三、萎みゆく鯨

文字数 1,062文字

 翌年、二平の言った通り、鯨が打ち上げられた。老人の中には、これまでで最大だという者が何人かいたが、いや、これは二番目だという者も何人かいた。たしかに先代よりはずいぶん大きかった。通常よりも間隔が空いた見返りだろうということになった。
 いつものことだが、子どもたちは鯨を見るのが初めてか二度目の者がほとんどなので、近付くことを恐れ、砂浜に泣き声が響くのが常だった。それでも鯨に触れ、その肉を食らうのは村民の義務であり、生まれてから死ぬまで終わることのない通過儀礼だった。老いて体の動かぬ者ですら、鯨のもとに運ばれ、強引に手を(なす)り付けさせられ、肉片を口に含まさせられた。だが、死を前にしたそのような老体であっても、儀式に関われることは喜びだった。実際、それによってこの世での最期の満足を得て、翌日には穏やかな表情で死を迎える者が、毎回のようにいた。

 だが、この四年に一度の鯨の打ち上げと祝祭は、五十二個目の頭蓋骨を祀って最後となった。正確に言うと、四年に一度という定期的な頻度が崩れたのだ。間隔が二十年空くこともあった。初めのうち村民は、『海の神が気まぐれになったかな』などと言っていた。優秀なはずの人間がごく(まれ)にヘマをしたとき、本人が不在でも言う愛嬌や(いたわ)りの言葉のようなものだ。
 そのころ村では、農業にさほど変化はなかったものの、漁業に関してはより沖合に出られるような木組の大きく頑丈な船が作られ、大きめの(さめ)海豚(いるか)も捕獲できるようになっていた。また世界をぐるりと眺めると、人類が初めて、沖合で泳ぐ巨大な抹香(まっこう)鯨を捕獲したのも、このころだった。

 村民は、鯨の打ち上げに

が出てきたことで、海に対し、『気がおかしくなった』とか『狂った』などと言いはじめ、畏敬の念は薄れていった。頭蓋骨が置かれた社は修繕されずに(すた)れ、汚れはて、村の長は京由来の神を祀った社を新たに建て、そちらの方ばかりを崇めた。
 村民が忘れたころに鯨が浜に打ち上げられたが、村民に特に感興は湧かず、あのみっともない頭蓋骨の同類だと小馬鹿にする始末だった。野次馬根性のある村民だけが、それを見に行って面白がり、あちこち切り刻んで肉を食らった。
 やがて鯨は、穿(ほじく)られ、(えぐ)られた穴から情けない音を立てて(しぼ)み、腐臭を漂わせながら鳥や塩水の(えさ)となった。残った白骨は、しばらく放置されたあとで村民に持ち去られ、あらゆる道具や資材にされていった。

(了)
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