第1話

文字数 1,923文字

「僕、乳首が性感帯なんですよね」
隣のブースから、健太郎の声が聞こえた。
待合室でしばらく待たされて、ようやくブースに案内されたと思ったら店内はあまりに狭い。ネットカフェの一番安いブースみたいなのが4つ。当然、パーテーションは天井まで続いておらず、1つのブースからは健太郎の後頭部がはみ出ていた。僕はその隣のブースに案内された。おかげでBGM交じりに、健太郎の声が丸聞こえだ。
ピンサロとはどこもこうなのか。それとも単に僕たちが一番安い店を選んだのがいけなかったのだろうか。
 僕を接客する女の子はまだこない。指名はしていない。当たりを引けるかどうかの運試しも、風俗の楽しみ方の1つだと健太郎は言った。
 僕と健太郎は、大阪のピンク商店街といういかにも猥雑な場所にあるピンサロに来ていた。僕たちにとっては、これがデビュー戦。つまり初めての風俗だった。
待合室では、僕たちよりもひと回り以上年の離れたおじさんたちが無言で、パチン、パチン、と爪を切っていた。女性を傷つけないためのマナーだそうだ。嬉しそうにするわけでもなく、めんどくさそうにするわけでもなく、歯を磨くみたいに日常に溶け込んだ動作の一環としてやっているように見えて、彼らの熟練具合に、僕らは少し尻込みした。
先に案内されたのは健太郎だった。そのせいで後から案内された僕は、知りたくもない健太郎の性癖を知ってしまったわけである。
 BGMとしてかけられている一昔前のヒットソング、鼻腔にツンと香る消毒液の匂い。外界とは切り離された空間で少し心細くなる。が、隣のブースから健太郎の喘ぎ声が聞こえ始め、そんな気持ちは消える。一方で、男性店員が店内を巡回する際に、鼻歌を歌っているのが気になり始めた。。
程なくして、ややパツパツのセーラー服を着た、女性が僕のブースにやってきた。
「こんにちは」と言われ、僕は反射的に頭を下げる。
 暗がりの中、かすかに灯る照明に照らされ、浮かびあがった彼女の顔は随分と老けて見えた。
目の前の現実を否定するように、目をこする。
が、変わらない。
どう贔屓目に見ても、三十路を超えているようにしか見えなかった。僕はしっかりハズレを引いたのだ。
彼女は「宝塚ベリーです」と名乗り、膝をついて、胸についた名札を僕に見せてくれた。名前の由来が気になったが、確かにメイクは宝塚並みに濃く、納得した。
彼女は僕の横に座り、滔々と世間話を始めたので、僕も調子を合わせた。
「いくつに見える?」
と、流れの中で年齢の話になり、彼女はそう聞いた。
「24くらいですかね」と僕は気を使うと、
「え!ウソ!私32。若く見えるのね」と彼女は喜んだ。
悲しくも、僕の見立てに間違いはなかった。
 隣のブースからは健太郎の喘ぎ声が聞こえ始める。が、聞こえないふりをする。
程なくして、僕らの間にも会話が途切れ始め、話題に困ったところで、唐突に彼女は「じゃあ、脱ごっか」と言い、セーラー服を脱いだ。
何が「じゃあ」なのか。少しもわからなかったけれど、僕は彼女に言われるがまま脱いだ。僕はお互いが服を脱いでいく過程が好きだった。でも彼女はいきなり全裸になり、僕も全裸になった。そして彼女は「うふ」と笑ってから僕の陰部をしごき出した。
 が、不思議なもので、普段は生命力みなぎる僕の陰部も勃たない時は勃たない。
瞬きするときに見える彼女のアイプチテープ。
不自然な彼女の喘ぎ声。
男性店員の鼻歌。
健太郎の喘ぎ声。
健太郎の後頭部。
多すぎる、しかも不快な、外部情報が僕の勃起を阻害した。

店を出ると、健太郎が僕を待っていた。
「どうやった?」
彼の関西弁もすっかり耳慣れたものである。
「健太郎のせいでいけなかった」
「ウソやん。僕のせい?」
「健太郎の喘ぎ声が横から聞こえてきて萎えた」
「西村くん」
「なんだよ」
「それは、僕のせいやな」
僕はゆっくりと頷いた。
高架線下でタクシーを拾って、僕の家へと向かった。
車内では、初めての風俗店の感想で大いに盛り上がったが、運転手だけはバツの悪そうな顔をしていた。どうやら健太郎も年配の女性に当たったようだが、しっかり気持ち良くしてもらったらしい。
 「女なら誰でもいいんじゃないの?」と言うと
 「多分そうかもな」と嬉しそうに答えた。
タクシーの窓から外を見る。
まだまだこれから飲もうという人が往来にはあふれている。目線をあげるが、ビルがゴチャゴチャしていて、空はほとんど見えない。
ラブホテルの安っぽいネオンサインが目にチラついた。
タクシーは夜の街をぐんぐんと進んでいく。
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