4.七月九日(木)②

文字数 4,816文字

 家族に何と言い訳しようか散々迷った末、言い訳なんてせずに直前にちょっと出かけてくるとだけ言って家を出ることした。

 帰宅してから自分の部屋で制服から部屋着に着替え、直前に制服を着直して家を出る。後で多少怒られるかも知れないが、その時は部活を引退してから落ち着かない、急に少し散歩して身体を動かしたくなったと言う事にしよう。

 天気は朝よりは大分落ち着いていて、傘を差していればそう酷く濡れない程度に雨は弱まっていた。傘を雨粒でパラパラと鳴らしながら歩く。

 夜九時半に学校集合とは言ったもののどこに集合するかまでは決めていなかったことを思い出した。放課後話した時に確認しておくべきだったと今更ながらに後悔する。

 約束の時間より五分早く学校に着いた。幸いなことに体育館にも職員室にも明かりは無く、先生まで含めてちゃんと全員帰ったらしい。

 とりあえず生徒用の玄関に行ってみるが、当然鍵がかかっていて誰もいない。もし十二天が合流するつもりで待っているとするなら雨に濡れない場所を選ぶ筈だろう。調べるつもりなのは学級棟三階のトイレなわけだし、そうなると一階の一年教室のベランダか、あるいは学級棟外に備えられた非常階段か。

 ひょっとしたら一年教室の窓から十二天が俺が来ないか見ている可能性もあると思い、一年教室をベランダから覗き込む。

 一通り確認してみたが中で十二天が待っているなんてことは無かった。非常階段に向かおうかと思ったが、念の為スマホのライトをつけてもう一度確認する。

 一組、二組、三組と特に変な所は無かったが、最後の未使用の教室の窓から少し離れたところに何か落ちているのを発見した。

 落ちていたのは来客用のスリッパだった。落ちていると言っても無造作に転がっているわけでは無く、きちんと一組だけ向きを揃えて置いてあると言う感じだ。

 もしこれが十二天が置いたのだとすれば、この教室から入って来いと言う事だろうか。見た感じ鍵が開いている窓は無いが、一つ一つ手で触って確認すると一つだけガラリとスライドする窓があった。鍵は一見掛かっている様に見えるが、窓をずらしてかからない様にしてあった。

 傘を畳んで立てかけてから窓から教室へ侵入し、用意されたスリッパに履き替える。職員玄関に来客用として常備されている校名入りのスリッパだ。十二天が残って準備してくれたのだろう。

 十二天もここから入ったのだろうが、靴の類は見当たらない。持って行ったのだろうか。

 暗く誰も居ない校舎に雨の音と自分の足音だけが響いている。夜の学校に忍び込む背徳感とそこで十二天と二人きりで過ごす事になるであろう事が俺の心臓を弾ませている。

 「悪い、待たせた」

 「いいよ、ちゃんと来てくれてありがとう」

 階段を昇りきったところで十二天が待っていた。こちらの姿が見える前に既に待っていたのは足音が響いていたからなのだろう。

 「じゃあ始めようか」

 そう言って十二天は女子トイレの扉を開けた。他の誰に見られることも無いとは言え女子トイレに入るのは勇気がいる。まして女子と二人きり等そうそう経験する事ではあるまい。

