第3話

文字数 4,339文字

 「もう飽きたわ勉強」
 岡部桃はそう言ってペンを机に置いた。
 食堂内はそれなりの賑やかさだが、ペンを置くカンッという音は僕にも聞こえた。
 「勉強いうてもノート写してるだけやん」
 健太郎が僕の思ってたことをそのまま言った。これは勉強ではなく、作業だ。
 「それでもだるいやん。じゃあ私のもやってや」
  岡部は書きかけのノートを、机を挟んで向かいに座る健太郎に差し出す。
「それは嫌やな」
 岡部は茶色に染まった長い前髪をかきあげてから、仰々しく「はあ」とため息をついた。
 「どんくらい写せたん?」
 土屋沙耶が岡部のノートを覗き込む。前のめりになると、黒髪の前下がりボブが揺れる。
 「まだ半分もいってへん。沙耶は?」
 スマホをいじりながら、岡部が聞いた。
 「半分くらいかなあ」
 そう言いつつ、土屋さんは目を細め、ガラス張りの壁の向こう側を見た。 
 刺すような日差しとはこのことだろう。ギラギラ輝く太陽からの光が地面に突き刺さっている。当然、外に出れば騒々しくも季節感のある蝉の鳴き声が聞こえるはずだ。が、食堂内は冷房が効きすぎて寒い。
 1限を終えた僕と健太郎は、席を取りがてら食堂でテスト勉強を行うことにした。テスト勉強と言っても、持ち込みの許可されたテストのために、持ち込み用のノートをこしらえるだけだが、肝心の写す元本となるノートがほとんどなかった。2人とも互いをあてにして、ほとんどノートを取っていなかったのだ。
 どうしたものかと右往左往していたところに、僕のお気に入りである土屋さんと、お気に入りでない岡部が通りかかった。
 「何してんの?」と岡部に聞かれ、事情を説明すると、岡部も今からそのノートを土屋さんに写させてもらうところであると言う。
 「良かったら写す?」と言う土屋さんのご厚意に甘え、男2人揃ってトコトコとついてきたわけだ。
 岡部とは語学も同じで、それなりの付き合いだったが、土屋さんとこうしてゆっくり話すのは初めてだった。彼女の綺麗な白い肌に、時々吸い込まれそうになる。
僕が半ば無意識的に土屋さんを見ていると、彼女もこちらを向き、目があった。僕は思わず視線をそらし、ごまかすようにもう1度外に目をやった。
 テスト勉強と言えば聞こえはいいが、実像は勉強ではない。ノートを写しながら、楽しくお喋りをする。というよりお喋りをしながら、ノートを写していた。効率の観点から見れば最悪だ。1人でやったほうがずっと捗るだろうが、ノートは僕のものでない。何より土屋さんの存在は大きい。硬い椅子に座って、騒々しい食堂の、狭い机で、非効率的な作業をする。最悪だ。でも土屋さんがいるから良いのだ。
 昼食の時間が近づき、食堂にも人が増えはじめた。8人がけの机を4人で占領していたが、そうもいかなくなるだろうと、僕はそっと荷物を寄せる。
 そこで岡部が
 「あ!」と声をあげた。
 見ると、岡部は食堂の入り口を指差し、嬉しそうな顔をしている。
 土屋さんも、健太郎もそちらに視線を向け、僕もつられてそちらに目をやる。
 少し焼けた肌に、大きな目、そして高い鼻。やけにハンサムな男だ。
 彼は女子2人をひきつれ、食堂に入るところだった。
 「知り合い?」と僕が聞いた。
 「宮田くんやん。知らんの?」
 「知らんわ」と健太郎が答えた。
 「経済学部の同回生。1番かっこいいって言われてるねん」
 「ふーん、確かにかっこいいね」
 僕は頷いた。
「宮田くん、めっちゃ人気やねんけど彼女おるらしいねん」
 岡部が嘆いた。
 「どんな人なん?」
 「それがさ!」
と土屋さんの問いかけに、待ってましたとばかりに岡部が話しはじめた
 「本人曰く彼女はおるって話らしいんやけど、誰もその正体は知らんねん」
 都市伝説でも話すみたいに、芝居がかった様子で岡部は話す。
 「そんな不思議なことか?誰にどんな恋人がいるかなんかみんなそんな興味ないやろ」
呆れたように健太郎が言う。
 「健太郎に彼女ができても誰も興味ないかもやけど、宮田くんはちゃうねん」と岡部は鋭く返し、続ける。
 「誰も知らへんねんで?入学当初から彼女いるって言ってたらしいねんけど、同じ高校の子も、サークルの子も誰も知らんらしい。私も宮田くんのツイッターは特定できたけど、彼女のは見つけられへんかったもん」
 「本人に聞いても教えてくれないの?」
 「うん。内緒なんやって」
 「ふーん、ちょっと気になるね」
 「どこがやねん。なんか鼻につくやつやな」
 健太郎は気にくわないようだった。当然僕も気にくわない。が、嫉妬するのはみっともないので精一杯虚勢をはった。
 「芸能人なんちゃうかって噂もあるねんなあ。ほんま誰なんやろ」
 岡部は1人で呟くようにそう言いながら、うっとりとするように宮田を眺めている。幸いにも土屋さんはそれほど興味がなさそうで、僕の溜飲は少し下がった。
 「てかさ、特定とかできるもんなん?」
 一瞬、土屋さんの質問の意味がわからなかったが、岡部の
 「ああ、ツイッター?」
 という岡部の返事で、アカウント特定の話だと気づいた。
 「できるできる。私めっちゃ得意やで。ネトストとかもめっちゃするし。高校のとき同級生の裏アカとかもよく探してたわ」
