第2話
文字数 2,260文字
約束の日は、朝から
しかたなく、夕方の約束の時間、約束の喫茶店に出向いた。場所はどこでもいいというので、エリコが覚えたばかりのカフェオレが有名な喫茶店を指定した。
ここならば、最低でもおいしいカフェオレが飲める、その程度の気持だった。
ユキコは店の前に立って待っていた。中学当時とあまり変わっていなかったからすぐにわかった。
「垢ぬけないなあ。」
それが第一印象だった。髪も中学のときと変わらないショートカット。化粧もしていないし、着ているものもそこら辺のスーパーで買ったようなもの。大学生じゃないのかな。いや、大学生でも身なりに気をつかわない人もいるしな。エリコはおしゃれな人に囲まれていたから、冴えないユキコにいっそう憂鬱になった。
「ひさしぶりだね。」
そう声をかけた。いっしゅん目があった。でもユキコはすぐに目を伏せた。
「うん、ひさしぶりだね。すごくきれいになったね。見違えたよ。」
せっかく田舎を出て、都会の大学生になったのだ。それは張りきるよ、とエリコは思った。
中に入って空いた席にすわると、すぐに店員が水とメニューを持ってきた。エリコはお目当てのカフェオレを注文した。ユキコにどれにする、と聞くと同じものでいいという。もしかして、はじめてここに来たのかなと思う。
あいかわらず田舎くさいユキコに優越感を持っていたのかもしれない。自分は三か月でちゃんと都会になじんだ女子大生になりましたよ、あなたとちがって。そんないじわるが湧いていたのだと思う。
カフェオレが運ばれてきて、一口口をつける。ああ、おいしい。
そうして、ユキコが口を開くのを待つ。沈黙が続いた。あれ?話があるからと呼び出したのではなかったか。しかたなくエリコが話し出した。
「今なにしてるの?」
「専門学校に行ってる。」
「なにの専門学校?」
「経理。」
「どこに住んでるの?」
「学校の寮。」
話題が途切れた。沈黙が続く。
「今日寒いよね。」
「うん。」
帰りたい。十分も立たずにそう思った。それでも辛抱強くユキコを待った。五分十分と沈黙が続く。
「なにかあったの?」
とうとうエリコは聞いてみた。ユキコは返事もせずにうつむいたままだ。しばらく待ってからもう一度聞いた。
「どうしたの?」
やはり返事はない。うつむいたままだ。どうしたものか。エリコは話しかけるのをあきらめて、ユキコの口が開くのを待つことにした。気まずい沈黙が続く。ちびちびと飲んでいたカフェオレもなくなってしまいきっちり三十分たったとき、ついにエリコはカバンを持った。
「そろそろ時間だから行かないと。」
わけのわからない理由をいうとユキコは、わかったといって立ちあがった。それぞれの会計をすませて外に出ると、あいかわらずのどしゃぶりだった。思わずため息が漏れた。新しい靴がずぶぬれだ。
ただ重苦しい沈黙から抜け出したいだけだった。話があるっていったのに、なんだったのだ。時間を無駄にしたじゃないか。
店の前で、じゃあねといって別れた。結局ユキコと目が合うことはなかった。違和感と後味の悪さから逃げ出すように、足早に駅に向かって歩き出した。ユキコも自分に背を向けて歩いて行ってくれと願って。
翌日にはユキコのことはきれいさっぱり忘れることにして、日常にもどった。そのうち本当に忘れてしまった。
遺書もなく、自殺の原因はわからなかった。母も噂話程度しか知らなかった。かといってわざわざユキコの家に行って、どうしたんですかと母親に聞くわけにもいかず、真相はわからずじまいだった。
やはりわたしのせいだろうか。わたしが話を聞かなかったから。ちゃんと話を聞いていれば、彼女は死ななかっただろうか。
でも、あのまま待っていて彼女は話しただろうか。もっと根掘り葉掘り聞けばよかったのか。何時間も、閉店になるまで待てばよかったのか。
いや、そもそもユキコが自殺を考えているなんて知らなかった。知っていたらもっと親身になっていたはずだ。だいたい、三年ぶりに会った同級生がそんな深刻な悩みを抱えているなんてわかるはずもない。中学生の時だってそれほど親しいわけじゃなかった。
それに、とエリコは思う。自分が聞いて解決できたのだろうか。そんな重大な問題を。
だから、わたしは悪くない。
二つの感情がせめぎ合う。
答えがない。ユキコは答えを残さずにいなくなってしまったから。なぜエリコにこんな問題を残していったのだろう。エリコになにを求めたのだろう。なぜエリコだったのだろう。問題を押しつけられたエリコはどうすればいいのだろう。
自殺の報道を目にするたびに、堂々めぐりに陥る。いくら考えても探しても答えはない。ないのに、探して堂々めぐりをする。これまでも何回もあった。これからも何回もあるのだろう。たぶん自分が死ぬまで続くのだ。
中学を卒業して三十数年。同級生たちの顔もだいぶおぼろげだ。名前すらあやふやになりつつある。
でも、ユキコの顔だけははっきりと覚えている。最後に会ったあの日のユキコ。所在なさげにうつむいていたユキコ。頭のどこかに黒いしみになって貼りついている。
でも最近は、あきらめがついた。ときどき誰かがユキコを思い出す。たとえ答えが見つからなくても。それも供養の一つなのかもしれない。そう思うことにした。