 どうしたの?と不思議そうに言う彼女に遅れて分かったとだけ返事をして、女子トイレへ足を踏み入れた。

 「暗くて手元が見えないから、スマホで鍵穴を照らしてくれるかな」

 十二天はスカートのポケットから針金の様な物を取り出して言った。針金で錠を開けると言うのは物語では定番とさえ言って良いが実際に見るのは勿論初めてだ。

 「その手に持ってるのは専用の道具か何かなのか」

 「まさか、そんなの持ってないよ。ヘアピンを曲げてそれらしく作っただけ」

 スマホで照らしてやると十二天は慣れた手つきで両方の手に持ったヘアピンを鍵穴に差してカチャカチャと弄り始めた。

 「どのくらいかかるもんなんだ?」

 「簡単な引き戸錠だから十分もかからないと思う。私は素人だから手が遅いけど早い人ならもっと早いんじゃないかな」

 此方の問いに流暢に返しつつ、手は一瞬たりとも止まらない。素人等と謙遜しているがとてもそうは思えなかった。一体どこでこんな技術を身につけたのだろう。

 ただでさえ白い十二天の肌が暗闇の中照らされることにより更に白く輝いて見える。細い指で軽やかにヘアピンを操作する事五分と少しで錠が開いた。

 「はい、開いたよ」

 そう言って十二天は戸を引いた。照らしてみるとコンクリート打ちっぱなしの小さな空間が広がっている。湿気が籠っているせいか、カビの臭いがツンと鼻を刺した。

 扉を開けて右手側にコンクリートで出来た階段がある。どうやらここが屋上への入り口で間違いなさそうだ。

 「本当に屋上へ行けるんだな」

 「写真で見た屋上の位置はこの辺りだったからね。屋根裏に通路を設ける様な複雑な造りでもない限り入り口は真下になるよね」

 そう言って十二天はポケットから薄手の背抜き手袋を取り出した。甲の所に書いてあるのは商品名か何かだろうか。農家のおじさんが作業する時につける様な手袋は十二天に余りにも不似合いだった。

 「天神岡くんは手袋持ってる?」

 「いや、持ってないけど」

 「じゃあ不用意に壁に触ったりしないでね」

 指紋対策だろうか。まぁここに侵入したのが露見すれば問題にはなるだろうがそこまでする必要はあるだろうかと思いつつ、わかったと返した。

 階段を昇ると屋上に繋がっているであろう扉があった。ただし、今度はドアノブに鍵が付いているタイプで、当然鍵は掛かっているようだった。

 「また手元を照らしてくれる?」

 そう言って十二天は解錠に取り掛かる。形状は違うが恐らく仕組みはそう変わらないのだろう。先程と同じく五分程度で簡単に開けてのけた。

 十二天がドアノブを回して扉を押すと予想通り屋上へ出ることが出来た。ただ、屋上と言っても上からの写真で見ていた通り大して広さは無い。十畳くらいの四方が壁に囲まれているだけの空間だった。この壁を昇ったら屋根の上の筈だ。

 「さて、こうして目論見通り屋上へ上がることが出来たわけだけど、十二天は何がしたいんだ」

 排水溝があるようで水が溜まっていると言うわけでは無いが、今も弱い雨は降り続いていて屋上は濡れているし、よく物語で見る様な屋上と違い遠くを見通せるわけでも無い。

 「まぁ今日は下見だよ。雨も降ってるしね」

 「雨が降ってたら出来ないことなのか?」

 「床にねちょっと描きたいものがあるんだけど、この雨じゃ描こうにもすぐ消えちゃうでしょ。だから床が乾いてる時にまた来るよ」

 UFOを呼ぶための怪しげな図形でも描くつもりなのだろうか。

 「じゃあ、また来るつもりなのか」

 「そうだね。天神岡くんも来る?」

 UFOを探すと言ってどこまでの事をするつもりなのだろうか。ピッキングの技術と言い十二天が普通では無い事は明らかで、この先も彼女に付き合い続けていけばいつかもっと手を染めてはいけないことに付き合うことになるかも知れない。

 付き合い続ければ彼女とこうして接点を持ち続けられるのだろう。彼女と何かを探したり行動したりすること自体もある種の非日常を感じさせる、まるで物語の主人公にでもなったかの様な気分である。彼女と行動を共にすることに男心も少年心もそそられるし、乗りかかった舟でもある。

 「行くよ。次はいつにする?」

 「じゃあ明日また同じ時間に集合しようか」

 「わかった」

 そう決めて二人で屋上を後にした。女子トイレまで戻り、十二天は再度ヘアピンを元に作った金具を取り出した。ドアノブの方は解錠したままにして、ここだけ鍵をかけるつもりだろうか。

 「鍵をかけるのはこっちだけで良いのか」

 「こっちは何かの拍子で誰かが開けちゃうかも知れないからね」

 手元を照らしてやると十二天は早速作業に取り掛かった。錠を落とすのは開けるよりも難しいらしく、十分程かけて彼女は作業を終えた。

 「お待たせ、これで鍵がかかったよ。帰ろっか」

 そう言って十二天は廊下に置いてあった鞄を手に取った。彼女が普段使っているスクールバッグだ。鞄を家に置かずにわざわざまた持ってきたのだろうか。良く姿を見てみれば靴も上履きのままだ。

