第4話
文字数 1,824文字
その後はリハビリ病院に転院し、足の改善を図ることになるだろうという医師の見立てだった。
「一人暮らしですよね」
と医師は前置きし、改善され一人暮らしが可能になれば自宅に戻れるが、そうでなければ、介護施設を検討することも視野に入ると示唆した。
そのあたりは、入院の際に「これで一人暮らしは無理だよ」と医師が驚いていたという袴田さんの話とも符合する。その医師が、目の前にいる医師なのかはよくわからない。たぶん違うような気がしたが、根拠はなかった。
まだベンチに座っていた老婦人に声をかけてから、彼は帰路についた。
翌日、彼は鉄道駅に近いショッピングセンターのドラッグストアでオムツを買い、病院に届けることにした。
ドラッグストアでオムツを選んでいると、守男から着信があった。
「もしもし」
彼は電話を取りながら、いったん店を出た。
「もしもし、モリー」
「あ、お早うございます」
「お早う。今からいうことよく聞いてください。車椅子に座るとき靴がないと困ることがよくわかった。そこで、アマゾンで買ったいつも履いているシューズがあるから、それを持ってきてください」
「もしもし」
と彼は守男を遮ろうとした。「今からそちらに行くところでもう駅まで出てきてしまっているんです」
駅から家の最寄りのバス停までは十五分ほどだが、そのバスが一時間に一本しかない。今から家に戻ることはとてもできなかった。しかし、
「履きなれたシューズがあるから持ってきてください」
守男は止まらない。
「もしもし」
彼は再び試みた。「ですから、今そちらに行くところで、もう駅まで来てしまっているんですよ」
「よろしいか。アマゾンの黒いシューズが要るのです。持ってきてください。Do you understand?」
徒労だった。彼は諦めて電話を切った。同じショッピングセンターのしまむらで適当な靴を見繕い、ドラッグストアに戻って買ったオムツのパックを手に提げ、彼は病院に向かった。
彼は途中で購入したオムツとシューズを、入れ歯と集音器とともに看護師に託した。
守男は同じ集音器を二個持っているが、そもそもあまり使いたがらない。使うときは両耳に使うこともあるが、片方だけ使うことが多い。昨日病院に行く前には一個しか見つからなかったが、もう一個を昨晩探し当てることができた。
また、朝にシャワーを浴びた後、洗面所の棚に小さな瀬戸物の壺があるのが目に留まった。蓋を開けてみると、果たして入れ歯が見つかった。
「地域連携コーディネーターの安田が顔合わせしたいと言っているのですが、少し待っていてもらっても、お時間大丈夫でしょうか」
看護師がたずねる。
「ええ、全然大丈夫ですよ」
程なく、入口の自動ドアの横のドアが開き、やはり患者の家族と思しき人が出てきた。追いかけるように姿を現したのが地域連携コーディネーターの安田さんだろう。簡単な別れの挨拶が聞こえた後、ベンチで待つ彼に歩み寄り、会釈を寄越したので、彼女が安田さんに違いないと知れた。
小柄な彼女はなぜかバスケットボール選手のようにキュッキュッと左右に体を入れ替えながら彼に近づいた。彼も立ち上がった。
「遠方にお住まいということなので、今日お越しになると聞いて、一度お話ししておこうと思いまして」
住まいが遠方でなければ、電話のやり取りだけで済ますことが普通である様子だった。
「今どうかな?」
と安田さんはつぶやき、入口の自動ドアを開けた。
「あ、お父様ですね」
病衣の守男が車椅子に座っていた。後ろで押してくれる看護師と、奥に移動するところであるようだった。気配を覚った看護師が車椅子の向きを変え、守男の耳元で何か声をかけた。守男は顔を上げ、〈おっ〉という少し驚いた顔を見せた。血色がよいのは、血液をサラサラにするという薬を使っているせいだろう。軽く手を挙げた守男に私も応じた。すぐに守男は奥に向かい、安田さんが自動ドアを閉めた。
「コロナで面会ができないので、少しでも顔が見れたらと思って」
歩きだしながら安田さんが言う。
「ありがとうございます」
先ほど安田さんが出てきた、入口脇の小部屋に案内され、彼は彼女と向かい合って座った。
安田さんからは、リハビリ病院に転院する調整を始めてよいかと確認があった。彼はよろしくお願いしたいと答えた。また、彼は遠方住まいだが、リハビリ病院入院に際しての家族面談に都合がつくかと照会があった。彼はそれも問題ないと答えた。
