【前編】人間のポテンシャル
文字数 2,344文字
ヒトが多すぎる。
人類が出生を自己規制するようになってから、かなりの歳月 が経った。みんな、避妊はもちろんしているし、妊娠には人工授精をする。子どもは人為的に計画的にしか生まれない。
もう、性行為自体もしない人が増えた。じっさい、必要ない。
それにしても、なんでああも人類は繁殖したがったのだろう。
自分たちのことを顧みず、子どもをモノみたいに扱ってワガママに。あまつさえ「年老いたら自分を養ってもらおう」なんて、子どもを利用しようと思っていた人も多かったのではないだろうか。
ヒトもあくまでも動物なのに、こんなにまで繁殖してはばからないなんて、これじゃケダモノ……というより、まさにモンスターだ。
少子化を推し進めている。それでもまだ、世界人口は多すぎるくらい。未だにモノが足りないし地球環境もよくなっていない。『母なる地球』なんていうけど、これじゃ『母殺し』である。
*
――喫茶店。
「恋と愛のちがいって、なんやと思う?」明里 が訊 いた。「ウチ、アホやからようわからへん」
『喫茶店』とはいうが本当は、お茶を飲むのが目的ではなくて。休憩やおしゃべりをするためのところ。だから水もタダで勝手に出てくるわけで。まだ春だけど、こうも暑いと喫茶店で休憩したくもなるものだ。
向かいに座る明里は、赤いカットソーに白いカーディガン。いつものように、コーディネートはともかくも、余計な飾りっ気のないシンプルな服装だ。
ちなみに、明里が自分のことを『アホ』いうのは半ば謙遜で、もう半分は『ダマシ』でできている。現にこう、神々の対話とまではいかないにせよ、めっちゃ哲学みたいな話を吹っ掛けているではないか。こういう、子どもの素朴なギモン的なものは、大変に手強いのである。どうにも明里は賢い。そう、私は推し量っている。厄介なやっちゃ。
さて、『恋』と『愛』とはどこが恋 』は和語 で、『愛 』は漢語 である。
いや、そういう問いかけではないことはもちろんわかっている。
「『恋』は自分と
まず『恋』とは『乞い』なわけで、欲しいと思うことなのだろう。自分にないものだから欲しいのだ。相手のことが欲しいと恋い焦がれるのである。
つぎに『愛』という字はもともと執着心を意味している。けど、英語の "love" や『隣人愛』『人類愛』みたいにもう、ずっと広い意味になっている。『思いやり』とはいうけれど、もう想像するというよりも自分自身の延長線になっているレベル。
パートナーというのも、そういうことだと思う。それぞれが『部分』で、一緒になって完成。相手が嬉しければ一緒に嬉しいし、相手が痛ければ思わず一緒に『痛い痛い』いう。そんなん。
「ああ、納得やわ」
明里はコーラフロートを突っつきながら、満足したように言った。けどそれは、単純に納得したから喜んでいる、というわけでもないのかもしれない。
*
恋をしている人はよく、相手のことに憧れて、自分とは異なる風にあれやこれやと相手を美化して想像している。自分にはないものを相手に求めて、自分には足りないものを埋めようとしているのだろう。
世の中は昔から、特に男と女を別々に分けて暮らさせた。互いのことを隠してきた。だから、異性のことを知らない。知れないようにすることで、恋する感情を増幅させていたのだろうと思う。
ホントは、ヒトの染色体のほとんど全てが共通していて、個体差はほとんどないそうだ。異なるのは、ほんのわずかでしかないらしい。
そりゃあそうだ。あまりにもかけ離れていたら、別の生物種である。ヒトではなくなってしまう。
つまり実際には、人はみんな似たようなものだ。同じ部分がほとんどなのである。
何が言いたいかって、人は誰もがだいたい同じで、遠回しに言えばつまりトイレにだって行くのだろうし、身体からもニオイがするし、口の中も腸内も雑菌だらけである。
なのに、他人のことを自分とは全く異なるかのように考えているのだとしたら、バカげている。そう私は思うのだ。人間みんなほとんど同じ。
全く
なにせたいていは、目も鼻も口も耳も、手足の数だって、同じだ。配置もだいたい同じだ。暑いも寒いもあるし、痛いも苦しいも怖いもある。それに――いつか必ず、死ぬ。
みんな、同じなのだから。
そのうえで、自分の考えの至らなさを認める。自分の状態と他人の状態、異なっているところを受けとめる。
いや、自分自身のことでさえ自分でも知り尽くせないのだから、そのことに気づいていないといけない。まるで自分のことを全て知っているつもりだから、他人が全く異なるかのように錯覚するのだろう。
*
明里が肩にもかかる長さの髪の毛を左手で払いながら、アイスクリームをスプーンで削り取って食べる。そして私は、アイスティーをかき回しながら、口をつけていた。
私も甘いものはスキだ。
幼い頃はよく、クリームソーダやコーラフロートも食べた――いや、飲んだ?――ものだったし。それも歳をとればコーヒーや紅茶、ストレート一択になったりした時期もあった。けれどいまは、休憩のときには甘いものをとるのがいい、ということも実感している。
どの段階がホントの大人ってやつなんだろう?
