入学前に俺は ②

文字数 2,882文字

 俺は瑠姫(るき)(ねえ)に連れられて職員室を訪れた。まだ入学もしていない者をそういうところへ連れていけるほど瑠姫姉はこの学校を掌握していた。
 生徒会長の出現に対して声をかけてくるのは教師たちの方だった。
 その一人一人に瑠姫(るき)(ねえ)は丁寧に挨拶する。見かけ上はもちろん教職員に対する礼儀なのだが、やはり瑠姫姉は教師たちにとって無視できない存在なのだと俺は思った。
「この春入学する愚弟(ぐてい)でございます。よろしくお願いいたします」
 瑠姫姉は俺を紹介することを忘れなかった。そして俺はひとりの若い女性教師のところへ連れていかれた。
 職員室に入った瞬間からこの学校には若い女性教師が多いことは感じていた。しかも美人揃いだ。中でも瑠姫姉が引き合わせた女性教師はゾッとするほど冷淡な美貌を誇っていた。
浦野(うらの)先生」
 瑠姫姉が声をかけると、その女性教師は振り返った。「生徒会長の与座魚(よざうお)さん。私に何か用かしら?」
 二人が対峙(たいじ)する。雰囲気がそっくりだ。冷淡さの奥に秘められた熱情までもが同じだと俺は感じた。実に心地よい。バチバチとした火花が散っているようだ。
「愚弟です」
 瑠姫姉は俺をかえりみた。この教師には自己紹介をさせるようだ。
与座魚輝樹(よざうおきき)です。四月からこの学校にお世話になります」俺は声量は抑えたものの直立不動の体育会系の挨拶をした。
「浦野です」女性教師は答えた。「可愛い顔に似合わず、暑苦しいタイプかしら。私の苦手なタイプね」
 俺のルックスは瑠姫姉に似ていて、女性から「可愛い」と言われる。テレビに出ている男性アイドルに引けをとらない。
 そんな俺から体育会系挨拶が飛び出したのだから眉をひそめるのもわかる。そしてそれは彼女のお気には召さなかったようだ。
「先生、野球部の顧問の話はどうなりました? コーチ人事に異議を唱えられた関係で、先生が後任の顧問になられるとうかがいましたが」
 え、そうなのか? この先生が? 俺は目を丸くした。
「不本意ながらそうなりそうよ。私は野球が大嫌いなのだけれど、この学校に務めてやっと二年目を終える若輩者だから学校の命令には従うわ」
「でしたら、愚弟を使ってやって下さいませ。野球部入部希望ですの。先生のお役に立てるかと思いますわ」
「この子が?」
「ええ」瑠姫姉は冷ややかな微笑を浮かべた。「これでも横浜の野球チームにいたことがあるのですよ。全国大会まで進みました」
 心なしか瑠姫姉が自慢気に見える。確かにかつての俺は瑠姫姉の寵愛(ちょうあい)を受けるのにふさわしい活躍をしていた。
「でも今は普通ね。成長が止まって凡人になったのかしら」
 女性教師の言葉に瑠姫姉は苛立(いらだ)ちをあらわにしたが俺にしかわからなかっただろう。何しろ瑠姫姉は感情を表に出さない。目が一ミリ細くなり、左の眉が一ミリ上がったのを見つけるのは俺くらいだ。
「きみは何が出来るの?」女性教師の問いに俺は答えた。
「大抵のことはできます。オールラウンドですから。野球のルール、トレーニング方法にも精通しております」
「そう。ルールくらい私も知っているけれどね」嫌いではないのか。「まあ、良いわ。あのチームにはまともな指導者もいないし、モチベーションもそれぞれだからまとまりもない。その中でどのくらいやれるのか見せてみなさい」
「お任せください」俺は調子の良いことを言った。
 瑠姫姉がまた俺にしかわからない程度に眉をひそめる。
 まあそうだろう。最近の俺は何事にも興味を示さなくなっていて、他人とのコミュニケーションもなおざりにしていたのだ。それが野球に関することだからといって饒舌になるのだから怪訝に思うのも無理はない。
「ちなみに監督はどなたがされるのでしょうか」
「顧問が務めることになっているわ」
「先生が顧問になられるのですね?」
「まだ決まってはいないけれど、そうなりそうね」