「一人暮らしですよね」
と医師は前置きし、改善され一人暮らしが可能になれば自宅に戻れるが、そうでなければ、介護施設を検討することも視野に入ると示唆した。
そのあたりは、入院の際に「これで一人暮らしは無理だよ」と医師が驚いていたという袴田さんの話とも符合する。その医師が、目の前にいる医師なのかはよくわからない。たぶん違うような気がしたが、根拠はなかった。
まだベンチに座っていた老婦人に声をかけてから、彼は帰路についた。
翌日、彼は鉄道駅に近いショッピングセンターのドラッグストアでオムツを買い、病院に届けることにした。
ドラッグストアでオムツを選んでいると、守男から着信があった。
「もしもし」
彼は電話を取りながら、いったん店を出た。
「もしもし、モリー」
「あ、お早うございます」
「お早う。今からいうことよく聞いてください。車椅子に座るとき靴がないと困ることがよくわかった。そこで、アマゾンで買ったいつも履いているシューズがあるから、それを持ってきてください」
「もしもし」
と彼は守男を遮ろうとした。「今からそちらに行くところでもう駅まで出てきてしまっているんです」
駅から家の最寄りのバス停までは十五分ほどだが、そのバスが一時間に一本しかない。今から家に戻ることはとてもできなかった。しかし、
「履きなれたシューズがあるから持ってきてください」
守男は止まらない。
「もしもし」
彼は再び試みた。「ですから、今そちらに行くところで、もう駅まで来てしまっているんですよ」
「よろしいか。アマゾンの黒いシューズが要るのです。持ってきてください。Do you understand?」
徒労だった。彼は諦めて電話を切った。同じショッピングセンターのしまむらで適当な靴を見繕い、ドラッグストアに戻って買ったオムツのパックを手に提げ、彼は病院に向かった。
彼は途中で購入したオムツとシューズを、入れ歯と集音器とともに看護師に託した。
守男は同じ集音器を二個持っているが、そもそもあまり使いたがらない。使うときは両耳に使うこともあるが、片方だけ使うことが多い。昨日病院に行く前には一個しか見つからなかったが、もう一個を昨晩探し当てることができた。
また、朝にシャワーを浴びた後、洗面所の棚に小さな瀬戸物の壺があるのが目に留まった。蓋を開けてみると、果たして入れ歯が見つかった。
「地域連携コーディネーターの安田が顔合わせしたいと言っているのですが、少し待っていてもらっても、お時間大丈夫でしょうか」
看護師がたずねる。
「ええ、全然大丈夫ですよ」
程なく、入口の自動ドアの横のドアが開き、やはり患者の家族と思しき人が出てきた。追いかけるように姿を現したのが地域連携コーディネーターの安田さんだろう。簡単な別れの挨拶が聞こえた後、ベンチで待つ彼に歩み寄り、会釈を寄越したので、彼女が安田さんに違いないと知れた。
小柄な彼女はなぜかバスケットボール選手のようにキュッキュッと左右に体を入れ替えながら彼に近づいた。彼も立ち上がった。
「遠方にお住まいということなので、今日お越しになると聞いて、一度お話ししておこうと思いまして」
住まいが遠方でなければ、電話のやり取りだけで済ますことが普通である様子だった。
「今どうかな?」
と安田さんはつぶやき、入口の自動ドアを開けた。
「あ、お父様ですね」
病衣の守男が車椅子に座っていた。後ろで押してくれる看護師と、奥に移動するところであるようだった。気配を覚った看護師が車椅子の向きを変え、守男の耳元で何か声をかけた。守男は顔を上げ、〈おっ〉という少し驚いた顔を見せた。血色がよいのは、血液をサラサラにするという薬を使っているせいだろう。軽く手を挙げた守男に私も応じた。すぐに守男は奥に向かい、安田さんが自動ドアを閉めた。
「コロナで面会ができないので、少しでも顔が見れたらと思って」
歩きだしながら安田さんが言う。
「ありがとうございます」
先ほど安田さんが出てきた、入口脇の小部屋に案内され、彼は彼女と向かい合って座った。
安田さんからは、リハビリ病院に転院する調整を始めてよいかと確認があった。彼はよろしくお願いしたいと答えた。また、彼は遠方住まいだが、リハビリ病院入院に際しての家族面談に都合がつくかと照会があった。彼はそれも問題ないと答えた。