、出た方が無難だろうという計算だった。玄関を出ようと先にドアを開けた彼女が、慌てたようにあとずさりしてバタンとドアを閉めた。僕は靴を履いて彼女に続こうとしていたのだが、振り向いた彼女が真っ赤な顔をしている。
「いまは、まずいかも」彼女の家の斜め向かいにある空き地には、僕の愛犬が放し飼いになっていて、傍らには僕の父が、その愛犬を見守っている光景が、そこにはあった。僕がいないからかいつもより早く、父は愛犬の散歩に出かけていたのだった。ちょっと待っててね、と言って彼女は、自分の愛犬を呼びに戻って連れ出し、散歩に出かけて来ると言う。仕方ないので僕は彼女の家のリビングに戻って、不甲斐ない昨晩を思い出し、悔やんでも悔やみ切れないままに、朝は朝で、こんなふうにコソコソとして、俺は一体何をやってしまったのだろうという鬱屈とした気持ちになっていた。仕方なく、コーヒーを口にして、たまらなく煙草が吸いたくなっていたけれども我慢した。15分ほどすると彼女が愛犬と一緒に帰って来た。
「もう、大丈夫。いちおう、お父さんが家に入るところまで遠くから見届けて来たから」という彼女の報告を受けた。「下手に遠回りとかしないで、いまのうちに帰った方が良いと思うよ」と付け加えてくれた。そそくさと支度をして、初めての一晩の夢は、そんなふうに潰えて行くことになった。何とも無様で、どうしようもなく、後悔しか思い浮かばないような一晩だったけれども、一晩一緒にいてくれてありがとね、と彼女は笑顔で送り出してくれた。ずっとずっと後になったら、いつか笑って話せる日が来るのかなぁと頭を切り替えることにした。これから、家族への説得が待っていた。

 果たして僕は両親を説得して、立教大学と早稲田大学のみを受験することに決めた。漢文も古文も仕上げていないのでわからないままだったが、既に終わった秋の代々木ゼミナール模試が返却されて来て、国語の偏差値は62になっていた。どこの模試でも国語だけ安定的に偏差値60前後をキープできるようになった。といって何か国語の勉強を特別にやったわけではない。間違えているのは常に古文と漢文だけだったので、現代文は大抵、間違えたとしても1問か2問といった程度で、模試によっては満点だった。英語の平均偏差値58、世界史は同52といったところで、残念ながら立教大学の判定結果はDだったけれども、追い込めば、諦めないでも希望が持てる程度には体裁が整って来た感じがしていた。
 彼女とは、それ以降も頻繁に、彼女の家で会っていた。受験勉強に疲れると、ちょっと休憩といっては、二人で行為におよぶことを繰り返していた。時には、二階の彼女(と彼女のお姉さん)の部屋で二人で過ごしている最中に、体調を崩したらしい彼女のお父さんが、突然早退して帰宅してしまったこともあった。一階のリビングには僕の鞄と勉強道具を広げたままで、二階の彼女(と彼女のお姉さん)の部屋で、半裸になっていちゃいちゃとしていたときだった。下着をもどしてブラウスを羽織りながら、彼女が「どうしよう?もう、死にそう」と言いながら階下へ降りて行ったのが印象的だった。広げた勉強道具を僕のバッグに入れ直して、バッグだけを二階に持って上がって来て「いま、トイレでうなってたから、すぐに帰って!」ということで、そそくさと退散した。僕は堂々と挨拶してから帰るよ、と居直ってみたのだが、お願いだから何も言わずにさっさと帰って、と叱られた。幸い、彼女の父親の体調が最悪だったので、僕のバッグや僕の靴にも大して気を払わなかったようで、何も追求はされなかったと後から聞いた。

