入学前に俺は ④

文字数 2,905文字

「生まれ変わり?」柿崎(かきざき)は目を丸くした。
桜咲翔星(おざきしょうせい)が事故で亡くなった日に俺は生まれたんで」
 前世の記憶を持って生まれ変わったなどという話が通じる訳もない。
 俺は誕生日の話をした。実際それは事実だった。どうも俺の魂は死んだ瞬間に生まれようとしている赤ん坊にとりついたようだ。
「面白い冗談を言うお兄ちゃんだな」
 柿崎は笑った。その顔はかつての柿崎だった。
 二人して投球練習場に移動した。
 ここはかつて二軍の練習場でもあった。高卒で入団した俺が雨の日など何度も使ったところだ。俺は懐かしくて涙が出そうになった。
 柿崎を相手にまずは軽くキャッチボールをする。バッティング練習をする前に準備運動はしていたから俺にはそれほど肩慣らしは必要ない。柿崎に体を温めてもらうためだった。
 ミットはこの練習場のものらしいがそれなりに使い込まれているようだ。俺の軽い球でも良い音がする。綿を減らしているのではないかと俺は思った。客に良い気分で投球練習してもらう配慮なのだろう。ただ、素人が綿抜きのミットを使えばケガをする。柿崎ならではの細工だ。
 柿崎が腰を下ろした。かなり太っているがその構えは昔の柿崎のものだった。
 俺は何となく可笑しくなった。
「笑ってないで、始めようか」
 ほんとうに懐かしい。赤ん坊からやり直した俺はいくつもの感動的なシーンを体験してきたがこれもまた大きな体験のひとつだった。
 俺はフォーシームの握りでストレートを投げた。百二十八キロ。この練習場にはスピードガンが設置されていて、投球するたびに表示される。
 前世では百六十以上をコンスタントに投げていたが中卒の時期でしかも並の体とあってはこんなものだろう。
 何球か続けて投げる。
 キャッチングがうまいから良い音がする。しかしスピードは百三十だ。
 ぴったり百三十の球を続けて投げた。
 柿崎はど真ん中にミットを構えていて、俺はその(まと)へ寸分違わず、弓を射るように投げ込んだ。
 すると柿崎がふと思いついたように構える位置を変えた。右打者のアウト・ローに。
 俺はプレートを踏む位置を左端にして投げた。ミットがわずかに外へと動いた。キャッチする位置は外だがボールはホームベースの隅をかすっている。
 同じ球を三球続けた。
「コントロールが良いのはわかったよ」柿崎がボールを返す時に言った。「しかし素直過ぎる。これでは打ちごろだ。変化球あるのか?」
「ありますけど、もう少しストレートを見てくださいよ。マスクをつけてくれたらいろいろ投げ分けます」
「あ?」
 柿崎はマスクをしていなかった。素人の球を受けるのに不要と判断しているのだろう。
「俺が本気で投げたら捕るのに苦労しますよ。危ないからマスクつけてもらえます?」
「言うじゃないか」
 しかし柿崎は素直にマスクをつけた。お手並み拝見といったところだ。
「さてウオーミングアップも済んだことだし。ここからが本番ですよ。ちゃんと捕って下さいね」
 柿崎は再び真ん中に構えた。
 俺はそこに向けて続けて投げる。スピードは百三十のままだ。
 しかし何球も続けるうちに柿崎のミットが上下に揺らぐようになった。柿崎が思った位置よりも一センチばかり上に球が来るのだ。
 同じスピードで球がホップする。投げるたびにその上がり幅が大きくなり二センチを超えた。
「良いね、かなり伸びてきた」
 柿崎は機嫌が良さそうだ。何年もバッテリーを組んだからよくわかる。
 しかしこれで驚いてもらっては困るな、おっさん。まだまだこれからだぜ。
「ツーシームにしますよ。横揺れするんでちゃんと捕ってくださいよ」俺は握りを変えた。「どこへ行くか俺にもわからないんで」
 同じ百三十キロのストレート。しかしその軌道はベースの手前で揺れるように動く。投手と捕手、審判にしかわからない変化だ。
