文字数 4,403文字


 適当に書類仕事をやっつけて、私は刑事課を出た。どうせ飼い殺しのような状態だ。少しの間なら、私がいつ、どこへ行こうと、気にする者なんかいない。
 一階のロビーに下りた私は、女性用トイレの出入り口付近にある長椅子に腰を下ろし、上着のポケットからスマートフォンを取り出した。
 最後に大阪から帰ってきて二週間、毎日のようにかけている番号に発信して、あたりを見回しながら耳に当てた。
 島崎主任が今日、ここへくる目的を、

から聞き出すためだ。
 出ない。と言うより、電源が落ちている。
 はいはい、毎度のことね。 
 電話をポケットに戻し、両手を長椅子に置いて背筋を伸ばしながら、私はロビーを見渡した。

 ──「お互い、仕事の話は無しな」
 ──「いいわ」

 そう約束した。
 だからやっぱり、訊くのはよそう。島崎主任がここへ来る目的、それがどうしても知りたければ、ここでこうやって待ち伏せしておいて、本人をつかまえて訊けば済むことだ。
 それにしても、何時に来るんだろう。係長に訊いておけばよかった。
 いくら何でもずっとこうしているわけにはいかないなと思っていると、玄関の自動ドアが開いて、一係の二宮(にのみや)という刑事が入ってきた。
 私は立ち上がり、二宮に向かって歩き出した。
「二宮くん」
 声をかけると、二宮は立ち止まって辺りを見回し、私を見つけてちょっと表情を曇らせた。
「そんなにがっかりすることないじゃない」私は笑顔で言った。
「いえ、そんなことは」
「一人?」
「はい。主任が先へ戻ってろって」
 二宮は俯き加減に答えた。私より二つ三つ年上らしいから、二十八歳前後か。

と同じくらいかな。
「ちょっと時間ある? コーヒーごちそうするわ」
「え、なんですか」
 二宮は露骨に迷惑そうな顔をした。少しは遠慮しろ、このモヤシ男。
「放火のことよ。捜査状況」
「でも──」
「わたしには言うなって、箝口令でも敷かれてるの?」
「いいえ、とんでもない」
 二宮はブン、と首を振ると、腕時計を見ながら諦めたように言った。
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
「ちょっと先の喫茶店に行きましょう」
 私は歩き出した。ところが──
「いや、警部、どうせならボクに付き合ってもらえますか」
「どこか行きたいところでも?」
「マクドナルドです」
「マクドナルド?」私は思わず訊き返した。「どうしてわざわざ?」
「ちょっと、欲しいものがあるんで」
 そう言うと二宮は照れくさそうに笑った。「いいですか?」
「え、ええ、もちろん」
 私は曖昧に答えながら、