 クリスマスの思い出は、何かあったはずなのだけれども、正直、思い出せない。大晦日だけはかろうじて憶えていて、年末の深夜に二人して湯島天神に出かけた。夜通し朝までの間、あちこち歩き回った。確か、立教大学を外から眺めようとなって、僕は池袋駅北口周辺のラブホテルに行きたいと主張したのだけれども、彼女には全否定されて、大人しく朝まであちこち歩き回って、帰って来たように思う。こんな関係というのは、友達なのだろうか?それとも、やっぱり、彼氏と彼女という関係だと公認され得るものなのだろうか。恐らくは愚問であって、結局は、二人の気持ち次第なのだろうし、失った憧れの高校生活を取り戻すように、あたかも昔からの幼馴染みのように、彼女と僕は、毎日のように近所で、行ったり来たりを繰り返し、常に一緒に過ごすような濃密な数ヶ月を過ごすことになった。
 彼女は僕と結婚する女性は大変だろうと口にしていた。毎日のようにセックスを求められてしまうのだろうと。もちろん冗談交じりの話だった。奥さんが家事や育児で疲れていてもセックスしたいと言って駄々をこねるダンナになるのだろうと笑った。実際には一度も僕たちは、セックスはできなかった。いま考えてみればわかることなのだけれども、当時は彼女の足を折り曲げて抱きかかえるなんて発想がなかったから、足を伸ばしきって、爪先までピンと伸ばし、時折痙攣するように震えて喘ぎ、感じている彼女に跨ってみるのだが、いつも勃起したペニスを、どうやったらこの小さく開いた穴におさめることができるのだろうと、僕は、密かに悪戦苦闘してばかりで、途中までで全てが終わった。角度がどう考えても合わない。僕のペニスは鎌首を擡げた蛇のように亀頭が前に向くようになる。あたかも大便したあとに尻を吹くような体制になって、後ろから手を回して自分のペニスを握ってみて、彼女の中に入ろうとする僕を、寝転がっていた彼女が意識を取り戻して僕を見上げ、突然、大声で笑い転げたりしたこともあった。あれも、酷く傷つけられたのだけれども、書きながら思わず吹き出してしまうような思い出にはなっている。実際に僕は彼女に射精させてもらったことはなかったし、彼女も、僕の愛撫では、完全にイッタことはなかったのだろう。よく彼女は、僕の結婚相手は、頭が良くて綺麗で育ちもしっかりしていて、良いところのお嬢さんになるのだろうと予言のようなことを言っていた。礼儀正しく言葉遣いもきちんとしていて、イメージで言えば社長秘書みたいな女性だろうと。

 僕は将来、彼女と一緒になることを夢にみていた。仮に別れたとしてもいつか必ず、もう一度やり直して、また恋をして、そして結ばれるものなのだろうと。運命みたいなものなのだろうとずっと感じていた。いまはまだ、僕が彼女に相応しい男になってはいない。もっと何か、僕に足りないものを学び鍛えて行って、彼女に相応しい男になれるようにと考えていた。こんなふうになし崩し的に一緒にいられる時間は、そう長くは続けられないという感覚を、当時から持っていたように思う。彼女が手放しで、僕を、ただの友達ではない、と公に認めてくれるようになりたかったのだが、こんな現状では、どう足掻いてもそれは難しいのかもしれないと感じた。
 ところで、彼女の勘は、的中した。まるであのとき彼女が予言していた通りになった。そして、僕の方は、全く見当違いに人生を逸れて行ったのだが。

  新年を迎えて、昭和天皇が崩御され、平成に元号が改まった。受験勉強は佳境を迎え、結果としては、彼女も僕も立教大学には落ちてしまった。彼女は、滑り止めに受けた短大に進学することになり、僕は早稲田も立教もだめで浪人というのが結論だった。書き忘れていたのだけれども、彼女の夢は、ツアー・コンダクターになることだった。「男女七人夏物語」が流行った当時、明石家さんまさんの役柄がツア・コンだった。あの世界に彼女は憧れて、進路を選択した。観光学科という学問がある大学は、まだ当時、そう多くはなかった。立教大学の観光学科が有名だったが、他には都内では彼女が進学した短大くらいしか名の通った大学名は見当たらなかった。そういう意味では、彼女は憧れていた学科には進学できるということで、次第点という感じで満足はしていた。

