第4話 白猫さんは凸凹姉妹
文字数 2,794文字
突然、色白の姉妹が現れた。いや、双子かもしれない。瓜ふたつだった。
髪型もふたり同じおかっぱだったが瞳の色が異なっていた。
ちょっとぽっちゃりさんのほうは両眼が金色だったが、だいぶぽっちゃりさんのほうは右眼が金色で左眼がブルーを帯びていた。オッドアイの白猫をイメージさせる風貌だ。
何の前触れもなくぽっちゃりんさんがピンクの鼻先を私の顔面に近づけてきた。
クンクン クンクン
私は反射的に退(の)いた。
学校にもパーソナルスペースがやたら近い人はいたが、これほど初対面で距離を詰めてくる相手は初めてだった。
不意にドーラ氏が耳元で「初対面のあいさつだから」と囁いてきた。
オーナーもなかなかの変わり者だが、ここへ来る客はさらに斜め上を行く者ばかりだった。
ここで改めて私の顔を嗅いできた、だいぶぽっちゃりさんをオッドアイお姉さん(実際はどちらが姉かは不明だが)、もうひとりの少しだけぽっちゃりさんを無表情な色白さんと呼ぶことにする。
「こちらは今日から猫の本棚ガールとしてお手伝いしてくれることになった猫又さんです」
意外にも無表情な色白さんが肉厚な右手を差し伸べてきた。
私は戸惑いながらもドーラ氏が見守る横で差し出された手を、おそるおそる握った。
瞬間、鼓動がトクントクンと高鳴った。
冴え冴えと白いその手はスベスベとなめらかで、能面みたいな顔とは対称的に体温を感じる手だった。
しかし彼女は無表情にとどまらず寡黙でもあった。
「ドーラ先生には昔ずいぶんとお世話になりましたのよ?」
オッドアイお姉さんは、あいさつが終わったとたん口まめになった。
「先生?」
空かさず私はドーラ氏と姉妹の顔を交互に見ながら訊ねた。
「肉球大学の教授と教え子の関係だったんです」
「肉球大学?」
思わず頓狂な声が漏れた。
「りゅう〜きゅう〜大学ね?」
単に私の聞き違いのようだったが、無表情な色白さんは急にひたいの汗を薔薇柄のハンカチで拭き始めた。
その後、ドーラ氏とオッドアイお姉さんは懐旧談ですっかり盛り上がっていた。
姉妹や兄弟で正反対なタイプは多い。むしろ、口数が少ない人は私の経験上、何か大きなものをツナに、いや常に心に秘めているものだ。
私はがぜん無表情な色白さんのほうに関心を持った。
彼女はオッドアイお姉さんの談笑が終わるまで隅っこの本棚へと移動し、旅行関連の雑誌を静かに立ち読みしていた。
彼女はかなりの猫背だったが、それすらもチャーミングに見えてくるから驚きだ。
「どんな本がお好きなんですか?」
私は勇気を振り絞って質問をした。
だいたい予想はついていたが、愛想もなければ返事もなかった。
コミュニケーション失敗!
と思われた次の瞬間、無表情な色白さんが、今まさに読んでいるページを眼前に力強く掲げてきた。
「肉球の歴史」と書かれた見出しとその一文に不釣り合いの青空、透き通った海、赤いシーサーの写真が両開きで掲載されていた。
「……ちぐはぐですね? もしや、肉球じゃなくて琉球の間違いとか……誤植?」
思ったことをそのまま口にしただけだが、ずっと無表情だった色白さんが顔色をさっと変えた。
今度は冷や汗を拭うためか、ふたたび薔薇柄のハンカチを取り出した。
肉球と読み違えるたびにどうしてこうも罪悪感を感じるのか、無表情な色白さんに対して不安を煽ってしまうのか私には分からなかった。
いや、もしかしたら単に読み間違えたわけではないのかもしれない。
無表情な色白さんは薄い眉根にぐっと力を入れたような顔でしばし黙考した。
その後、私に見せていたページを肉球で一心不乱にこすり始めた。
肉球が赤くなってしまうのではないかと傍目から見ていて心配になってゆく。
そして、ぴたりと手を止めるなり別のページを開いて私に見せてきた。びっしりと文字で埋め尽くされたページだった。
無表情な色白さんは私を凝視するなり金色の目をこちらに向けて、「このページを音読して欲しい」と言わんばかりの視線を送ってきた。
私は重々しく頷く。
「琉球大学では、来年度から革新的な学部が新設される。その背景としては、琉球大学農学部の猫ノ目教授が、猫の肉球に秘められた宇宙的パワーについてネイチャー誌で論文を発表したことにある。猫と人間の握手という行為には、ただただ癒しの効果があるだけでなく、レオナルド・ダ・ヴィンチやアインシュタインすらも想像できなかった驚異的なものが潜在的にある可能性が大きい。そしてついに猫ノ目教授は、猫の肉球に秘められたパワーを学生らの協力で実証することに成功した。それによって判明したことは、肉球パワーを引き出せるタイプの人間がいるということだった。かつて琉球王国の時代にも、」