 ミットの音が変わった。一球ごとに異なる音を(かな)でる。さすがに柿崎は捕り損ねることこそなかったが、手のひらに収めることが難しくなったのだ。
 生まれ変わった俺には前世の俺よりも秀でたチート能力があった。ボールの回転を自由自在に操れる。同じスピードで回転数が異なる球を投げ分けることができるのだ。
 打者の手元でホップしたり、揺れたり。
 絶好球が来たと思った打者が討ち取られて首をかしげるシーンを何度も見た。
 まさにスピンの申し子。クリケットの世界では球に回転を与えて変化させる投手いわゆる変化球投手のことをスピナーというらしいが、俺はそれをストレートでもやってのける。
 俺こそがスピナーなのだ。
「なるほど」柿崎は感心したように言った。「変化球は何が投げられる?」
「まあカーブですね」
 他にも投げられるが今は手の内を明かさない。あまり何でも投げられたらおかしいだろう。
「小さなカーブと縦に落ちる大きなカーブですね」
 まるで二種類しかないかのように俺は言った。回転数を自在にコントロールできる俺のカーブは虹色(にじいろ)だ。
 俺はその後柿崎に二種類のカーブをお披露目してその日のプレゼン投球を終えた。三十分はあまりにも短かった。
「お兄ちゃん、もっと大きくなれよ」柿崎が言った。
 二人してタオルで汗を拭っている。もうすぐプロ野球が開幕するという時期だったが、俺たちは心地好い汗を流していた。
「無理ですね。多分、百七十センチ超えたら良い方ですよ。俺の親、そんなもんですから」
「もったいないな。でも高校レベルならそこそこいけると思うぞ」
「そんなこと言ってくれるのはおじさんだけですよ」
「しかし秀星学院ではなあ。ムービングボールを捕れる奴はいないな」
「その通りですがよくご存じで」
「何度も足を運んだからなあ」
「いっそおじさんがコーチしてくれると良いですよ。特にキャッチャー。磐田(いわた)さんが投げる球を捕れるキャッチャーの育成です」
「お兄ちゃん、言うねえ。これからの新入部員だろ?」
「そうです。まだ磐田さんとも会っていない。遠くから見ただけです」
「それでもあのチームの状況は把握していると」
「何しろ姉が生徒会長をしておりまして。知りたい情報は何でも入って来るのです」
「すげえな。でも俺はあそこから出禁(できん)を食らったからな」柿崎は残念そうに言った。
「それはまたどうして?」知っていて俺は訊く。
「俺の身分が不安定だからだろ。元プロ野球選手とはいえ今はただのパートタイムのトレーナー兼練習場の管理人だ」
「身分は関係ないですよ。磐田さんが希望した人をコーチにしてくれるらしいです」
「は?」
「磐田さんに気に入ってもらえれば良いんですよ」
「出禁だからなかなか会えないしなあ」
「俺が何とかしますよ。ここまで連れてくるのは時間がかかると思いますが」
「お兄ちゃん、流星(りゅうせい)と面識ないのだろ?」
「そんなの部活を一緒にやれば先輩後輩の仲になれるじゃないですか」
「そうか」柿崎は何やら思案しているようだった。そして程なくして俺に訊いた。「名前を聞いていなかったな。お兄ちゃん、何て言うんだ」
与座魚輝樹(よざうおきき)
「それ本名か?」
「嘘ついても仕方ないでしょ、柿崎(かきざき)さん」
「お前、俺のこと知ってたんだな」
「まあ少し」いや少なくともあんたの弟分くらいには知っているよ。
 俺は柿崎と握手を交わした。
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登場人物紹介

与座魚 輝樹(よざうお きき) 15歳 前世(桜咲翔星)の記憶を持って生まれた。秀星学院の特進クラスに入学する。

与座魚 瑠姫(よざうお るき) 17歳 輝樹の姉。秀星学院生徒会長。

磐田 流星(いわた りゅうせい) 16歳 桜咲翔星の息子 秀星学院野球部。

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