第一夜 一郎太、柳の御前の語りを聞く

文字数 3,395文字

 良い晩になりましたね。さて、そろそろお話を始めましょうか。どうぞこちらへ。
 ええと、そうそう、私たちのなれそめのお話でしたね。
 おや。気のすすまないご様子。盛大に惚気(のろけ)られるのが容易に想像できる? なるほど、今日はもう満腹、と。
 困った方だ。では……そうですね、まず、あなたが一番、知りたそうなところから。
 『枝垂(しだ)れ柳の精』である私自身のことについて、まあ、当たり障りのない程度に。ああそうだ、あなたが気にされていた、遠野のあの人の話にも、もしかしたら触れられるかもしれません。

 私と仲間たちは、随分と昔に、数本の苗木として、西の大陸から渡ってきました。ヒトの船に載せられてね。そう、上代から奈良時代あたりにはもう、日本に定着していたのではないでしょうか。「漢詩によくみる柳とはなんぞや。水辺に佇むその優美な姿を、自らの暮らすこの土地でも愛でてみたい」……そんな風に思った詩人、詠人(よみびと)たちが、きっとたくさんいたのでしょうね。
 長く大切にされた我らには(みたま)が宿り、自然の精として、こうして現身(うつしみ)を持てるまでになりました。
 でもね。シダレヤナギは雌雄異株(しゆういかぶ)なのにもかかわらず、その当時連れてこられた仲間は、なぜか全て、雄株(おかぶ)だったのですよ。丈夫で()し木に強い性質が、幸いしたのか仇だったのか。この国では、雄株ばかりで増えてしまう羽目になりました。
 今でこそ、雌株(めかぶ)もちらほら見られるようになったのですけれどね。つい最近までは、街や公園で見かけるシダレヤナギのほとんどが雄株、しかも、挿し木で増えたり伝播していった、我々の……いわばクローン、とでもいうもの、だったのではないかと思います。
 挿し木で増えたクローン柳たちですか? そうですねえ、いまどのくらい広まっているのか、そして生き残っているのか……私にもよく分かりません。あなた方の言う『遺伝子』が同じというだけで、兄弟という訳でも、子孫という訳でもありませんし。……ふふっ、怪訝(けげん)そうな顔をされましたね。そのへんは、ヒトとは大分、認識が違うのかもしれません。
 えっ? ああ、そうです。(ほこら)の周りにある柳の木、あれも全て、私の本体から挿し木で増やしたもの。代替(だいが)えの際、使わなかったものたちです。
 代替えとは、ですか? 
 この国でのシダレヤナギの寿命は、長くて四、五十年ですのでね。本体の木に寿命が来るたびに、私は宿(やど)りを移さねばならないのです。どんなに体が多かろうと、霊はひとつですので。『私』は、ここに居る一人だけ。宿る体、本体とする柳の木も、代替えするまでは、宿ったその一本だけとなります。これは、他の仲間も同じです。
 そう……そうやって幾度(いくたび)も繰り返すことに()いて、みな行ってしまったんだろう、と思います。共にこの国に渡ってきた仲間の霊は、もう、現世にはほとんど残っていないのです。みな、彼岸(ひがん)へ旅立ってしまいました。霊無き()(がら)だけが、今もなお、増え続けているのですよ。
 ……おお、奥。そんなに抱き締めずとも大丈夫だよ。おまえがそばにいてくれる間は、なんとしても、この地に留まろうと思っているからね。そんなに愛おしい目をして。ほら、ここにこうして……
 ん、ああ、失礼しました。この人があまりに可愛らしくて、つい。
 私たち夫婦は、少なくとも七百年は、ともに在るのですよ。
 代替えをする度に、弱く小さい苗木に戻ってしまう私の本体を、彼女は幾度でも根気強く、守り育ててくれる。私自身の霊のかたちは変わらなくとも、宿る本体が幼少のうちは、こうして姿を現すことすら、満足にできないのに。柳というのは成長が早いものですので、そう何年も待たせることはありませんが……私は代替えのその度に、心苦しく感じるのです。
 ふふ。奥や、おまえはいつも、そう言ってくれるね。でも、私はこうしていつ何時(なんどき)でも、おまえを抱いておりたいのだよ。
 えっ? ああ。このまま、なれそめの話に移ろうと思ったのですが……。
 そうですね、あの人のこと、ですよね。あなたが聞きたいのは。では、まず私は、『彼』の話をせねばなりません。
 東奥(とうおう)にあった、一本の柳の木のお話を。