 僕は、早稲田大学の合格発表(不合格)の帰り道に、東京ディズニーランドのアルバイト面接会場に出かけて、アルバイトを決めて来た。新聞配達をしながら寮に入って奨学金をもらって、早稲田を目指したいという希望を父に訴えたのだが、反対された。少なくとも自宅から通えて、アルバイトはアルバイトで何かやって、当然に予備校代は自分で稼げる分は稼げと。予備校代が足りなければ補填はしてやるが、自分で稼ぎながら勉強するというのなら、是非ともそうして欲しいし、止めない。どうせなら時給の良いところを探してみろと言われた。それで当時はかなり時給が良かったので、東京ディズニーランドのアルバイト募集の集団採用会場に足を運ぶことにした。ちょうど、早稲田大学の合格発表の日に、なぜかお茶の水の会場で集団の面接会が開催されていた。そんな記憶がある。「いままさに合格発表があって、浪人が決まったばかりです」と面接官にはっきりと告げて笑いを誘った。働く場所は改めて調整して連絡するが、ということで、採用して貰えるという結論だけは貰うことができた。
 3月に入って卒業式前後には、彼女も東京ディズニーランドでアルバイトを始めるという話だった。それから近所のコンビニエンス・ストアでもアルバイトを始めて、卒業旅行と称してどこか海外に、親友のレイコさんと行って来たいので、その旅行費用を貯めるのだと張り切っていたように記憶している。この辺りも、もう記憶が飛んでしまって、余り憶えていないのだ。彼女の方は、僕が浪人になったとしても、ずっとこのままの関係を続けて行くことを想定してくれていたようだった。お土産は何が良いかという話もしていたほどだった。僕はもう限界に達していた。これから真剣に勉強に打ち込むとした場合に、彼女が短大に進んで、同じ敷地にある四大の先輩や同級生が、彼女を放っておくわけがないだろうと踏んでいた。そうしてたかだか元彼の話をちょっとされたくらいで嫉妬に狂って、勉強に手がつかなくなりそうになる自分の前のめりな気持ちにも、我ながら呆れてもいた。遠くから彼女の家の愛犬の鳴き声がするたびに、気が気でなくなるような瞬間が何度もあった。彼女の家族が、あまりに頻繁に、彼女をひとり残して出かけているのだから、僕がそうしたように、男が訪れれば、彼女は寂しさも手伝って受け入れることになるのだろうし、そうなると、いまのあの鳴き声は?というたくましい妄想に駆り立てられてしまう始末だった。彼女を独り占めにしたいという気持ちは、好きなのだから仕方ないことなのかもしれないのだけれども、もしこれが恋なのだとするなら、僕は恋には向いていないのだなと改めて感じた。自分が他の男に勝ち続けるためには、彼女を束縛しようとしてしまうだろうし、ストーカーにでもなって、どうしようもないとなれば暴力をふるって、結果として彼女も、自分も不幸にしてしまう、そんな妄想をたくましく思い描くようになっていた。彼女が美し過ぎるから? 彼女が僕を受け入れてくれ過ぎたから? こんな妄想を抱くこと自体、毒でしかないなとわかっていた。頻繁にマスターベーションを繰り返しながら思うのだ。この白い白濁液を放出した瞬間に、我に返るたびに、たったこれだけのことのために、どれだけの危険を犯そうとし、どれだけのタブーに魅了され、僕ら男は生きているのだろうか? と考えてしまう。すぐに勉強にもどらなければ。そう思って英語長文に目を落とすと一気に集中して行く。ペニスの勃起が始まる前の自分と、勃起をして射精に至るまでの僅かな数分を過ごして、射精後に至る自分には、どうしようもないほどの距離と隔たりがあった。ときには、思い切り素振りをしたり、腕立て伏せを始めてみたり、シャドー・ピッチングをしたりした。結局は、スポーツを通じて、僕は、この汚らしいドロドロした感情を発散していたからこそ、間違いを犯さずに来れたのだろうなと、改めて野球に感謝してしまうのだった。