そこで勢い良く店のガラス扉がバタンと閉じた。
他の客が入店したのかと思ったが、出入り口付近に新しい人影は確認できなかった。
しぶしぶ視線を戻すと興味深い記事が掲載された雑誌は視界から消えていた。
いつのまにか無表情な色白さんがその雑誌をレジまで運んでしまっていたのだ。
できればもう一度あの記事を読み直したかったが、客から商品を奪うなんてことはできっこない。まして癖のある客ならばなおのこと。
しかたなく私はその雑誌を諦めて初めてのレジ対応に専念することにした。
雑誌は四百円で、無表情な色白さんから頂いた小銭は五百円玉だった。
私はレジから百円玉を取り出すと、無表情な色白さんの手から落ちないようおつりをぎゅっと握らせようとした。
刹那、相手のほうから強く握り返された。
ぷにぷにとしたなんとも言えない柔らかさだった。
猫ノ目教授が力説していた宇宙的エネルギーまでは感じなかったが、最初に握手した時よりも無表情な色白さんの持つ世界にわずかながら触れることができたような気がした。
こんな体験は生まれて初めてのことだった。
気づくと時計の針は深夜の4時を回っていた。
オッドアイのお姉さんは、「白猫の巨塔」「妻がベンガルだったころ」「ハイシニア猫の愛した数式」の文庫本を小脇に抱えながら恩師とにこやかに別れた。
無表情な色白さんのほうはすっかりオッドアイお姉さんの影に隠れてしまっていたが、気持ちお腹の辺りでちいさく私に手を振っていたように思う…そう思いたかった。
初めて充足感が得られる接客ができて私は心底嬉しかった。色白姉妹の幻影を見ながら物思いに耽っている流れでふと天井から吊るされたあの燻製が目に入った。
誰かが尻尾に齧り付いた跡があった。
やはり陽気なシマシマさんの手土産を天井に吊るすことは正解だったのだ。
「口角が上がってるよ~? 仕事に慣れてきた?」
周囲の変化に敏いところはさすがドーラ氏だ。
私は一度首を傾けてから、うんうんと照れ笑いを浮かべながら首を縦に振った。
<つづく>
髪型もふたり同じおかっぱだったが瞳の色が異なっていた。
ちょっとぽっちゃりさんのほうは両眼が金色だったが、だいぶぽっちゃりさんのほうは右眼が金色で左眼がブルーを帯びていた。オッドアイの白猫をイメージさせる風貌だ。
何の前触れもなくぽっちゃりんさんがピンクの鼻先を私の顔面に近づけてきた。
クンクン クンクン
私は反射的に退(の)いた。
学校にもパーソナルスペースがやたら近い人はいたが、これほど初対面で距離を詰めてくる相手は初めてだった。
不意にドーラ氏が耳元で「初対面のあいさつだから」と囁いてきた。
オーナーもなかなかの変わり者だが、ここへ来る客はさらに斜め上を行く者ばかりだった。
ここで改めて私の顔を嗅いできた、だいぶぽっちゃりさんをオッドアイお姉さん(実際はどちらが姉かは不明だが)、もうひとりの少しだけぽっちゃりさんを無表情な色白さんと呼ぶことにする。
「こちらは今日から猫の本棚ガールとしてお手伝いしてくれることになった猫又さんです」
意外にも無表情な色白さんが肉厚な右手を差し伸べてきた。
私は戸惑いながらもドーラ氏が見守る横で差し出された手を、おそるおそる握った。
瞬間、鼓動がトクントクンと高鳴った。
冴え冴えと白いその手はスベスベとなめらかで、能面みたいな顔とは対称的に体温を感じる手だった。
しかし彼女は無表情にとどまらず寡黙でもあった。
「ドーラ先生には昔ずいぶんとお世話になりましたのよ?」
オッドアイお姉さんは、あいさつが終わったとたん口まめになった。
「先生?」
空かさず私はドーラ氏と姉妹の顔を交互に見ながら訊ねた。
「肉球大学の教授と教え子の関係だったんです」
「肉球大学?」
思わず頓狂な声が漏れた。
「りゅう〜きゅう〜大学ね?」
単に私の聞き違いのようだったが、無表情な色白さんは急にひたいの汗を薔薇柄のハンカチで拭き始めた。
その後、ドーラ氏とオッドアイお姉さんは懐旧談ですっかり盛り上がっていた。
姉妹や兄弟で正反対なタイプは多い。むしろ、口数が少ない人は私の経験上、何か大きなものをツナに、いや常に心に秘めているものだ。
私はがぜん無表情な色白さんのほうに関心を持った。
彼女はオッドアイお姉さんの談笑が終わるまで隅っこの本棚へと移動し、旅行関連の雑誌を静かに立ち読みしていた。
彼女はかなりの猫背だったが、それすらもチャーミングに見えてくるから驚きだ。
「どんな本がお好きなんですか?」
私は勇気を振り絞って質問をした。
だいたい予想はついていたが、愛想もなければ返事もなかった。
コミュニケーション失敗!