 私と共に日本に渡ってきたその彼は、東奥、そう、今で言う岩手県のあたりですね、その人里近くの川べりで、ヒトが増やした挿し木や、自然に落ちて根付いた枝などに宿りながら、長く平穏に暮らしていました。
 でも、ある時突然に、通りかかったヒト……人間の女性を見染め、(たぶら)かし……本体の柳の木に宿ったままの姿で、枝で(から)めとり、幹に引き入れ、(むつ)み合ったのです。
 女性は翌日、探しに来た家人たちに発見され、なんとか助け出されました。しばらくぼんやりとしてはいましたが、命には別条なく、美しい男に誘われ、着いて行ったのちは、ただ夢見心地でいたのだ、と語ったそうです。
 けれども、彼の本体は、直接触れ合ったヒトの生気に()てられた上、ほとんどの枝を落とされて、そのまま枯れてしまいました。そして、彼の霊は、彼岸へと……。

 ええ。そういった事情は、あとから知ったことです。その時分の私には、ただ、彼が旅立った、ということしか分かりませんでした。 
 もちろん、詳しいことを、どうしても知りたくなりましたよ。なにゆえに、彼は、と。
 私は、奥に無理を言って、策を講じました。この人はこう見えて、たいへん力ある、古き妖なのです。妖怪や土地神に知己(ちき)も多い。私たちはじきに、この山の長老に、ヒトの夢を操る力がある、ということを突き止めました。この地に住まって数百年経っていましたが、まあ、近い知人のことほど、よく知らないものなのですね。
 いろいろと相談を重ねた結果、私は長老の術を借り、知見がありそうな人間の夢枕に立つことにしました。夢の中であれば、遥かな距離も超えられますからね。
 そして、書物や記録を様々に照らし合わせ、あの人を選び出したのです。その当時、東奥近在に住む人間の中でも群を抜いて、我々のようなものの話に見識があると言われていた、あの人。遠野にいた、あの人を。
 昭和の初期ごろ、だったかな。その頃はまだ、民俗学というはっきりとした名称も分類も、きっとなかったでしょう。それでもあの人は、思想や美文の(ふるい)をかけずに、そこに伝わる物事、語られた物語を、その土地の言葉で、その土地に住むものの目で、見聞きし、蒐集(しゅうしゅう)し、詳細に記録してくれていた。
 それはもう、膨大な量の、「地の記憶」でした。中にはもちろん、『彼』のことも。
 あの人はね、夢の中でさえ明朗に、私にそれを語ってくれたのですよ。
 ええ。話を聞いたところで、彼の心中に何が起こっていたのかまでは、もちろんわかりません。ヒトにとっても随分と(むご)いことだったのだな、とは思いましたが、事の善悪を判断する気も、実はなかったのです。彼らには彼らの事情があったのでしょうし、そういったことは、余人に理解できるものでもありませんから。
 とにかく私は「何があったのか」を知りたいと思い、あの人は私のその望みに、十二分に応えてくれた。
 今でも感謝しています。巷間でのあの人は、功績もあまり知られぬままのようですけれどね。ヒトの目というのは、曇っていることも多いのだな。
 ふふっ、そうそう、そうだ、あの人はなかなか、いい男でもありましたよ。とてもモダンで、紳士でね。今風に言えば、スマートなイケメン、という感じでしょうか。やっぱりあなたと、ちょっと似ていると思います。
 ……ああ。私があなたにこんな話をするのは……私たちの物語を、あなたの記憶のなかに留めておいてほしいから、なのかもしれませんね。彼の記録を遺してくれたあの人と同じように、あなたにも、と。
 私にだって、いつ何時、何が起こるかわからないのです。どんなに気を付けていても、どんなに今が幸せでも。もしかしたら私もいつか、彼のように……。

 おや、奥は眠ってしまったようです。
 夜も更けてきましたし、私もそろそろ、休みたいと思います。これにて、お開きということにいたしましょう。

 あなたも、どうかゆっくりお休みください。
 佳き夢を。



※文中に出てくる「あの人」は、「日本のグリム」と称された遠野の民俗学者、佐々木喜善氏をモデルとしております。
※東奥の柳の精のお話には、参考にした民話があります。
 参考文献:『遠野の昔話』(宝文館出版 佐々木喜善)・「柳の精に見込まれた女の話」
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登場人物紹介

松島一郎太(まつしま いちろうた)


(自称・市井の民俗学者の)祓い屋の青年。

今回の物語では聞き手として登場。台詞はありません。

柳雪(りゅうせつ)


とある関東の山中に住まう、枝垂れ柳の精。奥様は年経た猫又である「猫柳の君」。

猫柳の君からは「御前(ごぜん)」と呼ばれている。

猫柳の君(ねこやなぎのきみ)


とある関東の山中に住まう、猫又。夫君は枝垂れ柳の精である「柳雪」さん。

柳雪さんからは「奥(おく)」と呼ばれている。

山の長老(やまのちょうろう)


ご夫婦が住む山のぬしとされている、小さな神さま。ご夫婦が長老と呼ぶくらい、ご長寿であるらしい。

ヒトの夢を操れると言われている。ゾンビものの映画が好きで、ゾンビキノコの名付け親でもある。

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