 3月下旬。その日は、家族で父親方の祖父母の墓参りに出かける予定になっていた。僕は、早朝から近所のコンビニエンス・ストアでアルバイトをしている彼女を、最後のつもりで眺めに出かけた。アルバイトが終わったら、公園まで行って話をしたいと申し出ていた。二人で腰かけて話しこんでいるうちに、両親と姉が自転車で最寄り駅に向かうために通りかかった。遠くから僕の名を呼ぶ、姉か母かの声がして、先に行くよ、という苛立たしさに紛れた声が飛んで来た。ごめん、僕はいま、それどころではないのだと思った。こんなに大好きな彼女と別れ話をしているのだからと。せっかくここまで来たのに、こういう関係を、これから先、また、他の誰かを探してひとつひとつ積み重ねて行かなければならないのかぁと思うと、正直、うんざりする。と彼女は笑った。確かに勉強は頑張って欲しいけど。このままいたら、結局は、逃げ込むような場所にしかならないんだと思う。そう考えてしまう時点で、逃げたくないんだよ。今度は正面から勝ちに行く。絶対負けないようにしないと、逃げないようにしないと、と僕は言った。
「逃げてない」強く言い放って斜め上に、彼女は僕を見上げた。彼女の髪はその日も綺麗に風に揺れていて、美しかった。こんな綺麗な髪に、素直なまま流れる髪に、我が物顔で、この指を伸ばして触れられていたんだよな、と僕は思った。
「逃げてる」と僕は言い切った。
「逃げてない、逃げてなんかいない」と彼女は繰り返した。『考えないことは、逃げていることと同じなんだよ』と繰り返し呟いた僕の言葉が、また彼女の勘に触ってしまったらしかった。いまの僕にはそんなことを言い切れなくなっている。考えなくてもいいことや、むしろ考えてはいけないことさえあることを、知っている。むくれた口元を緩めて、小さく吹き出すように彼女は笑った。喧嘩ばっかり。喧嘩ばっかりしてたよね。ぽつりと彼女は呟いた。
「そうかな。そうだったかもな」彼女の自宅の前で立ち止まる。さよなら、と僕は力強く言い放った。少しだけ間を置いて、彼女は何かを言おうとした。が、諦めたように
「じゃあね」とだけ突き放すように呟くと、ドアを開いて、自宅の中へと消えて行った。後ろ姿は見送らずに、背を向け、振り返りもせずに僕は歩き始めた。皮肉なほどに空は青く澄み渡り、草むらに顔を出した土筆が、陽の光を受けていたことを記憶している。
 彼女と別れたあとも、しばらく心地好い初春の空気を吸い込みながら、さっきまで話していた公園へ歩いて戻ってみて、あの夏の夜に抱き合ったベンチに腰かけてみた。涙なんて出て来ないものなんだなと思った。前に向かって進もうとしているからだろうか。案外と僕にとって彼女は、その程度の存在だったのかなと思って、遠くから眺めてみるような気持ちになっていた。

 公園の柵のところにご老人がもたれかかっていた。小さな子供(おそらく孫にあたるのだろう)が老人の手を引いてキャッチボールを促していた。杖をついた老人は、グローブなどはめられないといった仕草をして、孫に優しいまなざしを注いで、諦めさせようとしていた。無邪気でしかし自分本位の子供は、それでも強引に老人を促す。諦めたように杖をその柵にもたれかけさせて、老人は弱弱しい足を踏ん張ると、左手にグローブをはめた。子供の投げたボールをグラブにやっとのことでおさめると、腕を大きく振り上げて老人はボールを投げ返した。と、同時に老人は、そのまま前のめりに倒れてしまった。ベージュのコートに泥が跳ねて、バッタリと倒れたまま老人は寂しそうに笑った。
 その瞬間、僕はたまらなく悲しくなった。ゆっくりと杖を手繰り寄せて、ヨタヨタと立ち上がるその老人の姿が、涙で揺れて見ていられなくなってしまった。流れ出した涙は止まらなくなり、嗚咽にかわっていった。一刻も早く家の中に隠れ込んでしまいたい衝動に駆られた。もう、取り戻せない。彼女が遠のいて手の届かない場所へ行ってしまうことが心のなかの柔らかい部分へと溶けて行って、やりきれない思いが溢れ出し、僕を打ちのめした。しつこく執拗なまでに心は震えた。











 
 
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