 「お前ひょっとして家に帰ってないのか?」

 「そうだよ?」

 授業が終わったのは四時前だ。そこから一度も家に帰らず俺が来るまで待っていたのだろうか。

 「飯は?家族は心配しないのか」

 「ご飯は食べてないよ。あの家には家族は居ないし帰りは遅くなるって書置きもしてきたし問題ないでしょ」

 ご飯を食べていないと言うのにも驚いたが、家族が居ないと言うのにも驚いた。書置きしたと言う事は一人暮らしでは無いのだろうが。あの立派な家は遠い親類か何かの家なのだろうか。

 踏み込みたくなるのをぐっと堪え、そっかと簡単に返事をした。彼女から時折感じる危うさの一端を垣間見た気がした。

 階段を下りて、一度生徒用玄関に向かい十二天の上履きとローファーを取り換えた。生徒用玄関にも来客用のスリッパがいくらか置いてあったのを見つけ、十二天もスリッパに履き替えて使われていない一年教室へ向かう。

 掃除用のロッカーに来客用スリッパを押し込んで、入ってきたのと同じ窓から校舎外へ出た。十二天も同じように窓を超えてくる。多少高い位置にある窓に軽々と足を引っかけて昇って、特に止まることなくあっさりと出る様子を見ると彼女は運動神経はそれなりにある方なのだろう。

 「あー、傘忘れちゃった」

 立てかけておいた傘を回収したところで十二天が失敗したと言う口調で言った。登校するときは差して来ただろうから、生徒玄関にだろうか。

 「取りに戻るか?」

 「いや、もう大分小雨だし良いよ、帰ろう」

 「そうは言っても濡れるぞ。鞄には本とかも入ってるんだろう?」

 「まぁそれは嫌だけど」

 荷物が濡れるのは嫌だが、また取りに戻るのも面倒くさいと顔に書いてあった。時刻は十時半前、ここから傘を取りに戻れば更に五分十分時間をロスすることになるだろう。

 「じゃあ俺の傘に入れよ、送っていくからさ」

 「いいの?」

 申し訳なさそうに言う十二天の顔を見るのが何だか照れ臭く、良いからさっさと行こうぜと傘を差し、出来るだけ自然になるように心掛けながら鞄を取り上げた。

 「ありがとう、君は優しいね」

 顔は見れないが恐らく彼女は微笑んでいるのだろう。別に優しくなんかない。別々に傘を差して歩くよりこうして相合傘で歩きたいと思ったし、そうなれば家まで自然に送り届けることが出来る。ただの下心なのだ。

 街灯の灯りが弱い雨粒を照らし、光の輪郭を鮮明にしている。普段は意識しないし雨の夜に出かけることもそうは無い為、こんな景色なのかと新鮮に感じる。

 小さな二級河川を渡す橋にハロゲン灯のオレンジが並んでいる。雨に濡れる赤い橋が優しく照らされて率直に綺麗だなと思った。

 十二天も同じ感想だったらしい。此方を向いて綺麗だねと微笑んでくる。こういうところは普通の女の子なのだなと思いながら、そうだなと返した。

 夜に可愛い女の子と二人きりで、それも相合傘で歩くと言うのは女子と付き合った事の無い俺を緊張させるのには十分だった。うっかりすると彼女の踏み込んではいけない部分にまで踏み込んでしまいそうで、気の利いた事の一つも言えないまま時折十二天の話に当たり障りのない返事を返しながら歩き続けた。

 十二天の家に着くと彼女は此方を向き直し改めて言った。

 「今日もありがとう、気をつけて帰ってね」

 そう言って微笑む彼女にどういたしましてと返し、鞄を返す。

 明かりのついていない勝手口に消えていく彼女を見届けて家へ帰る。

 家族が居ないというのは、家族と呼べない人と暮らすのは一体どういう気分なんだろうと考えながら歩いた。

 高鳴った心臓は急激に鳴りを潜め、言いようのない寂しさだけが胸に残った。


続く
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