古典病のこと/どこにも売っていない書物が欲しかった

文字数 1,581文字

 今は新しい本もよく買うのだけど、かつて私は古書が大好物で、古典病に侵されていました。社会人になるまで。

 古典病…私の造語。
 ついつい、名著/古典ばかり読みがち、新しいものを受け入れがたい病。
 あらゆるアートにおいて起こりうる。

 正直、社会人になるまでは、存命の作家に興味があまりなかったのです。
 新刊書にもあまり興味がなかった。

 むかしは、本をたくさん買うお金がなかったのも相まって、図書館で古典をたくさん読み、古書店街で安価な古書をたらふく買いました。
 神田神保町に入り浸り、5-60年前くらいの古書を収集していたのです。

 縁あって大きめの図書館で働くようになり、私は数年間、広い広い書庫に出入りするようになりました。さながら書物の海です。
 まいにちの、出納、閲覧、貸出、配架の作業を経て…
 私は職員として、帰りに古い映画雑誌、映画藝術や古地図、貴重書を借り放題でした。(禁帯出以外は)

 幸せだった…1960-70年代のカルチャーが大好きな私にとって、書庫はパラダイスでした。

 あるとき、高校の友人(読書家で弁護士さん)と久々に再会しました。
「いま図書館で働いてるんだ、よかったら本借りにきてね。」
 と話したら、彼は言ったのです…
「うーん、本は買っちゃうから、借りることはあまりないかなあ」
 衝撃。
 彼はのほほんと、さらっと言ったのだけど。
 私は、今でも、この言葉が忘れられない。衝撃だったのです。

 本は買うもの、らしいのだ…
 彼は借りないらしいのだ!
 そうか、本を借りないのか…。


 物心つくころから、私は本を借り続けてきました。

 私の育った、地方のまちには本屋はあったけれど、寂れていて読みたい本は売っていなかった。
 学校図書館、公共図書館、大学図書館…私の人生は図書館とともにありました。

 各図書館にはコレクションがあって、
 ○○文庫とか、地域に根差した文化、作家のコレクションがあります。
 わたしはあらゆる図書館へ行き、その町の文化の土壌を調べました。考現学的ですらある。
 かつて学者先生が所蔵していた本を、その家族が図書館に寄贈することはたくさんあり、実際にわたしも、受け入れ作業をしたことがあります。
 これは非常に素晴らしい。
 わたしはもう二度と手に入らないであろう、貴重な所蔵本の、学者先生が数十年前にひいたラインを、なぞって読んでいた。
 ああここで、今は亡き学者先生は感銘を受けたのか…
 数十年前、ここが重要だと感じたわけか、と…

 若かりし私は考えました。
 図書館には、先人の遺した偉大な知恵、豊かな世界がある。
 絶版、発禁になった本も残っている。

 その町の文化、藝術レベルを測るには、いかに図書館や美術館などの文化施設が活気があるか、なのです。 (書店数もしかり)
 それがわかれば、行政のやる気もわかってしまう。そもそも財源がなければ、文化施設が作れないが…

 そんな中で、私は本好きにはさまざまな人がいると考えました。
 (大雑把に分類してみた。)

 新刊書を愛し、書店で購入し、経済を回す人。(あるいはインターネット上、電子書籍で読む人。)

 古書を愛し、図書館や古書店で入手し、愛でる人。

 共通項は、知識を、なんらかのかたちに還元すること。

 その他、さまざまなかたがたくさんいる。

 その中で、私は古き良き書物を愛していた。
 絶版で見向きもされないような書物を愛していた。
 書店で売っていない書物を愛していた。

 さいきんでは、新刊書もかなり買います。本を買うお金も昔よりは多少、あるし。
 経済も回す。

 だけど、古書の魅力は計り知れません。
 重厚かつ斬新な装幀、手触り、薫り、レタリング、カバー…
 時代の空気。
 一冊あるだけで、世界が変わる。
 古書には魔法がある。

 古書、素晴らしい。
 書店、素晴らしい。
 古書店、素晴らしい。
 図書館、素晴らしい。
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