「失礼ながら先生は野球チームの監督をした経験はおありですか?」
「あるわけないでしょう。大嫌いなのに」やたら大嫌いを強調してくる。
「でしたら外部からコーチを招聘するのがよろしいかと思います」
「その費用は誰が負担するのよ」
「実績が伴えば学校が負担するでしょうね」瑠姫姉が割り込むように言った。
 実績が先なのか。
「無償ボランティアで引き受けてくれる人なら構わないのでしょうか」俺は訊いた。
「ただで引き受けるやからにろくな人間はいないわよ」
「元プロ野球選手でも?」
柿崎(かきざき)のことを言っているの? きみ」女性教師の顔が変わった。
 そこに初めて感情が宿った。そしてその顔に俺は既視感を覚えた。
「あんな飲んだくれの最低オヤジ。磐田流星(いわたりゅうせい)に悪影響しかもたらさない」
 飲んだくれは否定しない。その通りだ。だから俺は言った。
「飲んだくれだとよくご存じで」
「はあ、何を言っているの。知っていて言っているんでしょう? 柿崎は私の父。縁を切って十年以上になるけれどね」
 やはりそうだったか。麗珠(れみ)。お前だったのか。
 俺はシーズンオフに柿崎の家によく招かれた。高卒の入団一年目からだ。結婚した後も妻を連れて何度も遊びに行っている。そこに柿崎の妻子もいた。
 麗珠(れみ)は柿崎の長女だ。よちよち歩きの頃から知っている。小学校に上がった頃にはシーズンオフに遊園地に行ったこともある。肩車して母親に叱られていた。大投手の肩に乗るんじゃありません。
 球場にも何度も応援に来ていた。俺が完封し九回裏に柿崎がサヨナラ打を打った夜は、ヒーローインタビューの後スポーツ誌のカメラマンが写真を撮る中、俺が麗珠(れみ)を抱き上げて左肩に乗せたのだ。
 ほんとうに野球が大好きな娘だった。それが今は大嫌い。名字も変わっている。なぜそうなったか想像するのは簡単だ。
 柿崎が飲んだくれの最低オヤジというのは嘘でもない。柿崎は酒に溺れるタイプだった。
 麗珠は流星のことも知っているのだろう。馬鹿オヤジに大事な逸材は任せられないと考えたのだ。といってこのままでは流星は埋もれるだけだ。
「先生、プロ野球にいらした方なら、ましてや捕手だったのなら投球練習に付き合うことはできますよね。恐れながら今の野球部に磐田先輩の球を受ける捕手はいらっしゃらないようです。このままだと磐田先輩は無駄な高校生活を過ごすことになりますよ」
「何を偉そうなことを言っているの」瑠姫姉に頭をはたかれた。「愚弟(ぐてい)愚見(ぐけん)をお許し下さい」
「磐田くん自身が今のままで良いと思っているのよ」麗珠は言った。「野球は好きでやっているだけ。おそらく学生野球で終わりにするのでしょう。彼には磐田家の一人として事業を継ぐ役割があるのよ」それは俺の立場と似ているのだが。
「そうですか」俺は一旦引いた。「磐田先輩がその気になれば良いのですよね?」
「生徒会長の弟だからさぞや策士なのでしょうね」
 瑠姫姉の眉が上がった。
「どこまでできるか、お手並み拝見するわ」
 要するに流星の口から柿崎を招聘(しょうへい)したいと言わせれば良いのだと俺は判断した。
輝樹(きき)、あなた磐田君とまだ会ってないでしょう。それでも何とかできると思っているのね?」
「何でもやってみないとわからないさ」
 そう答えながら、俺は次に打つ手を考えていた。
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登場人物紹介

与座魚 輝樹(よざうお きき) 15歳 前世(桜咲翔星)の記憶を持って生まれた。秀星学院の特進クラスに入学する。

与座魚 瑠姫(よざうお るき) 17歳 輝樹の姉。秀星学院生徒会長。

磐田 流星(いわた りゅうせい) 16歳 桜咲翔星の息子 秀星学院野球部。

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