第1話 私が恋焦がれていたもの

文字数 2,000文字

『出遅れた恋はきっと届かない 
 伸ばした髪にも触れられないまま
 
 きみの最初は諦めて 隣で笑うあのコは知った
 辛くなるだけ…わかっていたはず
 
 だけど、傍にいたかったんだ
 せめて、見ていたかったんだ

「愛していると嘘でもいいから言って」
 口にした途端ハッとした
 バカみたく笑って 冗談だよって逃げる気でいたのに…
 どうしてわたし 泣いてるんだろう?
 困らせるつもりはなかったのにな』

 文化祭の準備に追われる放課後。教室から誰かの歌声が聞こえてくるのは珍しくない。
 だけど、それは古いラブソングで……つい聴き入ってしまった。

『抱いて欲しいよ、愛してなくていいから』

 気づけば最後のサビ。
 演奏が終わり――ぼけっとしていた私は声をかけられる。
「感想くらいは欲しいかな」
 その男子は悪戯っぽく言う。
「あっ、ごめん」
「別に謝ることじゃないでしょ、先輩」
 だからといって、なんの安心もできない。年下云々、私は男が苦手だった。
「懐かしい曲だね」
「それだけ?」
「良かったと思う」
「それは知ってる」
「……」
 困って言葉を探していると、「やっぱ、女の人ならわかる?」催促された。
「今の歌の気持ち」
 その試すような――いや、誘うような表情に私の心は揺れた。もしここでわかると言ったらどうなるんだろうか、と期待している自分に驚いてしまう。
「えっ? や、その……」
 飛び出した声も妙に色っぽくて、自分が自分でなくなった錯覚に襲われる。
 初めて会った年下の男子は何も言わず、私を見つめている。
「あれ? おねえちゃん」
 と、その声で現実に戻された。
「……あんたを探してたの」
 妹の前だと、揺れていたのが嘘みたいに自分を保てた。
「返信がないから、没収でもされたのかなって」
「あー充電切れ。ダンスの練習でずっと使ってたの」
「お母さんから伝言、今日遅くなるって」
 そう伝えると、「そなの? ねぇ、橘君。わたしの家に来ない?」妹は教室にいた男子に声をかけた。
「は……?」
 私の声など聞こえていないかのように、「でも、お姉さんはいるんだろ?」二人は会話を続ける。
「ねっ、お姉ちゃん。ちょっと内緒にしてくれる?」
 そして気づく。妹の声から、もしかして付き合っているのではないかと。
 じゃぁ、さっきの言葉はただの感想で私の勘違い? と思うも、絶対に違う。
「わかった」
 だから、彼の本位を確かめる意味で私は承諾したのだった。

 高校生ともなれば嫌でも意識してしまう。
 妹は部屋で男子と二人きり。それも親がいないことを喜んでいた。
 かといって勘違いだったら恥ずかしいし、私は冗談でもそういうことを言えるキャラじゃない。
 そんな風に悶々とした気持ちで夕食の準備をしていると、
「いい匂いですね」
 橘君とやらが声をかけてきた。
「カナは?」
 そう言いつつ、制服の乱れを探る自分が嫌になる。
「寝ちゃいました。ダンスの練習で疲れてたんでしょう」
「そう……」
 見た感じはセーフ。いやでも、男子は上を脱がなくても……
「むっつり、ですね」
 いきなり指摘され、「なにがっ!」私は過剰反応してしまう。
 橘君は年下――いや、高校生とは思えない微笑みを浮かべるだけ。
「……んで、私にあんなこと言ったの?」
 敵対心を糧に私は切り出した。
「あの歌の気持ちがわかるかなんて……」
 言葉足らずかと思い継ぎ足すと、
「物欲しそうな顔をしていたから」
 橘君は言いやがった。
「そういうのに憧れてるんじゃないかって」
「――なっ!」
 怒りたいのに言葉が続かない。
「たぶん、機会があれば――背中を押してくれる人がいれば流されそうだなって」
 自覚はあった。そして、そんな所まで見透かされていたのだと、羞恥心で頭がどうにかなってしまう。
「カナもそうだったから」
 だけど、妹の名前が出たおかげで踏みとどまれた。
「妹と二股かけようっての?」
「――あなたが望むのであれば」
 この男は最低だと思う。
 だけど、そこで迷ってしまった私はもっと最低だ。
「二股や浮気をする人が最低ってよく言うけど、そういう人たちはただ機会に恵まれなかっただけだ」
 橘君は言う。
「それを目の前に差し出された、焦げるような衝動を知らないから言えるだけ」
 本当にそうかもしれない。
 機会に恵まれた時の快感、心の奥底から湧き上がる衝動。
「それに、悪いのは俺だろ?」
 そして、その言い訳を聞かされた際の安堵感。
 頬に触れる手を私は拒絶できなかった。その親指がゆっくりと動くのも。唇を撫でられ、顎を持ち上げられても……。
 こんなのは決して私が恋焦がれていたモノなんかじゃない。
 なのに、私の心は満たされていた。
 そして、気づけば目を閉じていたのだった。
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