「アイス、美味しそうやな」明里の顔を見ていると言いたくもなる。
「美味しいで、仁恵 もフロートしたらエエのに」
「今度そうしてみるわ」
私が微笑むと、「せやろー」とでも言いたげに明里も笑った。
ハイハイ、せやな、せやな。
[ 後編につづく ]
人類が出生を自己規制するようになってから、かなりの
もう、性行為自体もしない人が増えた。じっさい、必要ない。
それにしても、なんでああも人類は繁殖したがったのだろう。
自分たちのことを顧みず、子どもをモノみたいに扱ってワガママに。あまつさえ「年老いたら自分を養ってもらおう」なんて、子どもを利用しようと思っていた人も多かったのではないだろうか。
ヒトもあくまでも動物なのに、こんなにまで繁殖してはばからないなんて、これじゃケダモノ……というより、まさにモンスターだ。
少子化を推し進めている。それでもまだ、世界人口は多すぎるくらい。未だにモノが足りないし地球環境もよくなっていない。『母なる地球』なんていうけど、これじゃ『母殺し』である。
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――喫茶店。
「恋と愛のちがいって、なんやと思う?」
『喫茶店』とはいうが本当は、お茶を飲むのが目的ではなくて。休憩やおしゃべりをするためのところ。だから水もタダで勝手に出てくるわけで。まだ春だけど、こうも暑いと喫茶店で休憩したくもなるものだ。
向かいに座る明里は、赤いカットソーに白いカーディガン。いつものように、コーディネートはともかくも、余計な飾りっ気のないシンプルな服装だ。
ちなみに、明里が自分のことを『アホ』いうのは半ば謙遜で、もう半分は『ダマシ』でできている。現にこう、神々の対話とまではいかないにせよ、めっちゃ哲学みたいな話を吹っ掛けているではないか。こういう、子どもの素朴なギモン的なものは、大変に手強いのである。どうにも明里は賢い。そう、私は推し量っている。厄介なやっちゃ。
さて、『恋』と『愛』とはどこが
ちがう
のか? 『いや、そういう問いかけではないことはもちろんわかっている。
「『恋』は自分と
ちゃう
人を欲しいと思うことで、『愛』は相手を自分と同じみたいに思うことなんとちゃうかな」まず『恋』とは『乞い』なわけで、欲しいと思うことなのだろう。自分にないものだから欲しいのだ。相手のことが欲しいと恋い焦がれるのである。
つぎに『愛』という字はもともと執着心を意味している。けど、英語の "love" や『隣人愛』『人類愛』みたいにもう、ずっと広い意味になっている。『思いやり』とはいうけれど、もう想像するというよりも自分自身の延長線になっているレベル。
パートナーというのも、そういうことだと思う。それぞれが『部分』で、一緒になって完成。相手が嬉しければ一緒に嬉しいし、相手が痛ければ思わず一緒に『痛い痛い』いう。そんなん。
「ああ、納得やわ」
明里はコーラフロートを突っつきながら、満足したように言った。けどそれは、単純に納得したから喜んでいる、というわけでもないのかもしれない。
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恋をしている人はよく、相手のことに憧れて、自分とは異なる風にあれやこれやと相手を美化して想像している。自分にはないものを相手に求めて、自分には足りないものを埋めようとしているのだろう。
世の中は昔から、特に男と女を別々に分けて暮らさせた。互いのことを隠してきた。だから、異性のことを知らない。知れないようにすることで、恋する感情を増幅させていたのだろうと思う。
ホントは、ヒトの染色体のほとんど全てが共通していて、個体差はほとんどないそうだ。異なるのは、ほんのわずかでしかないらしい。
そりゃあそうだ。あまりにもかけ離れていたら、別の生物種である。ヒトではなくなってしまう。
つまり実際には、人はみんな似たようなものだ。同じ部分がほとんどなのである。
何が言いたいかって、人は誰もがだいたい同じで、遠回しに言えばつまりトイレにだって行くのだろうし、身体からもニオイがするし、口の中も腸内も雑菌だらけである。
なのに、他人のことを自分とは全く異なるかのように考えているのだとしたら、バカげている。そう私は思うのだ。人間みんなほとんど同じ。
全く
ちがう
ように思い込むのだとしたらその人は、他人のことはおろか、自分自身のこともよく知らないからなんだと思う。なにせたいていは、目も鼻も口も耳も、手足の数だって、同じだ。配置もだいたい同じだ。暑いも寒いもあるし、痛いも苦しいも怖いもある。それに――いつか必ず、死ぬ。
みんな、同じなのだから。
そのうえで、自分の考えの至らなさを認める。自分の状態と他人の状態、異なっているところを受けとめる。
いや、自分自身のことでさえ自分でも知り尽くせないのだから、そのことに気づいていないといけない。まるで自分のことを全て知っているつもりだから、他人が全く異なるかのように錯覚するのだろう。
*
明里が肩にもかかる長さの髪の毛を左手で払いながら、アイスクリームをスプーンで削り取って食べる。そして私は、アイスティーをかき回しながら、口をつけていた。
私も甘いものはスキだ。
幼い頃はよく、クリームソーダやコーラフロートも食べた――いや、飲んだ?――ものだったし。それも歳をとればコーヒーや紅茶、ストレート一択になったりした時期もあった。けれどいまは、休憩のときには甘いものをとるのがいい、ということも実感している。
どの段階がホントの大人ってやつなんだろう?
「アイス、美味しそうやな」明里の顔を見ていると言いたくもなる。
「美味しいで、
「今度そうしてみるわ」
私が微笑むと、「せやろー」とでも言いたげに明里も笑った。
ハイハイ、せやな、せやな。
[ 後編につづく ]