一、海と村

文字数 718文字

 その村の(かたわ)らには、蒼黒(あおぐろ)い海が広がっていた。村中が海からの低く深い轟音(ごうおん)に覆われていた。
 常に海鳴りが存在することは、村民の気質に大いに影響を与えた。村民は(わび)しいわけではないが、物静かで控えめだった。海はその音をして四六時中、村民に自然の巨大な力とその恐ろしさを叩き込んでいた。
 過去にはそれに立ち向かう豪傑(ごうけつ)も何人かいたが、例外なく敗北を喫し、荒波の餌食(えじき)となった。そのような出来事が永い時代を経て口承され、海への畏敬が厳然とした構造を持つようになると、村民はさらに淡々とした、おとなしい気質になっていった。
 
 村民は陸で農業をし、海で漁業をした。どちらもささやかなものだった。村の全員である六十人ほどの大人と二十人ほどの子どもが、協働して野菜をいくつかつくり、二町ほどの水田で稲を育てていた。漁にしても、木彫りの船を何艘か出して、少しばかり沖の方へ行き、(かつお)(いわし)を獲るのがせいぜいだった。
 守り神を(まつ)(やしろ)が、この村にも存在していた。社はこの村からすると立派すぎるくらいで、中は十畳ほどの広さがある。見た目は通常の神社の本殿のようであり、やはり扉は閉じられ、中は見えない。
 そのころ、この村には京の都の力はさほど及んでいなかったが、白米はやはり神餞(しんせん)として扱われ、魚も添えられた。村民は定期的に社の前に集まり、(ひざま)いた。村の(おさ)は彼らの最前で、その社に向かって手を合わせたり頭を下げたりしながら、詠じるように感謝と祈念の言葉を述べた。守り神としてその社の中に祀られていたのが、

だった。
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