とはまた別の意味で刑事には似つかわしくない目の前のモヤシ男を見つめた。

 署から歩いて十分ほどのところにあるマクドナルドに着くと、私は注文カウンターに並びながら二宮に訊いた。
「で、ご注文は?」
「警部、まさか本当に奢ってもらおうなんて思ってませんよ。ボクはボクで頼みますから、警部はお好きなのをどうぞ」
 二宮は言った。意外にも爽やかな笑顔だった。
「でも、無理矢理誘ったのはわたしだし」
 二宮は顔の前で手を振った。「仕事なんだから、割り勘が基本です」
 結局、二宮はこの態度を崩さず、自分で支払った。
 先に注文と支払いを済ませ、アイスコーヒーひとつを前に彼を待っている私のテーブルまでやってくると、二宮は運んできたトレーを眺めながら満足そうに席に着いた。
「……これが欲しかったんだよな」
 二宮は独り言のように言った。
 私は彼の注文した商品を覗き込んだ。普通のハンバーガーとポテト、それにコーラという、シンプルなものだった。特に珍しいものはない。
「朝食抜きだったの?」
 不思議に思って私が訊くと、二宮は首を振って一枚のカードを私に見せた。
「なに、それ?」
「『ドラゴンサーガ』のカードです」
「ドラゴン……」復唱しかけて、私は事情を飲み込んだ。「そうか、二宮くんはヲタクだったわね」
「……はっきり言われると素直に首を縦に振りにくいですけど、そうです」
 二宮はなんとも複雑な顔をして頷くと、カードを持ったまま俯いた。
「それで、そのカード欲しさに?」
「はい」
「カードだけ買えばいいじゃん」
「ここの企画の限定カードなんです。今しか手に入らない」と、二宮はいささか興奮気味に言った。
「ふうん」
 申し訳ないが私は気のない返事をした。確かに彼はこのカードに用があって私をここへ連れて来たのだろうが、もうその用は済んだ。ところが、そもそも彼を誘ったのは私で、そっちの用はまだ完了していない。
「じゃあ、今度はわたしの番。早速だけど、昨日の被害状況はどんな感じだった?」
「民家の車庫に火をつけてました。シャッターが焼けて、脇に置いてあったプランターも三つほど燃えてます」二宮はポテトを食べた。「それから、ちょうどシャッターのすぐ内側に犬小屋があったんですが──そこで飼ってた犬が、入り込んできた煙を吸って死にました」
「あら、可哀想」
「家のご主人、男泣きしてましたよ」
「手口は? 前の四件と同じ?」
 ええ、と二宮は頷いた。
「ガソリンを染み込ませたタオルに、百円ライターね。全部現場に残ってたの?」
 コーラを飲んでいた二宮はさらに黙って頷いた。
「じゃあ今までのと同一犯か」
 そう言った私を、二宮は首を傾げて見つめてきた。
「違うとでも?」私は訊いた。
「だって、今までの四件は隣の管内で起きてるんですよ」
「それは、あっちでやりにくくなったからこっちに越えてきたってことじゃない? 向こうじゃ警察や消防はもちろん、地元の消防団も連日警戒に当たってるわ」
「それだけじゃありません。向こうで火をつけたのは全部、夜になると人気(ひとけ)のなくなる建物ばかりです。乾物倉庫に引っ越し屋の事務所、月極駐車場、洗車場と、人の住んでいる建物じゃない。民家は今回が初めてですよ」
「じゃああなたは、今回の犯人は今までの四件の模倣犯だって言うの?」
「だと思ってるんですけど。手口が同じなのは、前の四件に対する報道が過熱になってますから、そこから知ることができます」
「そうね。犯行日が決まって月曜の夜っていうのも報道で言ってるわね」
「……誤解を招くと困るんでここだけの話にしていただきたいんですが、前の四件のような愉快犯って、どこかボクらみたいな──その、収集マニアって意味ですけど──それに似てるような気がするんですよ」
「どういうところが?」
「犯人は、犯行というコレクションをしているんです」
 私は二宮の独特の意見に笑みを浮かべた。「そういう意味では、収集家ね」
「ええ。前の四件には、今言ったような一貫性がありますよね。犯行日、手口、対象物。どれも統一されている。つまり、犯人はむやみに何でも集めてるわけじゃなくて、同じシリーズを集めてるんですよ。マニアっていうのは、まさにそこにこだわるんです」
「昨日のはそのシリーズとは違うものだってこと?」
「ええ。そんなこと、許されませんから」
「でも、キミだって今日、ここへそのカードを買いに来たじゃない。それってここ限定のものなんでしょ。普段集めてるシリーズとは違うんじゃないの?」
 私は二宮のスーツの胸元を指さして言った。さっき彼は『ドラゴンサーガ』のカードを内ポケットにしまっていたからだ。
「これはあくまで、『ドラゴンサーガ』側からの変化球です。自分発信で変えたわけじゃない」二宮は左胸に手を当てて言った。「だったらその変化球もまた、シリーズの番外作品として立派な収集対象になるんです」
「なるほどね……」 
 私はストローを口元に近づけながら、二宮を見た。このモヤシ男、思った以上に切れそうだ。
「それで、別犯人だっていう意見は誰かに言ってみた?」
「ええ。けさ主任に言いました。一応聞いておく、とのことでした」
「同一犯説の方が有力、ってわけね」
 二宮は残念そうに頷いた。「主任のことだから、即却下、とはしないでしょうけど」
「本当に疑問なら、何度も主張することね。場合によっては一人で動く覚悟だってしておきなさい。その場に流されるのだけはダメよ」
「分かりました」
「パートナーが必要になったら、わたしを使うといいわ」
「いえ、とんでもない」
「わたしみたいな厄介者とかかわるのは嫌?」
 私はわざと笑顔で言った。
「そうじゃないですけど──警部はほら、聞くところによるとまだこの前の一件でお忙しいみたいですし」
「あら、今度は嫌味」
「違いますよ。主任に聞きましたけど、今日だって大阪から誰か来るんでしょ?」
「ちょうど良かった、そのことよ」私は思い出した。「垣内(かきうち)主任は、何時に来るか言ってなかった?」
「え、もう来てるんじゃないですか」
「さっきわたしがあなたをロビーでつかまえるまでは、来てなかったわよ」
「それは分かってますけど」
 そう言うと二宮はコーラに入っていた氷を噛みながら腕時計を見た。
「主任の話では、昼前には来るって言ってたから、そろそろ着いてるんじゃないですか」
「うそ、それを早く言ってよ」
 私はトレーを持って立ち上がった。「帰るわよ」


 署に戻った私は、手洗いに行った二宮と別れ、刑事課のある二階へ戻った。
 埃っぽい階段を上っていると、なにやら黄色い声ではしゃぐ三人の婦警が上から下りてきた。三人は私に気付くとはしゃぐのをやめ、ぎこちない会釈をしながら下りていった。私はそれに軽く答えた。
 通り過ぎざまに彼女たちの一人が、
「気取っちゃって。悔しい」
 と言った。何で悔しがられるのか分からなかったが、どうせいつものくだらない妬みだと思って聞き流した。
 刑事課の前まで来た私は、自然に腕時計を見た。十一時四十分だった。
 島崎主任とも久しぶりだ。私はできるだけ明るい表情を作ると、ひとつ大きな深呼吸をしてドアを開けた。

「──あ、やっと帰ってきた」
 課長のデスク前に集まっていた数名の中から声がして、その連中が私に振り返った。課長もゆっくりと顔を向けて私を見た。
「一条くん、どこへ行ってたんだい」
 山中(やまなか)刑事課長は言った。
「すいません、ちょっと所用で」私は頭を下げた。「もう来られてるんですか?」
「来てるよ。さっきからお待ちかねだ」
 そう答えたのは最初に発言した、垣内主任だ。マクドナルドでの二宮との会話に上がっていた人物である。 
「きみとは気が合いそうじゃないか」
 課長がニッと笑った。そして部屋の奥にある来客用ソファに向けて首を伸ばし、言った。
芹沢(せりざわ)さん、どうもお待たせしました」

 ! ! ! ! ! ! ! ! なんだって────!

 おそるおそる振り返った私に、ゆっくりとソファから立ち上がった

は、並んだデスクの間を悠然と通って私の前までくると、穏やかな声で言った。
「お久しぶりです、一条警部」
 そして彼は非の打ち所のない笑顔のまま私に会釈した。
 恥ずかしいことだが、私はこのとき驚きのあまり失神した。

 

(注:『ドラゴンサーガ』は架空のコンテンツです。マクドナルドとは一切関係ありません。)
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