第4話 彩子のしごと

文字数 1,643文字

 少し横になったと思ったらアラームが鳴った。
 クスリが残って頭は重いが、他に特に変わった所はない。昨夜起こったことは全部夢だったのかも知れない、と思いたいがテーブルの上に埼玉県警の名刺がある。昨日貰ったやつだ。
 コーヒーを飲んで、朝のルーチンをこなして家を出た。昨日起こったことがどんどん現実のものとは思えなくなってきた。映画かドラマで観た事が、疲れとアルコールで、幻覚としてフラッシュバックしただけのような気がして来た。
 交差点を渡って、いつもの駅までの近道まで来ると、近所の人が何人も立っていた。その先を見通すと、警察車両が止まっていて、ニュースカメラなども来ている。雑居ビルの周りに警察官が立っていて通れなくなっていた。
 今朝、火事でもあったのか? 
 仕方なく迂回して駅に急いで向かった。

 クーラーの利きが弱い車内といつものように満員の京浜東北線。
 イライラしつつも、どうすることも出来ず。ぼんやりと外を見ていると、荒川を渡る時に誰かに見られているような気配を感じた。
 考え過ぎだ、そんな訳ない。見通しの効かない混雑する車内で、尾行するような事は出来ないと思う。
 睡眠不足もあって、彩子は降りる御徒町駅まで半分寝ているような気分だった。

 東中銀行広小路支店に着くと、午前中はバタバタと時間が経った。週の中日で水曜だが、20日で締めの会社もあり支払業務が多い。
 奥田彩子の仕事は銀行の窓口営業のテラーで、大学を卒業して入社7年目。窓口業務の主任として、二列目に座っている。支払い内容の確認や、課長の了承など、窓口の頃よりも仕事は複雑になってきている。
 昼休憩に入るまで、忙しくて昨夜の幻覚のことは忘れていた。
 支店の昼食は休憩室という名の会議室で交代でとる事になっている。現金を扱うテラーは営業中は外に原則出られない。皆な、たいていお弁当を食べることになっている。提携先お弁当は350~400円とコンビニより安い。
 お弁当を食べながら、いきなり渡辺亜香里が話しかけてきた。入社2年目で窓口では一番の若手だった。
「まじでもう見る気なくなりませんか、インスタ見てもその子も一緒にいてると思うともうないわ。本当ないとおもいません」
 前振りなく亜香里が憤慨しているのは、人気アイドル俳優Yが、女優Eと同棲しているネットニュースを見ての愚痴だった。
「アイドルなら、絶対そこは見せないようにするのがプロですよね」
 そういうもんか、だったらアイドルは私生活は見せられない。SNS時代で損な仕事だ。
「でも女優Eも、すごく演技上手くて、いいドラマ出てるよね」彩子が、そう適当に答えると、
「奥田さんサイテー。だから、良くないんですよ。よりによってですよ、あーぁ最悪、最悪。もう二度と見ない」と亜香里はマジ顔で怒っていた。
 一般論の会話かと思ったら、亜香里は本気でムカついているようだった。本人は悪気はないのだが、同意も反対も扱い方が難しい。彩子は、中途半端な笑みを浮かべて、休憩の雰囲気を壊さないように、なるべくその場にいるだけの存在に徹した。
 休憩中、隣のテーブルに一人座った入社4年目の渋井美南の表情が冴えないのが気になった。いつも自分で作ったお弁当を持参する少数派で、クラス上の雰囲気を出すようなところがある。キレイな顔なので、窓口での人気も高く、取引先から本気でお見合いの話なども来るという。女子行員裏情報によると、昨年あたりから、エリート公務員と付き合っているらしい。
 ただ彩子は、美南と最近は仕事以外の会話をした記憶がない。まぁ彩子自身、マンションを買って川口に引っ越してからは。飲み会は歓送迎会とか会社の行事でない限り行かないので、面倒見がいい先輩ではないが、美南が何か悩みを抱えている様子は気になる。ただ、おせっかいはロクな事にならないので、本人から相談でもない限り首を突っ込みたくはない。

 休憩時間終了十分になり、早めに戻ると、窓口で客が怒鳴る声が聞こえる。
 マズイ、何か起こってる。
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