第13話 邂逅①

文字数 2,360文字

 その日は日曜日だったが珍しく休みを貰えていた天野楓(あまのかえで)は、地元から少し離れたショッピングモールへと朝から出向いていた。この日、楓が読んだことのある作家のサイン会がショッピングモールの中にある書店で行われる予定になっていたのだ。
 開店から少ししか時間が経っていないと言うのに、平面駐車場は車でいっぱいだった。楓は立体駐車場の2階へと車を回して空いている場所に停める。

(サイン会以外にも何かイベントがやっているのか?)

 気になった楓は車の中で携帯電話を取り出して、ショッピングモールのイベント情報を検索した。すると、サイン会以外に大道芸のイベントがお昼から行われることが書かれていた。
 車の量に納得した楓は店内には入らずに、薄暗い車の中で読書をして時間を(つぶ)していく。1時間程車の中で、今日サインをして貰うために持ってきていた本を読み返す。そして頃合いを見計らって店内へと足を入れた。

 ショッピングモールの中は人で溢れ返っていた。今頃1階では大道芸のイベントが行われているのだろう。
 そんなことを考えながら、楓は3階の書店へと向かう。書店の中も楓と目的を同じくした人たちで溢れ返っていた。スタッフの案内に従って人々が列を作っていく。楓もそれにならって列へと並んでいく。
 30分ほど並んだところで楓の順番となり、手に持っていた本に無事にサインをして貰うことができた。そして短く作家と言葉を交わすこともできた。

(今日は良い1日になったな……)

 そう思いながら書店を出た時だった。人混みの向こう側に見知った顔があるような気がした楓はじっと目を凝らす。その人物は沓名綾乃(くつなあやの)に似ている。
 この人混みの中、もしかしたら見間違いかもしれないと思いつつも、楓はその人物から目が離せない。

(沓名さんかもしれない……)

 そう思うと足は自然とその人物の元へと向かうのだった。しかしその日は大道芸のイベントもあり人波が思うように楓を前へと進ませてはくれない。
 もう少しで声がかけられそうな位置に来たとき、綾乃と思われる人物が人波に押されて転びそうになってしまう。楓は駆け寄ろうとしたが、やはりこの人波では思うように身動きが取れない。

(危ない……!)

 そう思った時だった。綾乃の腕を見知らぬ男性が引いていた。綾乃らしき人物はその男性を前に顔を赤らめているように見える。楓は愕然とした。

(彼氏、いたのか……)

 偶然綾乃に出会えた喜びは一気に萎んでしまう。代わりに空虚感が楓を襲ってきた。今までのことを思い返すと、舞い上がっていた自分が馬鹿みたいに思えた。

(そうだよな、彼氏、いるよな……)

 あんなにも魅力的な女性なのだ。居ない方がおかしい。
 楓はそんなことを考えながら、綾乃に声をかけることをやめて2階へと向かって降りていく。そのまま立体駐車場へと向かい、自分の車へと乗り込んだ。サインをして貰った本を助手席に投げ捨てるようにして置く。

 物に当たるなんて、自分はどこまでも子供っぽいな。

 そう自嘲しながら、車を発車させて帰路に就くのだった。
 家に帰り着いた楓は、綾乃から最後に勧められた本をパラパラとめくっていた。しかしその内容はほとんど頭に入ってこない。
 繰り返されるのは、綾乃が見知らぬ男性に手を引かれて顔を赤らめていた姿だった。

 そうしてぼーっと過ごしているうちに気付けば部屋の中は暗くなっていた。楓は何かに取り憑かれたようにのそのそと携帯電話を手に取る。
 そして自分から誘った紅葉への外出を断る文面を打つ。
 その後何も考えずに、楓はそのまま断りのメールを送信する。
 メールを送信して放心状態の楓の携帯電話が着信を知らせていたが、楓はもうその電話を取る余力も残っていなかった。
 断りのメールを送ってからは、これで良かったのだと、自分に言い聞かせる。

(彼氏持ちの子と2人で出かけるなんて、出来ないよな……)

 だから、自分の判断は間違っていないのだと、そう言い聞かせるのだった。



 それから数日は、自然と綾乃の書店への足も遠のいていった。毎日綾乃からの着信があったが、楓はそれに応えることが出来ずにいたのだった。
 空虚感の中、毎日の業務に追われていく。

 それでも思い出される様々な綾乃の表情が、楓を悩ませていた。少しはにかんで微笑む顔は、桜のように儚く、美しい。それでいて、自分を曲げない芯の強さも持ち合わせている、そんな風に楓には映っていた。

 そんな日々の中、楓には1つ疑問に思うことがあった。それは綾乃が何度も電話をかけてくる理由だった。電話に出たら、その疑問は解決されるのだろう。しかしどうしてもあの時の綾乃の表情が忘れられずにいる楓には、電話に出る勇気がなかった。
 それと同時に、液晶画面の『沓名綾乃』の文字を見るたびに募っていくのは綾乃への想いだった。自分でも止められない想いが加速していく。

 会いたい、声を聞きたい、その肌に触れたい。

 しかしその想いを邪魔するのは、綾乃に嫌われたくない。そんな想いだった。
 自分の欲求と理性の狭間で悶々としていた楓の元に、メールの着信を知らせる携帯電話の音が響いた。何の気なしにそのメールを見た楓の心臓がバクバクと高鳴る。
 その差出人は綾乃だった。

 とうとう電話ではなく、メールで何かを伝えようとしていることが分かる。別れの言葉でも書いてあるのだろうか。

 マイナス思考になる楓は恐る恐るそのメールを開いた。すると、綾乃らしいシンプルな文面で、会って話がしたい、と書いてある。
 ほっとすると同時に、彼氏持ちの子と会っても良いのだろうかと悩んでしまう。
 結局、楓はそのメールへとすぐに返信をすることが出来なかった。
 綾乃に会いたい、声を聞きたい。
 楓のその想いを押しとどめていた理性は綾乃からのメールで瓦解(がかい)していく。
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