と思われた次の瞬間、無表情な色白さんが、今まさに読んでいるページを眼前に力強く掲げてきた。
「肉球の歴史」と書かれた見出しとその一文に不釣り合いの青空、透き通った海、赤いシーサーの写真が両開きで掲載されていた。
「……ちぐはぐですね? もしや、肉球じゃなくて琉球の間違いとか……誤植?」
思ったことをそのまま口にしただけだが、ずっと無表情だった色白さんが顔色をさっと変えた。
今度は冷や汗を拭うためか、ふたたび薔薇柄のハンカチを取り出した。
肉球と読み違えるたびにどうしてこうも罪悪感を感じるのか、無表情な色白さんに対して不安を煽ってしまうのか私には分からなかった。
いや、もしかしたら単に読み間違えたわけではないのかもしれない。
無表情な色白さんは薄い眉根にぐっと力を入れたような顔でしばし黙考した。
その後、私に見せていたページを肉球で一心不乱にこすり始めた。
肉球が赤くなってしまうのではないかと傍目から見ていて心配になってゆく。
そして、ぴたりと手を止めるなり別のページを開いて私に見せてきた。びっしりと文字で埋め尽くされたページだった。
無表情な色白さんは私を凝視するなり金色の目をこちらに向けて、「このページを音読して欲しい」と言わんばかりの視線を送ってきた。
私は重々しく頷く。
「琉球大学では、来年度から革新的な学部が新設される。その背景としては、琉球大学農学部の猫ノ目教授が、猫の肉球に秘められた宇宙的パワーについてネイチャー誌で論文を発表したことにある。猫と人間の握手という行為には、ただただ癒しの効果があるだけでなく、レオナルド・ダ・ヴィンチやアインシュタインすらも想像できなかった驚異的なものが潜在的にある可能性が大きい。そしてついに猫ノ目教授は、猫の肉球に秘められたパワーを学生らの協力で実証することに成功した。それによって判明したことは、肉球パワーを引き出せるタイプの人間がいるということだった。かつて琉球王国の時代にも、」
そこで勢い良く店のガラス扉がバタンと閉じた。
他の客が入店したのかと思ったが、出入り口付近に新しい人影は確認できなかった。
しぶしぶ視線を戻すと興味深い記事が掲載された雑誌は視界から消えていた。
いつのまにか無表情な色白さんがその雑誌をレジまで運んでしまっていたのだ。
できればもう一度あの記事を読み直したかったが、客から商品を奪うなんてことはできっこない。まして癖のある客ならばなおのこと。
しかたなく私はその雑誌を諦めて初めてのレジ対応に専念することにした。
雑誌は四百円で、無表情な色白さんから頂いた小銭は五百円玉だった。
私はレジから百円玉を取り出すと、無表情な色白さんの手から落ちないようおつりをぎゅっと握らせようとした。
刹那、相手のほうから強く握り返された。
ぷにぷにとしたなんとも言えない柔らかさだった。
猫ノ目教授が力説していた宇宙的エネルギーまでは感じなかったが、最初に握手した時よりも無表情な色白さんの持つ世界にわずかながら触れることができたような気がした。
こんな体験は生まれて初めてのことだった。
気づくと時計の針は深夜の4時を回っていた。
オッドアイのお姉さんは、「白猫の巨塔」「妻がベンガルだったころ」「ハイシニア猫の愛した数式」の文庫本を小脇に抱えながら恩師とにこやかに別れた。
無表情な色白さんのほうはすっかりオッドアイお姉さんの影に隠れてしまっていたが、気持ちお腹の辺りでちいさく私に手を振っていたように思う…そう思いたかった。
初めて充足感が得られる接客ができて私は心底嬉しかった。色白姉妹の幻影を見ながら物思いに耽っている流れでふと天井から吊るされたあの燻製が目に入った。
誰かが尻尾に齧り付いた跡があった。
やはり陽気なシマシマさんの手土産を天井に吊るすことは正解だったのだ。
「口角が上がってるよ~? 仕事に慣れてきた?」
周囲の変化に敏いところはさすがドーラ氏だ。
私は一度首を傾けてから、うんうんと照れ笑いを浮かべながら首を縦に振った。
<つづく>