 岡部の言うウラ垢とは、SNSに疎い僕でも聞いたことがあった。本名で登録し友人に公開しているアカウント、ではない秘密のアカウントのことで、仲の良い友達にだけ公開されており誰かの悪口など本アカ(本名で登録し友人に公開しているアカウント)では言えないことを言うアカウントだ。
 「自慢するようなことか?怖いわ」
 健太郎がまずいものでも見るみたいに目を細めた。僕もちょっと怖いなと思った。
 「でも裏アカとかって本名で登録してへんやろ。どうやって特定するん?」
 土屋さんが聞いた。
 「うーん、まあ色々あるけどまずはその人の仲良い友達のフォロー欄みるな」
 「なんでなん?」
 土屋さんが聞き返す。
 「基本的にみんな下の名前とかで登録してアイコンも自分の写真やろ?でも明らかに本垢じゃないっぽいのってあるねん。サムネがアニメ画像やったり、名前がわけわからんのやったり、してるねんな。で色んな人のフォローからそういうウラ垢っぽいのを抽出していって1個1個呟きを確認していったら、それっぽいのが割とすぐ見つかるねん」
 「でもウラ垢なんだからリア友にフォローされてるとは限らないでしょ?」
 「甘いなあ。ウラ垢やで?ウラ垢っていうのは誰かの陰口を言ったり、愚痴を言うためのものやろ。悪口っていうのは、誰か共通に仲良い知り合いには見てもらって共感欲しいに決まってるやん。じゃないねんたらノートにでも書けばいいねん。自分の不満に共感してもらうためのもんやねんウラ垢ってのは。やしやっぱ絶対その子の仲良い友達はその子のウラ垢フォローしてるで」
 「なるほどなあ」
健太郎が頷いた。
 「それにしたってすごい根気だよね。フォロー欄たって大抵3桁はいるでしょ」
おそらく1時間では済まないだろう。岡部にそんな集中力があったとは驚きだ。
 「時間さえかければ誰でもいけるで。他にもその人が言ってそうなワードで検索してみたり、フェイスブックからツイッターのアカウントと連携してないかチェックしたり、電話番号で検索したりいろいろあるな。私はすべて駆使するけどな」
 岡部は得意げに人差し指を立てて見せた。
 「誰にでも特技の1つくらいあるもんやな」
 馬鹿にするように健太郎が言った。
 「でももっと凄い人は呟きとか写真とかから住所とか特定するで」
 「まじで?どうやって?」
 「ベランダの写真とかあれば、だいぶ絞れるな」と再び岡部が話しはじめる。
 「基本的には都道府県くらいみんな公開してるやろ。で例えばベランダに川が写ってたりしたらそれだけでだいぶ絞れるし、他にもスーパーとかコンビニとかで場所はかなり絞り込めるし、あとは普段の呟きからどんな立地なんかとかも鑑みるとかなり絞り込めるらしいで」
 「はあ?怖い怖い」
 健太郎がもうやめてくれと言わんばかりに両手の平を岡部の方に向かって広げている。
 「ネットは怖いで。一瞬で特定される。炎上したら住所とか学校とか全部特定されて晒されるからな。気をつけなあかんで」
 「なんかインスタとかに軽々しく写真あげるんも怖いなあ」 
 「まあSNSはそんくらい危機感持ってやった方がいいってことやな」
 岡部の一言で会話がひと段落したところで、食堂内がかなり混み出していることに気づいた。
 この大学の食堂は、おかずや、丼もの、麺類、それぞれ受け取れるカウンターが決まっていて、自分が欲しいものをおばちゃんに伝え、受け取ってトレーに乗せ、最後にまとめてレジでお会計をするミスタードーナツスタイルだ。
 とくに丼もののカウンターでは白米も受け取ることができるので、ほぼ全員がそこを経由することになる。結果、丼ものないしは白米のカウンターはかなり混む。ピークはもう少し後であるからますます混むだろう。今のうちに買うだけ買ってしまうのが良いと僕は思った。
 「そろそろ飯食おか」
 同じことを思ったのか健太郎がそう提案した。
 僕が「だね」と頷いたのを合図に僕ら2人は立ち上がった。一方で岡部と土屋さんは立つ気配がなかった。
 「昼ごはん食べないの?」
 「今日持ってきてるねん」
 「私も」
2人は鞄からコンビニの袋を取り出した。
 「ほないこか」と僕らは男2人でトレーを取り、寂しくカウンターに向かった。
 僕は豚焼肉。健太郎も豚焼肉。2人ともすぐにおかずを手に入れることができたが、肝心の米がまだだった。案の定カウンター前は丼ぶりの受け取りを待つ人で混み合い、僕らは前の方に行けず、なかなか米を受け取れずにいた。
 「丼ぶりと違ってよそうだけやねんし先パパッと渡してくれたらいいのに」
 「ほんとにね」
 文句を言ってると、まえにたっていた男がこちらを振り向いた。
 意外なほどハンサム。宮田だった。
 「あ、お米ですか?サイズは?」と聞かれ僕らは咄嗟に「Mで」「僕もMで」と答えた。
 すると宮田は混雑する集団の中に入り込み、すぐに戻ってきたと思うと、白米の盛られたお茶碗を1つずつ僕らのトレーに置いた。
 きょとんとしていると
「Mであってるますよね?」と聞かれ
 「はい」と蚊の鳴くような声で答えた。
 「良かったです!僕はカツ丼待ってるんで!」
 と爽やかにはにかむと宮田はもう一度前を向いた。
 僕と健太郎は何も言わず、無言でレジへ向かう。
 レジで会計を済ませたところで健太郎が
 「西村くん」と言い
 「あの人、もしかしたらいい人かもしれんな」と続けた。
 僕はゆっくりと頷いた。
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